Act0-83 冒険者として その三
くるり、と独楽のように回転し、その勢いを乗せての右のミドルキック。
でか犬は、右足を咥えこもうと、口を開けたが、なにかを感じ取ったのか、受けとめるのをやめ、姿勢を低くして、避けてしまう。
咥えこんでくれれば、二度と上顎と下顎を噛み合わせることができなくしてやれたのだけど、さすがにそううまくはいかない。
それどころか、空振ったおかげで体勢が悪くなってしまっていた。
でか犬は、ここぞとばかりに噛みついてきた。
俺は脚を振り抜いてしまっているから、でか犬に背中を向けてしまっているため、大きな隙が生じていた。その隙を衝かれてしまった。当然俺がでか犬の立場であっても、攻撃を仕掛ける。これはスポーツの試合じゃない。命を懸けた実戦だった。当然俺が振り返るまで、待ってくれるわけもない。
だからこそ、でか犬の行動は、間違いじゃない。むしろ正しい。
しかし正しいからと言って、それが正解だとは限らない。
俺はたしかに右脚を振り抜いていた。ここから振り返るためには、まず足を着き、体の向きを調整する必要があった。
だが、でか犬は俺に振り返させる余裕を与える気はないのか、すでに口を大きく開き、噛みつきに来ていた。振り返るための手順を踏むのと、でか犬に噛みつかれるのが、どっちが速いのかは、考えるまでもない。だが、それはあくまでも普通に振り返るのであればの話だ。この場合もっと簡単に振り返る方法があった。
軸足の左足ごと回転する。その回転の勢いを乗せて、後ろ回し蹴り。いや、ローリングソバットの方が近いか。とにかく右足のかかとを斜め上から思いっきり振り下ろしてやった。さすがのでか犬も反応しきれなかったようで、顔に直撃した。
「よし、これで」
倒したと思った。だが、信じられないことに、でか犬は、かかとの動きに合わせて、首を振り、衝撃を受け流してしまう。
「スリッピング・アウェーって」
正確には違うのだろうけれど、その動きはボクシングの高等技術であるスリッピング・アウェーと同じものだった。本来はパンチの衝撃を受け流すものだけど、でか犬は蹴りでそれをやってのけた。
どれだけの実戦を繰り返せば、そんな高等技術を、狼が使えるようになるのだろうか。それとも単純にこいつのセンスがずば抜けて高いのか。どちらにせよ、すぐに「討伐」させてくれそうにはないようだ。
「ナイトメアウルフにまで至った個体だ。相当の激戦を繰り広げてきたのだろうさ。油断はするな」
ベルセリオスさんに注意されてしまう。されるまでもないことだけど、ナイトメアウルフにまで至るということは、三回も進化してきたということだ。通常のウルフから、ブラックウルフに進化するだけでも、相応の数がふるい落とされるという話だ。その進化をさらに二回行い、ようやくたどり着いたのがナイトメアウルフ。
パワーレベリングでもされていない限り、魔物が三回も進化するということは、それ相応の激戦を繰り広げ、そして生き延びてきたという証だ。それはこのでか犬も、さっきのメスのナイトメアウルフも同じだろう。
だからこそ強敵だった。
仮にナイトメアウルフになりたての個体だったとしても、そこに至るまでの経験値は、俺とは比べようもない。しょせん俺なんて、数週間前までは、日本で普通の女子校生だった。命がけの戦闘なんて、この世界に来るまで、一度もしてこなかった。
一心さんや弘明兄ちゃんとの稽古では、死ぬと思ったことは何度かあったけれど、本当に死ぬことはなかった。だが、こいつは違う。一歩間違えれば、死ぬ戦闘を、数えきれないほどに繰り返し、いまに至っている。その経験の差は、いまの俺では埋めることができない。
身体能力はたぶん互角か、少し俺が劣っているかもしれない。そこに戦闘経験の差まで含まれたとなれば、俺がかなり不利ってことになる。
俺に勝ち目があるとすれば、ベルセリオスさんが言っていた、連撃を当てること。しかし普通に連撃を放っても、避けられるのは目に見えていた。
それを当てるために、まず相手の動きを封じる一撃を当てる必要があった。その一撃がなかなか当てられない。狙い澄ました一撃と言えば、聞こえはいいが、要は気合のこもった一撃を当てればいいってことだ。
が、そんな一撃なんて、当然読まれやすい。その一撃を隠すために連続で攻撃する必要がある。つまりは連撃の中に本命を隠すということだ。
倒すための連撃を放つために、動きを止めるための一撃を隠す連撃を行う。完全に卵か先か鶏が先かって話になってしまっていた。
そしてそれはでか犬も同じだ。あいつも俺を殺すには、単発の攻撃では難しいとわかったはずだ。そうなると、ここからは騙し合いってことになる。
どっちがより相手を騙せるか。その勝負になる。
ナイトメアウルフ特有の幻覚を使われれば、かなり不利になる。だが、でか犬はたぶん使ってはこないだろう。幻覚をどうやって見せているのかはわからないけれど、それ相応の手順を踏むであろうことは、予想できる。ノーモーションで幻覚を見せることができるとなれば、それはもうBランクの魔物とは言えない。低くてもAランク。下手をすればSランク相当になる。
けれどナイトメアウルフはBランクの魔物だから、ノーモーションで幻覚を見せることはできないはずだ。なにかしらの手順を踏むはず。そしてその手順を踏む余裕を俺が与えるわけがなかった。それはでか犬がよくわかっているはずだ。
メスのナイトメアウルフには、幻覚を見せられてしまったけれど、あれは距離が開いていたからできたのだと思う。その証拠に距離を詰めて、攻撃を始めてからは、幻覚を見せられることなく、「討伐」まで持っていけた。
つまりナイトメアウルフの幻覚は、距離が開いていないと使えないものなのだろう。もしくはわずかにだが、時間がかかってしまうということなのだと思う。
だが、こうしてすぐそばにいるかぎり、でか犬は幻覚を使えないはずだ。絶対に使えないとは言い切れないから、油断しないように構えておこう。逆に言えば、幻覚に対して、俺にできる対処法はそれくらいしかないということでもあるけれど、もともと不利な状況ではあるのだから、いまさらなことだ。
となれば、ここからする行動は決まっている。下がらずに撃ち合う。でか犬がそれに乗ってくれるかどうかはわからない。でか犬にとってみれば、下がって幻覚をかければ済む話だ。それだけでより優位に立てる。もっとも下がってもすぐに追いかけるから、幻覚を使わせる余裕なんて与える気は一切ない。
それどころか、これ以上攻撃させるつもりさえなかった。ソバットは受け流されてしまったが、放ったおかげで無事に振り返ることができたし、相手の攻撃を潰すこともできた。なら次の攻撃を放とう。
間髪入れずに左の膝蹴りを放つ。当然天属性を付与させた。でか犬の腹の内はわからないが、少なくともいまできる攻撃で最も早いのが膝蹴りであることには変わりない。
スリッピング・アウェーをした以上、顔の向きを元に戻さなければならない。でなければ、そのまま撃ちこまれるだけだった。
それは狼であっても変わらない。そこを狙う。受け流して、少しほっとしつつも、気を引き締めながら、顔の向きを戻したところに膝蹴りが来たら、はたして反応できるだろうか。いくらなんでも無理なはずだ。ならばこれは当たるはずだ。
でか犬は、予想通り、顔の向きを戻した。そこに俺の膝が突き刺さろうとしていた。当たる。そう確信を持った膝蹴りが、でか犬の顔に直撃した。そう思った。
だが、でか犬はあろうことか、左の前脚を軸にして、右の前脚を振り抜いてきた。俺がソバットで振り返ったように、でか犬は、まるでケルちゃんのネコパンチのような一撃で膝蹴りを避けつつ、攻撃してきた。とっさに体を捻って、ネコパンチは避けたが、距離が開けられてしまいかねない状況だった。
舌打ちをしつつ、急いで追いかけようとしたが、でか犬はなぜか下がろうとしていなかった。むしろその場で地に足を着けると、そのまま突っ込んで噛みついてきていた。
どうやら撃ち合いをご所望のようだった。
犬のくせして、カッコいいことをするじゃねえか。不思議と俺は笑っていた。笑いながら、今度は右足を軸にして左足でのローリングソバットを放った。でか犬の牙と俺のかかとが交差し、そのまま立ち位置を入れ替わり合う。反転し、今度は右足でのミドル。でか犬も反転し、再び噛みついてきた。
俺だけではなく、でか犬も一歩も退く気がないようだ。
「上等だ。でか犬!」
俺は叫んだ。でか犬も叫んでいた。お互いの叫びと攻撃が延々と交差していく。退かずに勝つ。お互いにそれだけを考えながら、俺とでか犬は撃ち合いを続けた。




