Act7-52 たとえ世界を敵に回してでも
レアの願いを俺は切り捨てた。
なんでもすると言ったくせに、レアに嫌われないためであればなんだってやってやると言ったはずなのに、俺はレアの願いを、レアだけを嫁にしてほしいという願いを切り捨てた。
我ながら酷いとは思う。
矛盾しているとさえ思う。
それでも俺はその願いだけは聞けない。いや聞いちゃいけないんだ。
「……やっぱり、ですか」
レアは答えをわかっていたかのように、平静としていた。でも平静としてはいても、残念がっている。
俺の答えを理解しつつも、みずからの願いを、本心を伝えてくれたんだ。
レアだからできることだ。
いやレアにしかできないことだった。
俺のことを希望の次に理解してくれているレアだから言えるんだ。
希望は決して言わない。希望は自分だけでいいとは言わない。ほかのみんなが俺をどれほど想っているのかを知っているからこそ希望は言わない。希望はそういう子だから。
プーレもまた言わない。というよりもプーレは自分よりも他人を優先してしまう子だ。だから自分だけでいいとは言えないんだ。
エレーンとサラさんは俺の気を惹くのに躍起になっているから、まだ俺を理解してくれているわけじゃない。でも俺がこういうことを言われるのが好きではないと思っているだろうから、 やはり言おうとはしないだろう。
アルトリアは言うだろうね。常々言っている彼女であれば、間違いなく言うはずだ。その言葉がかえって俺の気持ちを冷めさせることにも気付かず、あっさりと言ってしまうだろうね。
やはり俺のことを理解しつつも、本心を伝えようとするのはレアしかできないし、レアだからこそ言えることだった。
「……俺がどう答えるのかなんてわかりきっているよね?」
「ええ。それでもあえて言いました。いいえ、言ってほしかったんですよね?」
「……そうだね」
頷くとサラさんが驚いた。というか理解できない顔をしている。
「えっと、どうしてレア様は「旦那様」のお気持ちが? そもそも言ってほしかったってどういうことでしょうか?」
サラさんが普段とは違う口調だ。間延びしていないのは珍しいね。
それだけ衝撃的だったということか。まぁ、普通に考えればたしかに衝撃的と言っていいことだ。
実際俺がサラさんの立場であれば、困惑するだろうから、サラさんの反応は当然と言ってもいいことだ。
「簡単なことですよ、サラ。「旦那様」は強くて弱い人なんです。だからですよ」
「えっと?」
レアが要点だけをまとめたことを言ってしまう。
要点だけをまとめるのはいいんだけど、それじゃ理解できないでしょうに。
というかわざと言ったな?
レアってば意地悪なことをしているね。まぁ、そういうところもレアらしいか。
「あー、自分で自分のことを語るのは気恥ずかしいんだけどね」
前置きを言ってから、できるだけわかりやすく、噛み砕いて説明することにした。
「……レアが言った通りでさ、俺って弱いんだよ。特にここが」
とんとんと自分の胸を叩くとサラさんは「心ですか?」と聞き返してきた。頷きで返事しながらも、徐々に恥ずかしさが増してくる。
……自分の内面を人に語るのってだいぶ恥ずかしい。たとえそれが嫁相手であったとしても、自分のことを語るのはとても恥かしいことだった。裸を見せるよりも恥ずかしいかもしれない。
でもサラさんが知りたがっているのだから、少しは我慢しようかな。それに俺のことを知ってもらうにはいい機会だった。
「俺はみんなみたいに強い心はない。きっと少しの逆境で泣き叫んでしまう。それくらいに俺は弱い」
「でも、「旦那様」はあの黒い騎士たち相手に」
「……うん、戦ったね。でもあれはプーレがいたからだ。きっと俺ひとりだったら、俺は逃げ出していたと思う。だって俺ひとりであれば、戦う理由なんてなにもない」
「え、でも、街の人たちを」
「依頼であればする。けれど依頼ではないのであればしない。安請け合いをしてはいけない。それは冒険者にとってあたり前のことだよ」
サラさんが絶句している。利己主義と言われれば否定はできないし、する気もない。
自分に利がないのであれば、俺はなにかをしようとは思わない。
自分に利が発生するかしないか。俺の判断基準はそこにある。
リアリストとも言えなくはないのかもしれない。
でも俺にとってみれば、ただ弱いだけとしか思えない。
弱いからこそ余計な荷物を背負いたくないだけなんだ。
だからこそ俺は弱い。弱すぎるくらいに弱い。
「でも、損得関係なしに俺も行動することがある。俺にとっての大切な人たちのためであれば、俺は損しかなくても行動する」
「なぜ、ですか? だって冒険者は」
「うん、冒険者は安請け合いをしてはいけない。俺はそう教わったし、俺自身新人の冒険者にはそう教えている」
「なら、なんで?」
サラさんは理解できないと顔に書いてあった。
理解できないかもしれないね。俺もこんな話をいきなり聞かされたら、きっと理解はできないだろうから。
サラさんと同じことを言うだろうから。でもこれは俺にとってみれば、当然のことなんだ。
「大切な人たちのためになにかをしようとすることは当然のことだもの。サラさんだって、ゴンさんから助けてほしいと頼まれたら、手伝うでしょう? それと一緒だよ。ただ俺の場合は手助けする幅が広すぎるってだけのこと」
「幅が広い、ですか?」
「うん。俺は、俺にとっての大切な人たちのためであれば、たとえ世界だって敵に回してもいい」
「は?」
はっきりと言いきるとサラさんはまた絶句していた。
そりゃあ、余計なものは背負う気はないと言い切った後に、世界でさえも敵に回すとか言われたら無理もないよね。でもこれは俺の本音だった。
もし、この世界のすべての人がレアを殺せと言うのなら、俺はこの世界のすべてを敵に回しても守り切る。
プーレをこの世界のすべての人が嫌ったのであれば、俺はこの世界のすべての人の前でプーレへの想いを語る。
もしカルディアを蘇らせるのに、世界のすべての人の命が必要であれば、俺は世界のすべての命を狩り尽そう。
そして希望との明日のために、この世界が邪魔なのであれば、俺はこの世界のすべてを破壊しよう。
自分でもおかしなことを言っているとは思う。
それでもこれは俺の本音だ。大切な人のためであれば、俺はなんだってしよう。なんだってしてみせる。つまりは──。
「「旦那様」の強さは大切な人たちのためだけに発揮できる強さです。でもそれはとても危い強さなんです。だから時折こうして確かめたがるんですよ。本当に困った「旦那様」です」
──レアの言う通りだ。俺は大切な人達のためにしか戦えない。
戦うことはできてもある程度のところまでしか戦えない。
それが俺だ。そんな俺のありようにレアは苦笑いしている。
やっぱり自分の本心を語るのは気恥ずかしいな。
「……俺はある意味では異常者なんだ。そんな俺の嫁にサラさんは本当になってくれる?」
「……少し考えてもいいでしょうか?」
「うん、いいよ。即答なんてできないだろうし」
サラさんはサラさんの立場がある。
だからこそ俺のありようはサラさんにとってみれば、好ましいものではないと思う。
だからこそ即答なんてできないのは当然のことだ。
むしろ立場を踏まえても即答しないほどに想ってくれているということだった。それは素直に嬉しい。
「勘違いはしないでくださいね? 私は「旦那様」がどんな方であってもお慕いします。ただそのお気持ちに私は答えられるのか、それを少しの間だけ考えさせてください」
「……そう。なら好きなだけ考えていいからね」
「はい、少しの間だけお待ちくださいね」
サラさんの目には熱があった。その熱がどういうものなのか。あえて確かめることはしなかった。
「待っているよ、サラさん」
「はい、お待ちくださいね」
それだけを言い合って俺はサラさんから視線を外した。
外した先に見えたのは、木々の合間から見える木漏れ日だった。暖かい陽だまりを俺はただぼんやりと眺めていった。




