Act6-83 すべてが変わってしまうとき
デウス様のお城に戻ると「旦那さま」はシリウスちゃんを連れてお風呂に向かわれました。
「旦那さま」はとても楽し気でしたが、シリウスちゃんは嫌々そうでした。
でも尻尾をゆっくりと振っていたのです。
すっかりとお年頃に、難しい年齢になってしまいましたけど、シリウスちゃんの中身はそれほど変わってはいないのです。
「旦那さま」が、パパが大好きなあの子のままでした。
そんなあの子の姿は一応ママのひとりである身としましては、安心できるものなのです。
まぁ、難しいお年頃になってしまったからか、すっかりとツンデレさんになってしまっているのがなんとも言えないところですけども。
でもその姿を見ていると、ほんのわずかに胸が痛むのです。
私もお父さんに対してはああいう風に接していたのです。
子供の頃はお父さんによく甘えていたのです。
仕事が終わったお父さんに肩車をしてもらっていました。
仕事のときのお父さんはとても厳しい人でした。
けれど仕事が終わると、お父さんはとても優しかったのです。
仕事のときにはよく殴られましたけど、仕事以外のときにはお父さんに殴られたことは一度もなかったのです。
「プーレは俺とプラムのお宝だからな」
お父さんはいつも私の頭を撫でながら笑っていたのです。
お父さんの手はとても大きくて、ごつごつとしていたけれど、とても温かったのです。
でもその温かさはもう二度と感じることはできない。
お父さんはとても遠くに行ってしまいましたから。
いまごろ母神さまのおそばで私を見守ってくれているのでしょうね。
お父さんは「旦那さま」と同じでとても親バカな人でしたから。
お酒を飲むといつも「プーレの旦那になる最低条件は俺に勝つことだ」と言っていましたし。
まぁ、その最低条件を「旦那さま」はあっさりと乗り越えられる方なんですけどね。
お父さんってば見た目のわりには腕っぷしはからっきりでしたし。
でもその分プクレ作りはとてもすごかったのです。
いまでも私にはどうすればお父さん以上のプクレを作れるのかが検討もつかないのです。
それほどにお父さんは名人だったのです。
その名人もいまはいなく、「エンヴィー」の屋台もいまは閉めています。
私はいつかあの街に戻ることがあるのでしょうか?
お父さんやおじいちゃんたちが守ってきたあの屋台に再び立つ日が訪れるのでしょうか?
考えたところで意味のないことでしょうけど、それでも考えずにはいられないのです。
私はお父さんとの思い出が残るあの屋台を、寂れさせたままでいて本当にいいのでしょうか?
「……どうすればいいのでしょう」
屋台をあのままにはしておけない。
でも私はいまのままでもいたいのです。
シリウスちゃんのことをいままで通り見守っていてあげたいです。
体は大きくなってもシリウスちゃんの心は見た目通りではないのです。そんなあの子を放って帰るわけにはいきません。
ノゾミさんやレア様たちと正妻の座を巡っての戦いだって放棄したくないのです。
なんの取り柄もない私なんかをライバルとして認めてくれているあの人たちから逃げたくないのです。
お師匠からの手解きだってまだまだ途中です。
怪我した人を治すのは大変ですけど、やりがいがある仕事なのです。
その分かなり怒られてしまっていますけど、人を治すということがそれだけ大変だという証拠でした。
だからこそ、こんなところでは投げ出すわけにはいかないのです。
そしてなによりも──。
「「旦那さま」のそばにいたいのです」
そう、なによりも私は「旦那さま」のおそばにいたい。
たとえ私があの人の一番になれなかったとしても。
あの人の「誰よりも幸せにしたいと願う存在」になれなかったとしても構わない。
この身もこの心さえも。そう、私のすべてをあの人に捧げたい。
どうしてこんなにも好きなのかはわからない。
どうしようもなく私は好きなのです。
どうすることもできないくらいに、私は「旦那さま」を愛しています。
あの人のそばにいられるだけでいいのです。
最初は恩義が大きかった。
お母さんを助けてくれたから。私を一人っきりにしないでくれたから。
だから求婚されても受けたのです。
すべてはお母さんを助けてくれた恩義に報いるため。
恩を受ければその恩に報いる。
それがアクスレイア家の家訓なのです。
その家訓に従い、私は「旦那さま」のお嫁さんのひとりになったのです。
でももう家訓はどうでもよかった。家訓を忘れたわけではないのです。
ただ家訓に従っただけじゃなくなったのです。
恩義は恩義としてこの胸には残っていた。
でも恩義以上の気持ちが、あの人への愛がこの胸に宿ったということ。
どうしてあの人をこんなにも愛しているのか。
説明しろと言われても答えることはできない。
ただただ愛おしい。
私のすべてを捨てても構わないほどに、私のすべてを懸けられるほどに、私は「旦那さま」が好きなのです。
だからこそ、帰るわけにはいかない。帰れないのです。
たとえ──。
『たとえその先に待ち受けるのが破滅であってもかい?』
「え?」
頭の中に聞いたことのない声が響きました。
慌てて回りを見回しても誰もいません。
いま部屋の中にいるのは私だけ。
レア様はデウス様となにやらお話があるとのことで、城に着くとデウス様に連行されてしまいました。
それはサラさんも同じで進捗についての話が聞きたいとやはりデウス様に連行されてしまいました。
「旦那さま」とシリウスちゃんはお風呂。
私たちが寝泊まりしている部屋には誰もいないはずなのです。そう、私以外には誰も──。
「だ、誰なのですか!?」
声を荒げながら回りを見回す。でもいない。誰も存在していない。
じゃああの声はいったい──。
『怖がらなくてもいいよ。アクスレイア家の娘よ。たしかプーレと言ったね』
「ど、どうして私のことを?」
これは念話なのでしょうけど、私には念話で話しかけてくる知り合いはいないのです。
『ふぅん、そうなんだ? 意外だね』
声の人は不思議そうでした。
なんで意外なのでしょう?
私はただの屋台の娘なのです。
どこにでもいる変哲のない女の子でしかないのだから、念話で話しかけてくる知り合いなんているわけが──。
『ははは、変哲もない? 面白い冗談を君は言うんだね』
「冗談?」
なにを言っているんでしょうか?
私は変哲もない女の子でしかないのですよ?
ただの屋台の娘であり、私の一族は特別な血筋というわけでは──。
『……なるほどね。あえて教えなかったのかな? それとも教える前に先代が死んだのかな? まぁどちらでもいいか。何匹死のうが僕にはどうでもいいことだもの』
「……あなたは誰なのですか?」
先代とは誰のことなのかはわかりません。
けど、この人は人の死がどうでもいいと言い切ったのです。
その時点で同じ人とは思えません。
だってその口調は、人の死を虫が死んだように言っているのです。
いえ人を虫のように扱っているのです。
どう考えても同じ人だとは思えないのです。
ならこの人はいったい誰なのでしょうか?
いったいなんの目的で私に──。
『ふむ。本当になにも聞いていないのかい? まぁ、特別な血筋ではないと言い切った時点でそうだろうとは思ったけども』
「どういうことですか?」
その言い方だと私は特別な血筋だと言っているような──。
『その通りだけど? だって君は「ただの屋台の娘」ではないよ? むしろ、よく「その血」を隠し通したものさ。「その血」は特別なものだ。まぁ僕ほどではないが、人間どもの中ではかなり高貴なものだよ?』
「高貴?」
私が? 私の一族が高貴? どういうことでしょうか?
私の家は屋台を営む、やや貧乏な一般家庭でしかないのに。
『一般家庭ね。普通の一般家庭は「アクスレイア」なんて名乗らないんだけどね? そもそも「アクスレイア」家なんて有名だと思うんだが?』
「えっと、私は「旦那さま」のお嫁さんになるまで、産まれた街を出たことがなかったので」
そう、うちの家は屋台を営むので旅行なんていままで一度もしたことがなかったのです。
それに一般庶民はあまり名字を名乗らないので、だから「アクスレイア」が有名だなんて知らないのです。
『そういうことか。なら仕方がない。僕から教えよう。君の家は──』
声の人が口にした言葉。それは私のいままでをすべて変えてしまうものでした。




