Act7-89 白い流星
本日十話目です。
黒い肉塊がそこにはいた。
どろどろに溶けた肉の塊がそこにはいた。
「これはまた」
呻かずにはいられない。それほどに相手は醜くかった。
「……竜族かしら?」
ヴァン、もといティアリカが目の前の肉塊を見て洩らした言葉は、すぐには頷けなかった。
これを竜族と思える方がおかしい。しかしティアリカはもう断定しているようだった。
「無惨ね。もとは名のある竜族だったかもしれない。もしくは若すぎる竜だったのかもしれない。どちらにしろ、いまはその面影もない。むしろいまのあなたは、この世界にあってはならない存在となってしまっている。いまのあなたは存在すればするほど、この世界を歪めてしまう。だからこそ、消滅させなければならない。いえ、消滅させてあげるのがせめてもの手向けと「手前」は考えています」
肉塊はなにも言わない。
言葉を発するほどの知性が残っているのかさえもわからない。
いや、そもそもこちらの言葉さえわかっているのかもわからない。
「参りましょう、マモン。「剣仙」と謡われたかつての技。いまここに」
ティアリカの表情はなくなっていた。いや目だけが、肉塊を見やる目だけは肉塊を哀れんでいるようだった。それは実にティアリカらしいものだ。
「できるのか?」
だが、ティアリカらしいとはいえ、ティアリカが「剣仙」と謳われたのは、もう数千年も昔のことだ。
神代の頃には、「剣聖」と対を為すと謳われていたが、いまや「剣仙」の名はほとんど知られていないだろう。ティアリカはその名を捨てたのだから。「剣仙」の名を、兄の死とともに捨て去った。
だから現代に生きる者は誰も「剣仙」の名を知らない。でもそれを彼女は気にしない。むしろ笑い飛ばすんだろうな。
「誰に言っているのです? 「手前」にできぬとでも? 「鍛冶王」である「俺」であればできぬことでしょうね。しかし「剣仙」である「手前」にはできます。ええ、いまの「手前」は「鍛冶王」に非ず。その名は「兄上」だけのもの。ミドガルズとともに舞うこの身は、幾星霜経とうと──」
彼女の言葉にかぶせるように、肉塊が動いた。思ったよりも早い。数メートルはあったはずの距離を一瞬で詰めてきた。
とっさに横に跳び、間に合わせの槍を構えると、そこに彼女はいなかった。
どこにと思ったときには、光が走った。幾重もの白い流星が木々の間を駆け抜けていく。
肉塊はその動きに着いていくことはできないでいた。
やがて流星が肉塊の真横を駆け抜けた。地面を滑る音と土埃が舞った。
やがて音が止まり、土埃が消えると、そこには──。
「──幾星霜経とうと、「手前」は「剣仙」であるのですよ、マモン」
──そこには剣をゆっくりと振り抜いた彼女が立っていた。その背後には斜めに体をずらしていく肉塊がいる。肉塊はゆっくりと地面に倒れた。ぐちゃりという気味の悪い音を立てて地面に倒れ伏す。
「……心配して損したな。昔よりも腕が上がっていないか、おまえ?」
「そこはあれだな。「鍛冶王」としての仕事で剣の使い方を本当にわかったってところだな」
がはははとそれまでの貞淑な様をかなぐり捨ててくれるティアリカ。ティアリカからヴァンにいきなり戻るなと言いたくなる。反応しづらいんだよ。
『主ティアリカ。あまり遊ばれぬよう』
「はいはい、わかっていますよ、ミドガルズ。まだ終わっていませんものね」
ティアリカがまた剣を構えた。同時に斜めに別たれた肉塊が再び動き出す。それも別れた身体が元に戻って手だった。
「……カオスグールとは初めて戦いますが、ここまで再生能力があるとは」
「母神が滅ぼしつくせなかった存在だからな。ベルフェがいれば一発なんだが、俺とおまえとであれば、少々手間がかかるかもしれん」
ベルフェのように対軍用の、超範囲の殲滅攻撃ができれば楽だが、俺もティアリカも対人を得意としている。この手の相手は少し苦手と言ってもいい。
「まぁ、構いません。「手前」は大将が出張るまでの役目でございますからね」
「カレンさんか。だがあの子が来ても」
「ふふふ、大将であればなんとかしてくれると思いますよ? なにせあの子は面白い子です。目を離した時間が長ければ長いほど面白い成長をしてくれると思うのですよ。だからそれまで「手前」はせいぜいひさびさに舞わせていただくと致しましょう」
ティアリカが駆ける。同時に俺も地面を蹴った。
肉塊どもはまだゆっくりと動いているだけだ。だが再び素早く動き出すまで、そこまでの時間はかからないと思う。
であれば、動き出す前までに徹底的に壊すだけのことだ。ティアリカも同じことをしようとしているのか、彼女らしい、昔の彼女を思わせる穏やかだが、獰猛な笑顔で言った。
「さぁ、舞わせていただきましょうか」
続きは十時になります。




