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Act7-29 狼の涙

 本日四話目です。

 

 カルディアさんに酷いことをされてしまいました。


 私は「旦那様」以外に唇を奪われるなんて嫌だったのに、カルディアさんは無理やり唇を奪ってきたのです。どう考えても酷いのです。


「……酷いのはプーレの方だと思うんだけどな? 土壇場になるまであなたの身に起こっていることをなにも知らされないあの人にとってみれば、プーレが一番酷いことをしているよ?」


 カルディアさんはぐうの音も出ないことを言われました。


 たしかに私がしていることは、酷いことなのです。「旦那様」を傷付けるだけのことなのです。


 いまならまだ覚悟を決められる。


 けれど私が「旦那様」に求めているのは土壇場になって覚悟を決めさせること。


 いえ、覚悟を決めさせないまま、別れることなのです。


 きっと「旦那様」はいま知るよりもご自分を責められるでしょうね。


 どうして気づいてあげられなかったんだって。あの人なら言うはずなのです。私が愛する「旦那様」はそういう方ですから。


「……嫌なのです」


「なにが?」


「腫れ物を扱うように、気を使われるのは嫌なのです」


「……だから言わないと?」


「少なくともこの蛇のことを言わなければ「旦那様」はいままで通りに接してくれます。私がいつまでもあの人のおそばにいると思ってくれるのです。だから」


「……先に謝っておくよ。ごめんね」


 カルディアさんが腕を振り抜かれた。パシンと高い音が部屋の中に響きました。それからカルディアさんはとても怖い顔をして、私の襟を掴まれました。


「ねぇ、ふざけているの?」


 カルディアさんの声が普段のものよりも低くなりました。目つきはとても鋭く、まるで狼に睨まれているような気分でした。


「知らなければそばにいてくれると思わせられる? ふざけるなよ? たしかにプーレの言う通りかもしれない。プーレの言う通り、「旦那様」は安心していられるかもしれない。いずれ訪れる未来に震えることなく、夜を超えられると思う。だけどさ、それは途中まででしょう? 最後の最後には、あの人は絶望に落とされるんだよ? どうして知らなかったんだって。どうして気づいてあげられなかったんだって! 時間さえあれば、プーレを助けることができたのかもしれなかったのにって! あの人ならそう思うはずだ!」


「それはそうかもしれないですけど、でもどうしようもないじゃないですか。だって私は」


「プーレはなにも知らないからそんなことが言えるんだよ!」


「私がなにを知らないと」


「知らないでしょう!? お葬式で強い怒りと悲しみ、そして絶望に染まったあの人の顔を君は知らない!」


「っ」


 カルディアさんの目から涙がこぼれ落ちる。あまりにも純粋な涙でした。


 あまりにも純粋すぎて、私はなにも言えないのです。


 私はカルディアさんの言うような「旦那様」のお顔を知りません。


 時折、「旦那様」の目は怖くなります。


 とても鋭く、憎しみに染まった目をあの人はされるのです。


 でも普段はその目はされません。普段はとても穏やかなのです。


 カルディアさんのことを思い出すときだけ、「旦那様」の目は鋭くなるのです。


 カルディアさんを喪った悲しみが、怒りが、絶望が「旦那様」の心を覆い尽くしたときだけ、「旦那様」の目は変わってしまうのです。


 だけどカルディアさんは「旦那様」の目がそうなっていくのを間近に見られていた。


 ご自分のお葬式に出られた「旦那様」を、変わっていく「旦那様」を見つめることしかできなかった。


 だからこその言葉。だからこその涙なのでしょう。


「それだけじゃない! 君は知らないんだ。私はここにいる。でも言えない。私の死に涙を流してくれる人たちに、私はなにも言えなかった。あの悲しみも悔しさも君は知らない。親しい人たちが流す涙の重さを君は知らない!」


 カルディアさんの涙が頬を濡らしていく。頬を濡らす涙はとても熱かった。カルディアさんがこんな風に泣くなんて知らなかった。


 私が知っているカルディアさんは、もっと強い人でした。いやそういう風に私は見ていたのかもしれません。


 でも、カルディアさんだって十五歳の女の子だったのです。


 どんなに強くても十五歳なんて私よりも二歳年上なだけで、ようやく少しずつ大人扱いされはじめていく歳なのです。


 それは「旦那様」も同じなのです。


 どんなに強くても十五歳の女の子。


 身も心も強すぎるくらいに強くても、なににもその強さを発揮できるわけじゃない。


 カルディアさんの涙はそれを証明していました。


「プーレがそれでもなにも言わないというのであれば、私はもうなにも言わない。けれど後悔したって取り返しのつかないことはいくらでもあるんだよ。それの最たるものが死なんだよ、プーレ」


「後悔」


「そう。死んでしまったら、いくら後悔してもなにもできない。だってもう死んでしまっているんだ。だからなにもできない。どんなに泣き叫んでも、どんなに願っても、もうそこには戻れない。私は幸運が重なった結果、いまここにいられる。でも知っている。「あそこ」はとても暗くて、冷たくて、そして怖い場所だってことを。だからみずからそこに向かうプーレを許すことはできない。あの人を悲しませようとするプーレを許せない」


 カルディアさんの言葉に、私はなにも言えなくなりました。


 そう、なにも言えなかったのです。言えないまま、涙を流し続けるカルディアさんを見上げることしかできませんでした。

 続きは十六時になります。

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