Act8-38 その唇の感触
本日二話目です。
エレーンがヒロインっぷりを見せる回です。
「お目覚めですか、主様?」
まぶたを開くと、エレーンがいた。
俺を見下ろしながら、ほっとしたかのように胸を撫で下ろしている。
「……もしかして倒れたの?」
「ええ、いきなりぱったりと。おかげでジズ様が大変でした」
「……あー」
なんとなく想像できるよ、その光景を。
ジズ様であれば、「妹ちゃんがぁぁぁーっ!」とか言って騒ぎそうだ。
それをちょい切れのサラ様が「うるさい」とアイアンクローをかますところまで想像できた。
「……そのジズ様は?」
「ジズ様でしたら、「妹ちゃんが起きたときのためにご飯を作ります!」と言って調理場へと向かわれました。そのあとをサラ様とティアリカ殿が追いかけられましたので、戻られるときはお三方ででしょうね」
「……そっか」
ジズ様調理できたんだな。てっきりできないかと思っていたよ。
「サラ様が仰るには、魚や山菜を使ったものであれば、敵わないとのことでした」
「へぇ」
サラ様も相当の料理上手のはずなのだけど、そのサラ様でも敵わないほどの腕前とは。
「おそらくは肉、魚、山菜のフルコースとなるでしょうね」
「……ははは、そんな食べられるかな?」
「主様おひとりでは難しいかもしれませんね。ですが、お食べになられるのは主様だけではございませぬ。ご安心ください」
エレーンが口元を押さえて笑っている。その笑顔は、いや、笑い方はなぜか「彼女」を思わせる。
「……主様、なぜ泣かれておいでなのですか?」
「え?」
言われて気づいた。視界がかすかに歪んでいた。
ためしに目元をこすると、わずかに濡れていた。
「なんで?」
別に泣くことじゃないはずなのに。
泣く必要もないことなのに、なんで俺は泣いているんだろうか?
「……失礼いたします」
エレーンがぽつりと呟いた。体を曲げ、ゆっくりと近づいてきた。
なにをと思ったときには、目尻が熱くなった。軽やかな音ともに目尻が熱くなっていく。それは覚えのある感触だった。
「エレーン?」
尋ねてもエレーンはなにも言わない。あまりにも近すぎてエレーンがただ無言で目尻に口付けられていた。
「……反対側も」
しばらくしてエレーンが離れた。露になっている口元からわずかに見える頬は少しだけ赤く染まっていた。
頬を染めながらエレーンはまた体を曲げた。
さっきは右だったから、次は左なんだろう。
どちらにしろ、いまの体勢では、膝枕では辛いだろうに、エレーンは穏やかに笑っていた。
負担がかかっているだろうに、その負担をものともせずに穏やかに笑ってくれていた。
どうして天使である彼女が、ここまでしてくれるのかはわからない。
でもけっして嫌ではなかった。
むしろなぜか嬉しいと感じる俺がいた。
たぶん唇の感触が「彼女」と似ていたからなんだろう。
悲しいほどにエレーンの唇は、「彼女」とモーレの唇とよく似ていた。
だからなのかな。エレーンだとわかっているのに、モーレとは別人だとわかっているのに、俺はその名前を口にしていた。
「……モーレ」
エレーンが拭ってくれた涙が、再び溢れ出す。
そんな俺を見ても、エレーンは笑うだけだった。
いま俺はとても失礼なことを言ったのに、エレーンはまるで「気にしていない」というかのように笑ってくれている。それどころか──。
「どうしたの、「カレンちゃん」?」
──エレーンはまるでモーレのように振る舞った。
初めて会ったときは、エレーンと初めて会ったときは、モーレのことを、なにも知らないくせにモーレのことを語るエレーンが許せなかった。
そのとき、エレーンにひどいことを言ってしまった。
でもいまはエレーンがモーレのように振る舞っているのに、不思議と怒りは沸き起こらなかった。
「ごめんね、モーレ。俺は君を守れなかった」
「……ううん。守ってくれたよ。カレンちゃんは守ってくれた。そしていまも私の弟妹たちを守ってくれている。ありがとう。大好きだよ、カレンちゃん」
エレーンが、いや、モーレが笑いながら泣いている。
拭ってあげたいのに、体が不思議と動かない。意識が遠ざかっていくのがわかる。
「おやすみ、カレンちゃん。あなたが起きるまで、私は「私」のままでいるからね。だから安心して休んでね」
モーレが笑っている。笑うモーレをぼんやりと眺めながら、俺は意識を再び手放した。
続きは明日の十六時になる予定です。




