Act8-34 またひとり
血が噴きあがった。
宙に舞う血が灯りに照らされて、わずかに輝いていた。ジズ様の手は、手刀の形を取っているジズ様の手は血に染まっていた。
ティアリカさんの首筋にためらいなく振り抜かれた手刀が血に濡れている。血に染まったジズ様の手を眺めながら、俺は大きく、荒い呼吸を繰り返していた。
「た、大将」
ティアリカさんが驚いた顔をしている。
そりゃそうだろうね。
とっさのことすぎて、なにが起こったのかもわかっていないだろうし。
俺自身、もう一度やれと言われてもできる自信はない。
でもこうしてティアリカさんを守れたのだから、問題はない。
「ふふふ、お見事ですよ。妹ちゃん」
ジズ様はとても楽しそうだ。反面俺は楽しくない。楽しいわけがなかった。
「……見事とかはいいので、いい加減手を引いてくれませんかね?」
「手のひら、ぺろぺろしていいなら」
ぽっと頬を染めながら、おかしなことを言い出すジズ様。
発言自体はおかしいけど、行為事態はそこまでおかしくはない。
なにせ俺の手は、手のひらはジズ様の手刀を防いだことで大きく裂けているのだから。
でもティアリカさんを守れたのだから、結果オーライだ。
そもそもタイミングを教えてもらったのだから、守れないなんてありえない。
そう、俺はジズ様がティアリカさんの首を落とすと宣言したとき、ジズ様に念話で言われたんだ。
『それでは守ってあげてくださいね、妹ちゃん。それなりに本気で首を落とすつもりですから』
『へ?』
いきなりの宣言に唖然としたが、ジズ様は俺の困惑をよそに行動に出られてしまった。
いままで俺の下に、俺を膝の上に座らせていたはずだったのに、気づいたときはティアリカさんのすぐそばにいて、ティアリカさんの首筋へと手刀を振り抜いていた。
走ったのでは間に合わない。
考えたのは一瞬にも満たない時間だった。
目を細めて、「刻」の力を発動させた。すべての時が止まり、その中を俺は駆け抜けていった。
以前よりも長く時を止めることができるようになったばかりだったけれど、それでも余裕は皆無だった。
「鎮守の森」に至るまでの一週間、ただ旅をしてきたわけじゃなかった。
恋香に教わって、「刻」属性の練習をひそかにしていたんだ。
『「刻」属性は、「天」属性と同じく、最上位の属性になります。ですが、いまのあなたはその「刻」属性をまがりなりに使えています。があくまでもまがりなりに、です。本来の「刻」属性はそんな半端ではありません。ゆえにいまのあなたのそれは最初から使えていた「天」と同じ半端な力という風に思っていてください』
恋香曰く俺の「刻」の力は半端なものでしかないようだ。
その半端な力であっても、基本属性とは比べようもないのが、最上位属性と呼ばれる由縁なんだろう。
で、だ。そんな半端な力であっても、曲りなりに使えるのだから、訓練はしておくべきと言うことで、訓練をしていた。
そのおかげでジズ様の手刀がティアリカさんの首筋に到達するまでに間に入ることができた。
最良なのはティアリカさんを抱き抱えて、後退できればよかったのだけど、「刻」の力を使って限界まで時間を遅くしても、ジズ様の手刀は速かった。
ほかのすべてがコマ送りのように徐々に動いていたのに、ジズ様の動きはスローモーションをしているかのようだった。
ゆっくりではあるけど、ほかの何十倍も速くて、抱き抱える余裕はなかった。こうして受け止めるのが精一杯だった。
それでもティアリカさんを守れたのだから、よしとするべきなんだろうね。
手はめちゃくちゃ痛いけど、また目の前で喪うよりかは、はるかにましだもの。
「た、大将。お手が」
「……大将じゃないでしょう?」
さっきは「言っていた」のに、いまは元の大将なのはどうかと思う。
とはいえ、俺も元通りの呼び方をしてもまた元通りになるだけだ。
ならば俺から変わればいいだけだ。
「ちゃんと言ってくれる? 「ティアリカ」」
……うん、変わればいいと思っていたけれど、これ、結構恥ずかしいね。これでティアリカさんが頬を染めていなかったら、それはそれで恥ずかしいことになるんだけど──。
「……お守りいただきありがとうございます、「旦那様」」
──恐る恐ると振り返ると、そこには頬を染めたティアリカさん、いやティアリカがいた。
そしてティアリカは「言って」くれた。俺が望んだ言葉を、ほかの嫁たちと同じで「旦那様」と俺を呼んでくれた。
その姿は胸がどきりとするほどにかわいかった。
手のひらの痛みさえ感じなくなるほどにかわいいと思った。
なんだかんだで俺もティアリカを好きだったんだなぁといまさながらに理解したんだ。




