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Act0-80 「英雄」見参

「さようなら、カレンちゃん」


 モーレは笑いながら、まぶたを閉じた。


 頬を撫でてくれていた手が、不意に止まる。そして力なく、地面に落ちた。


 落ちた手をそっと掴む。手首に指をあてる。脈がなかった。いや、まだある。けれどほとんど止まっていた。


 慌てて、胸に耳を当てる。


 心臓が鼓動していない。ほんのわずかにだけ、動いていた。


 だが、すぐに止まった。耳をどれだけ強く当てても、鼓動が聞こえない。心臓が再び動き出してくれることはなかった。


「モーレ?」


 声をかける。けれどモーレはもうなにも言わない。


 さっきまで話をしていたのに。さっきまで笑っていたはずだったのに。もうなにも言わない。


 左頬にされた口づけの感触がまだ残っている。それでも、もう二度とモーレが動くことはない。


「死なないでよ、モーレ。ねえ、冗談なんだろう? 悪い冗談なんだよね? これも魔法なんだろう? 魔法で、そう、幻覚を見せているんだろう?」


 腕の中にいるモーレをそっと揺さぶった。


 けれどモーレはなにも言わない。閉じたまぶたが開くことがない。


 視界が歪む。頬が濡れていく。今日だけで、もう何度頬を濡らしただろうか。


「モーレ。やめてよ。ねぇ、悪い冗談は、もういいよ。もういいってば。目を開けてよ。もう一度名前を呼んで。俺の名前を。カレンちゃん、ってまた言ってくれよ」


 モーレを抱き締める。


 けれどモーレはなにも言わない。溢れ続けていた血は、すでに止まっていた。


 モーレの血で、エンヴィーさんにもらったローブが染まっていく。


 黒いローブだから、血に染まっても大して変わらない。それでもモーレの血で体が染まっていくのがわかる。モーレに包まれていく。それがなによりも悲しい。


「嫌だよ、モーレ。俺をひとりにしないでよ」


 地球に戻れば、友達はいる。


 けれどこの異世界で、友達はモーレしかいなかった。


 エンヴィーさんやククルさんたちは、面倒を見てくれているけれど、友達じゃなかった。


 どんなに親しくしても、友達になってくれない。一線を越えてくれない。一線を越えてくれたのは、モーレだけだった。


 モーレだけが、この世界における俺の支えだった。一番大きな支えになっていた。


 そのモーレがいなくなってしまった。少し前までは、話をしていたのに。笑っていたのに。キスもしてくれたのに。モーレはもう動かない。モーレではなくなってしまった。


 そう、いま腕の中にいるのは、モーレじゃない。モーレだったもの。モーレはもうどこにもいない。


 わかっている。わかっているんだ。もうモーレが死んでしまっていることは。もう旅立ってしまっていることは。誰よりも理解している。


 それでも縋らずにはいられない。


 こうして縋っていれば、モーレがまた口を開いてくれるんじゃないかって。また目を開けてくれるんじゃないかって。泣きすぎだよ、カレンちゃんって呆れながら笑い掛けてくれるんじゃないかって。そう思ってしまう。


 ありえないことだって、自分で理解していても、縋らずにはいられない。奇跡が起きることを期待せずにはいられなかった。


 だけど奇跡は、そう簡単に起きないからこそ、奇跡だった。


 どんなに縋っても。泣いても。死者が蘇ることはない。


 蘇ったとすれば、それはただのリビングデッド。モーレ自身ではない。モーレの体に乗り移った、いやモーレを冒涜する、憎い相手でしかない。


「モーレ」


 それでも、それでも、俺はリビングデッドであっても、モーレにまた会いたかった。


 でもダメだ。モーレの死を受け入れなければならない。でなければ、モーレにまた出会ったとき、胸を張ることができない。


 何年後になるかはわからない。地球に戻っているのかも。この世界で果ててしまっているのかもわからない。だが、死後の世界で彼女と出会ったときに、胸を張れるのは、その死を受け入れたときだけだろう。


 受け入れずに、ただ泣きじゃくっているだけでは、きっとモーレは笑ってくれない。


 笑ってモーレともう一度会うためには、受け入れるしかなかった。


 どんなに辛くても。どんなに悲しくても。いまはただ受け入れることだけが、モーレにしてやれることだった。


「……大好きだったよ、モーレ」


 そっとモーレの頬に口づける。


 こうしてキスをするのは、初めてだった。たとえそれが頬であったとしてもだ。そしてそれが同性の、友達だったとしても。


「これが、俺のファーストキス。モーレにあげるね。気持ち悪いかもしれないけれど、お返しだよ」


 モーレのキスが、どんな意味を持っていたのかは、もうわからない。


 親愛を示していたのかもしれないし、単にしたかっただけなのかもしれない。もしくは、そういう意味でのキスだったのかもしれない。


 いずれにせよ、確かめることは、もうできない。


 だってモーレはもういなくなってしまったのだから。だから確かめられない。そのキスに込められた想いが、なんだったのかを、俺は知ることができない。


 ならせめて、俺のファーストキスで、応えたかった。


 意味はないかもしれない。ただの感傷と言われれば、否定できない。それにいきなりキスをされても、モーレが困るだけなのかもしれない。


 まぁ、いきなりキスをされたのは、俺も同じだから、意趣返しとしてはありかもしれない。


 意趣返しにファーストキスを捧げるとか、やっぱり俺の女子度は、壊滅的なのかもしれない。


 ある意味では、高いと言えなくもないけれど、俺としては壊滅的だと思う。


 そんな壊滅的な女子度の俺のファーストキスなんて、モーレには嬉しくもなんともないだろうけれど、それでもいま俺ができる唯一の手向けではあることには変わらない。


「俺、強くなるよ。もう二度と、目の前で誰も喪わないように。守りたい人を、この手で守り切れるように。だから見ていてね。俺が強くなるのを。見ていてほしい」


 強く抱きしめた。もうモーレではない。わかっている。それでも抱きしめずにはいられなかった。止まっていた涙が再び溢れていく。


 溢れる涙が、モーレの頬を濡らしていく。


 血の気を失い、真っ白になったモーレの頬に溜まっていく涙。汚したくない。けれど涙は止まらない。止まらないまま、モーレを強く抱きしめていた。そのとき。


「跳べ!」


 声が聞こえた。


 モーレを抱き締めたまま、跳び上がる。


 黒い塊が、俺たちがいた場所を通過していく。その姿を見て、俺は言葉を失った。


「ナイトメア、ウルフ」


 黒い塊は、死んだはずのナイトメアウルフだった。


 さっきまではたしかに死んでいたはず。いや、死んでいたふりをしていたのだろうか。


 体にいくつもの穴を開けながら、まだ生きている。どういう生命力だろうか。


 黒くて、素早くて、生命力がある。あの嫌われ者が思い浮かぶ。だがいまの俺にとっては、あれ以上の殺意を抱かせてくれる。


「なんで、生きているんだよ、てめぇ!」


 叫びながら、天属性を付与させた、かかと落としを放った。


 ナイトメアウルフは、飛び下がることで、避けてしまう。


 だが逃がさない。


 回し蹴りを放つ。また避けられる。


 殺す。こいつだけは、俺の手で殺す。


 殺意が溢れる。涙の代りに殺意が次々に溢れ、殺意が攻撃に乗っていく。


 ナイトメアウルフは、必死に避けている。攻撃をしかける余裕はないようだ。


「死ね、死ね、死んじまえ!」


 殺意が先行している。


 自分でもはっきりとわかる。冷静でいられない。


 こいつを殺したくてたまらない。いや殺したい。殺すべきだ。


 なんでモーレが死んで、こいつが生きている。


 こいつがいなければ。


 こいつさえいなければ。


 先行する殺意が、ナイトメアウルフを目でとらえるたびに、膨れ上がっていく。


 気づけば、喉の奥から獣のような雄叫びを上げていた。


 ナイトメアウルフの体が一瞬だけ硬直し、回避が遅れた。


 後ろ回し蹴りが、ナイトメアウルフの顏に入った。


 畳みかけられる。そう思ったが、手ごたえがおかしい。あまりにも軽すぎる。生き物を蹴ったという感触がない。


「後ろだ!」


 声がまた聞こえた。


 振り返れば、ナイトメアウルフが突っ込んできていた。


 回し蹴りどころか、蹴りを放つ余裕もない。だが──。


「それがどうした!」


 叫びながら、ナイトメアウルフよりも低く、踏み込んだ。そしてナイトメアウルフの顎めがけて、跳び上がる。


 ナイトメアウルフの顎を跳ね上げ、折れた牙が、宙を舞った。今度は幻覚じゃない。


「駄犬のくせに、調子乗るなよ」


 着地し、ナイトメアウルフを睨み付ける。


 ナイトメアウルフは口から血を滴らせながら、俺を睨み付けている。


 目が血走っていた。あいつもとっくに切れているってことだ。だが、あいつの怒りよりも、俺の怒りの方がもっと強い。


「おまえは生きていちゃいけない。おまえは死んでなきゃいけないんだよ!」


 今度は俺から攻め込む。


 右のミドルキック。ナイトメアウルフの大きさだと、ハイキックでは空振りするだけだった。


 が、攻撃が単調すぎたのか、ナイトメアウルフには避けられてしまった。


 両手が塞がっていなければ、とは思うが、構わない。


 今度こそモーレを守りながら、こいつを始末する。


 いやモーレの代りに、こいつの息の根を止める。モーレがしそこなったことを、俺が代りに果たす。キス以上の手向けになるだろう。


「おまえは俺が」


 絶対に殺す。


 そう叫びながら、蹴りを放とうとした。


 だが、不意に体を引っ張られ、引き倒された。


 尻もちをつきながら、顔をあげると、そこには、背の高い金髪の男が立っていた。



 一瞬勇ちゃんかと思ったが、勇ちゃんとは雰囲気があまりにも違いすぎていた。それに──。


「仮面?」


 その男は、口から上を仮面で隠していた。仮面から覗く瞳は、紅い。勇ちゃんとは違っている。


「落ち着け、小娘。そんな闇雲に攻撃をしていては、仇を取ることなどできるわけがなかろう」


「なにも知らないくせに!」


「ああ、そうさ。私はなにも知らぬ。だが、天の力の使い方くらいは知っているよ」


「え?」


 天の力の使い方。


 男はたしかにそう言った。


 エンヴィーさんさえ使えない力。


 そもそも天の力は「英雄」だけが持つ力のはずだった。


 ラースさんにそう教えてもらった。ということは、この男は「英雄」なのだろうか。


「あんたはいったい」


「私の名は、ベルセリオス。初代英雄ベルセリオスだ」


「ベルセリ、オス。本物なのか?」


「私に偽物がいるかどうかは知らないが、少なくとも、そなたに天の力の使い方くらいは、教えてやれる。が、悠長にレクチャーをしてやる暇はないな」


 男が、ベルセリオスが傷だらけのナイトメアウルフから視線を外し、あらぬ方向を見やる。すると繁みの中から、ナイトメアウルフが現れた。


「もう一頭いたのか?」


「小娘。そなたは傷だらけの方をやれ。私は無傷の方を始末する。大切な友人の仇を討て。守りたい人を守る力を得るんだろう? 力を貸してやる。だから、ここで憶えろ。天の力を、いや」


「英雄」の力の一端を手に入れてみせろ。ベルセリオスが言う。その言葉に俺は力強く頷いた。

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