Act0-77 友達 その十三
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カレンがダークネスウルフの下敷きになっている。
自分もまたナイトメアウルフに組み伏されていた。
ナイトメアウルフは、ダークネスウルフよりも小型な狼だった。
もしかしたら、ブラックウルフよりも小さいのかもしれない。
だが、その小柄なナイトメアウルフに組み伏されていると、これがブラックウルフよりも下手をすれば小型だとは、とうてい思えなかった。
ブラックウルフとは、なにもかもが違っている。
ダークネスウルフとも一線を画していた。
それほどまでにナイトメアウルフは、規格外の存在だった。
後ろ脚の一本で体を押さえこまれているのだが、ブラックウルフ程度であれば、どうにか押し返すことはできる。
ダークネスウルフになれば、その大柄な体格のために押し返すことはできない。
しかしブラックウルフとさほど変わらない大きさであるはずなのに、ナイトメアウルフを押し返すことができなかった。
まるで地面に吸い付かれているかのようだ。
そう思うほどに、体を地面から離すことができなかった。
その小柄な体に、ありえないほどの膂力。
これではドワーフでも押し返すことはできないかもしれない。
ハーフフッド族である自分では、とうてい押し返すことはできそうにない。
ならば魔法を使おうとしても、詠唱を始めようとする瞬間を見計らって、ナイトメアウルフが力を込めて来る。
骨が、体が軋む。その痛みに詠唱を中断すると、力を抜かれる。
しかし決して抜け出すことができない程度にしか、力が抜かれないので、自分だけでは、どうあっても脱出はできそうにない。
仮にできたとしても、すぐに組み伏されるだけだ。
ナイトメアの速さは、自分程度は知覚することさえできなかった。
黒い風が巻き起こった。
そう思ったときには、組み伏されていた。
慌ててナイフで牙から守っていたが、いま思えば、あれは明らかにおかしかった。
ナイトメアウルフの速さがあれば、ナイフで防御することなどできないはずだ。
そうしようとしている間に、喉笛を噛みちぎられていたはずだ。
それができるほどに、ナイトメアウルフは速かった。
なにせカレンの回し蹴りさえも、簡単に受け止めてしまうほどなのだ。
カレンの攻撃は自分では目で追えない。
その攻撃をあっさりと防いでしまったのだから、ナイトメアウルフがどれほどの速度を誇るのかは、容易に窺い知れた。
そのナイトメアウルフに噛みつかれるのを防げた。
どう考えてもおかしい。考えられるとすれば、わざと見逃されたのだろう。
ナイフを構えるのを見届けてから、噛みついてきた。そうとしか思えない。
実際いまはナイフを構えていないはずなのに、ナイトメアウルフは噛みついてこようとはしていない。
見逃されているというよりは、見下されているのだろう。
もっと言えば、歯牙に掛けられてさえもいない。
ナイトメアウルフにとって、脅威であるのが、カレンだけであり、自分なんていつでも食い殺せる存在でしかないのだろう。
ただ魔法を使われるのは面倒だから、詠唱をはじめるたびに、体を軋ませる。余計なことをするな、ということなのだろう。
だが、その余計なことをせずにはいられない。
なにせカレンの命がかかっているのだから。
カレンはダークネスウルフに圧し掛かられていて、まともに身動きが取れないようだった。
仮に抜け出せたとしても、自分たちの周囲には無数のブラックウルフと、十頭ほどのダークネスウルフがいる。
あのダークネスウルフの戒めから抜け出せても、別のダークネスウルフに圧し掛かられるだけだ。
それでもカレンはきっと自分を助けるために、抜け出そうとするだろう。
守ると言ってくれたからだ。いや自分が守ってほしいと言ってしまったからだ。
なんであんなことを言ってしまったのだろうか。
こんなことになるなんて思ってもいなかった。
あのときは、まさかこんなことになるなんて想像もしていなかった。むしろ想像できる方がおかしいだろう。
だが、それでも思う。
なんで言ってしまったのだろう、と。
罪人のくせして、どうして助かろうとしてしまったのだろうか。
自分があんなことを言わなければ、少なくともカレンがこんな目に遭うことはなかっただろう。
いや、そもそもカレンを巻き込まなければこんなことにはならなかった。
あの盗賊団と真正面からぶつかっていればよかった。
カレンを利用して、盗賊団を潰そうとしなければよかった。
そうすれば、カレンがいまこの場にいることはなかったはずだ。こんな窮地に立たされることはなかった。
ああ、そうだ。
すべて自分のせいだ。
カレンを巻き込んだのも自分のせい。
カレンが戦い方を限定させられてしまったのも自分のせい。
なにもかもが自分のせいだった。
自分さえいなければ、カレンがこんな目に遭うことはなかった。
そもそもカレンと出会わなければ、カレンが怪我をすることも、その手を汚すこともなかった。
なんてことだ。
自分はただの疫病神でしかないじゃないか。
なんでこんなことになったのか。
自分がいたからだ。モーレという復讐者が存在してしまったから、こんなことになった。
弟妹たちもいままで切り捨ててきた手下や「獲物」となった者たちも、みな自分がいたせいで、道を閉ざされてしまった。
すべては自分の責任だった。
自分さえいなければ、こんなことにはならなかったんだ。
「……ごめんね、カレンちゃん」
私のせいで、本当にごめんね。
涙が頬を濡らす。あまりにも情けなくて、涙が溢れてしまう。どうやっても止まらない。止まらないまま、カレンを見つめる。
カレンは必死に腕を伸ばしていた。
届かない距離にいる自分に手を伸ばそうとしている。
無理をしないで。そう言うのは簡単だった。
だが、カレンの姿を見ていると、そんなことは言えない。
もうどうしようもない状況だというのに、必死になって、生にしがみつこうとしている姿に、もう諦めようなんて言えるわけがなかった。
どうしてそこまで必死になれるのか。
どうしてそこまで生きようとするのだろうか。
どうしてそこまで私なんかを守ろうとしてくれるのか。
わからない。カレンの行動を、まるで理解できなかった。
「もう、いいよ。もう十分だよ」
聞こえないかもしれない。それでも言わずにはいられなかった言葉を呟いた。
「ダメだ。まだ俺は諦めない」
カレンが言った。
聞こえないと思っていたのに、カレンはたしかにそう言った。
カレンの目には光がある。心が折れていれば、決してできないまなざし。
この子は本当にどうなっているんだろう。
どうしてこんな状況になっても、心を折らずにいられるのだろう。
モーレには理解できなかった。
「なんで」
「約束したから。モーレを、君を守るって、俺は約束した。だから守るんだ。絶対にモーレを守るんだ」
カレンが叫ぶ。
叫びながら、ダークネスウルフを押し返そうとする。
だが、ダークネスウルフは力を込めてカレンを地面に押しつぶす。
地面に倒れ伏しても、カレンはまだ諦めようとしていない。
絶対に諦めない。
カレンの目には、決して屈しないという光が見て取れた。
どくんと胸が高鳴った。
なんてことを、なんて恥ずかしいことを、素面で言い切るのだろうか、この子は。
女の子ではなく、男の子であれば、いまの言葉で自分は確実に落ちていたかもしれない。
女の子でよかったと思う反面、どうしてか、胸の高鳴りが収まってくれない。これでは、まるで──。
「……ああ、そっか」
落ちてしまっていたかもしれない、じゃない。もうとっくに落ちてしまっていたんだ。
自分はとっくにこの子に心を奪われてしまっていた。
皮肉な話だ。
誰かの人生を奪ってきた自分が、最後の最後で、年下の少女に心を奪われてしまっていたことに気付くなんて。
そういう趣味はないと思っていたのだが、どうやら間違いだったようだ。
いや間違いではないか。
少なくともカレンと出会うまでは、恋愛をするのであれば、異性とだろうと考えていた。
それがまさか同性に恋をしているのだ。
ほかの女の子であれば、きっと恋をしなかった。カレンだからこそ、恋をしたのだろう。
女性を性的に見つめていたわけではなく、カレンだからこそ恋をした。
それだけのことなのだろう。
だが伝える気はない。伝えたところで、カレンは自分を友人としてしか見てくれない。なら言う必要はない。ないけれど、せめて意地くらいは張りたい。
いや違う。
最後くらいは、カレンを見惚れさせたい。
いつまでも年下の女の子に紅潮させてられっぱなしでは終われない。最後くらいは、カレンの頬を真っ赤にしてあげたい。
「どう? お姉さんはカッコいいでしょう?」
そう言って笑い掛けてあげたい。いや笑い掛けるんだ。年上の意地を見せてやる。
「光よ」
まぶたを閉じる。
全神経を集中させての詠唱を始める。
ナイトメアウルフが力を込め、体を踏みつけて来る。
骨が軋んだ。体から嫌な音が聞こえてくる。それでも構わずに詠唱を続ける。
詠唱するのは、光の中位魔法。一定範囲内の敵対者を断罪する光の槍。自分が使える最大最強の魔法。
ナイトメアウルフをはじめ、周囲にいる狼たちは、すべて闇属性の魔物だ。
ブラックウルフであれば、跡形もなく消滅する。ダークネスウルフでも一撃死。ナイトメアウルフには、どこまで通用するかはわからないが、少なくとも、無傷ではいられないはずだ。
多少でも手傷を負わせることができれば、カレンならナイトメアウルフさえ倒せるはずだ。
いや、もともと自分さえいなければ、カレンならナイトメアウルフさえ相手にもならなかっただろう。
だからこそ、その迷惑料を払ってあげなければならない。
それが年上の意地ってものだ。大人の女として、カレンにしてやれる最初で最後のことだった。
「光よ、集え。集いて、光の槍となれ」
詠唱を続けると、ナイトメアウルフが小さく吼える。
数頭のブラックウルフが噛みついてきた。いや自分の体に食らいついてきた。
生きながらに食われる。魔物を相手に負けた場合、起こりうる最期。だが自分にはお似合いの最期だ。
詠唱を止めるのであれば、喉笛を噛みちぎればいいのに、あえてそれをしないということは、これで詠唱を止めると思ったのだろう。
どういう理由で嬲り殺しを選んでいるのかまではわからないが、ナイトメアウルフが見下すあまりに、自分を甘く見ていることがよくわかった。ならその隙を衝かせてもらおう。
「やめろ! モーレ、もういいから、やめてくれ!」
カレンが叫ぶ。だが、やめるつもりはなかった。
たとえ四肢を食い尽くされたとしても、喉笛を噛みちぎられたとしても、詠唱をやめる気はない。
痛みなんかでは、自分を止めることはできない。
「大いなる母神よ。我が命を捧げます」
通常では、もう詠唱は終わっている。
だが、追加の詠唱を施す。これは自分の生命力を使って、対象者をどんな攻撃から一度だけ守り切るもの。
カレンは敵対者ではないから、追加の詠唱など本来は必要ない。
しかし念には念を入れておきたい。
いままで騙し続けてきた友人、いや、想い人に少しでもおわびをしたかった。
それに命を懸けなかったとしても、もう自分は死ぬだろう。
もう感覚がなくなっていた。ならば残り僅かな命を、カレンのために燃やし尽くしたかった。
「我が想い。我が願いを聞き届けたまえ」
追加の詠唱も終わる。
同時にナイトメアウルフが短く吼え、右腕に噛みついてきた。腕が肩ごと千切れ、ナイトメアウルフの口の中に収まる。カレンが叫んだ。見れば泣いていた。
「泣いているカレンちゃんは、初めて見るなぁ」
思わず笑っていた。
カレンがまたなにかを叫んでいるが、その声がよく聞こえなかった。
ごめんねと呟いてから、ナイトメアウルフを、いや目の前の犬に向かって叫んでやった。
「私を甘く見るなよ、この駄犬!」
睨み付けると、ナイトメアウルフはなぜか怯んだ。
ここだ。モーレは最後の一節を口にした。
「来たれ、光の槍。我が敵を貫け!」
無数の光の槍が、光の中位魔法「輝煌槍」が、無数のブラックウルフをはじめとした狼たちを、次々に貫いていく。
ナイトメアウルフも光の槍の前には為す術もなく、その身を貫かれていく。
「カレンちゃんにカッコいいところを見せられたかなぁ」
モーレは笑いながら、そっとまぶたを閉じた。
誰かが駆け寄ってくる。その足音を耳にしながら。




