Act0-62 「蛇王」その三
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「お姉さまは、カレンさんのことを、お気に召されているのですよね?」
「そうよ。あの子は面白くて、かわいいからね」
嬉しそうにエンヴィーは語る。
胸が痛むけれど、いまはそのことは無視しよう。
自分の感情なんてどうでもいいのだ。いま大事なのは、カレンだった。
「その気に入られている子を、どうしてアルカトラ(地獄)に突き落とすようなことをされるのでしょうか?」
そう、エンヴィーは、この浴場にいながらも、カレンが飛び出していくのを止めなかった。
それどころか、警備の隙を教えていた。
どう動けば、この首都から脱出できるのかを伝えていた。
教えた内容は、おそらく事実だろう。
だが、教えたところで意味はない。
なにせ、モーレはどうあっても助からない。
エンヴィーのことだ。すでに方々にモーレのことは知らせているだろう。
たとえどうにかこの国を抜け出せたとしても、たどり着いた国で、モーレは刑に処される。
彼女にはもう先はないのだ。
だからこそ自分は背中を押してやった。
会えるのは、いまだけだと。そんな意味を込めて、モーレの素性をすべて話した。
が、まさか逃げ出されるとは思っていなかった。
もっとも逃げ出したところで、すでに大門が閉められているいま、どうやってもこの首都から抜け出すことはできないはずだった。
そのできないはずのことを、エンヴィーは、カレンに伝えてしまったのだ。
なぜそんなことをするのか。ククルには理解できない。
ともに逃げ出したところで、カレンはエンヴィーみずからが庇うだろう。
カレンがなにを言っても、人質に取られてしまったと押し通すことになる。
だが、モーレに関しては無理だ。
いままでほかの街や国々で暗躍してしまっていて、減刑しても極刑は免れないところまで行きついてしまっている。
彼女の弟妹たちや手下たちも同様だ。
どんな理由があるにせよ、モーレとその一派が明日の朝以降に生きていることはありえないのだ。
なのに、なぜエンヴィーは、カレンに首都の抜け出し方を教えてしまったのだろうか。
それでは抜け出せと言っているようなものではないか。
エンヴィーの考えることは、自分には到底理解できないことだが、今回ほど理解できないことも早々なかった。
それでも普段であれば、もう少しわかるものもあるのだが、今回に至っては、なにもわからない。
なぜこんなことをするのか。
その理由がククルにはまるでわからなかった。
モーレとともに首都を抜け出したところで、カレンに待ち受けているのは、友人との別れだ。
それもひどい形での別れになるのは、目に見えている。
気に入っているはずのカレンに対して、なぜそんなことをするのか。
やはり理解できなかった。
「カレンちゃんには、辛い目に遭ってもらいたいの。あの子が星金貨一千枚を稼ぐには、これは必要なことだから」
エンヴィーが笑いながら言った。
耳を疑う内容だった。
気に入っている子に、辛い目に遭ってもらいたい。
屈折した愛情だとしか、ククルには思えない。
それを笑って言える時点で、はっきりと思う。
この人はやっぱり恐ろしい人だと。
生唾を飲み込みつつ、ククルは口を開く。
「意味がわかりません。あの子が辛い目に遭う必要はないかと」
「そうね。星金貨数枚程度であれば、あの子なら時間はかかっても、いずれは稼げたでしょう。それだけであれば、辛い目に遭う必要なんてなかった。けれど星金貨一千枚となると、いまのままでは絶対に稼げない。だって星金貨一千枚は、国家単位での収入になる。つまりあの子は王にならなければならないのよ。あの子には、王になる素質はあるでしょう。しかしその覚悟がまだない。清濁を併せて呑む。きれいごとばかりでは済まされない現実を、あの子はまだ知らない。そして人の命がどれほどまでに軽いかを、あの子はまだ実感として知らない。友人のためであれば、人を殺せる。それはわかった。けれど、その友人を殺さなければならない状況になったら、あの子にそれができるかどうか。それを確かめるためには──」
モーレは格好の駒なのよ。できるだけ、むごたらしく死んでもらえればありがたいのだけど。
エンヴィーは、そう言って笑った。まるで喜劇でも見ているかのように、とてもきれいな笑顔だった。そう、見惚れるほどにきれいで、そして背筋が震えるような笑顔だった。
おそらく、「獅子の王国」から流れてきた盗賊団も、この人の差し金なのだろう。
もしかしたら、モーレからの個人依頼が、こんな事態になったのも、この人が裏から手を回していた可能性はある。
勇者アルクがいなくなったのも、おそらくは──。
そこまで考えて、モーレは思考を打ち切った。
これ以上は自分が考えることではない。
なにせ、いま目の前にいる人は、蛇王エンヴィーなのだ。
町娘のレアでもなく、笑顔の絶えないエンヴィーでもない。
ここにいるのは、「魔大陸」を統べる者である「七王」の一角である蛇王エンヴィーだった。
カレンも恐ろしい人のもとに預けられたものだった。
いや、それさえも踏まえて、竜王ラースはカレンをエンヴィーに預けたのだろう。
星金貨一千枚。
有史において、いまだかつて個人で稼いだことのない金額。
その金額を稼ぐことが、カレンの最終目標だった。
その目標にたどり着くには、きれいごとなんて言っていられるわけがない。それはわかる。わかるからこそ、カレンには同情してしまう。
金貨十枚を稼ぎ切ったことで、カレンはようやくスタートラインに立てた。
そもそもこのスタートに立つことでさえも、最初から決まっていたことだった。
なにせ依頼票のひとつである、金貨五枚の探し人は、もとからカレンに受けさせるためのものだった。
だからこそあんな破格の条件にしたのだ。
たとえ、Cランクに昇格するまでに、金貨一枚も稼げなかったとしても、あの依頼をこなすだけで、金貨十枚を達成させる。
内容自体もモーレとその一派を見つけることなのだ。
いままでモーレたちを見逃していたのは、カレンに金貨十枚を稼がせるための踏み台だったからだ。
実際、カレンがこの首都に来たときには、すでにモーレたちを捕まえるための準備はすべて調っていた。
それをいままで先延ばしにしてきたのは、エンヴィーと竜王ラースからの指示によるものだった。
ふたりがなにを考えているのか、自分などには見当もつかない。
だが、カレンがこれからひどく苦労することだけは、想像できた。
エンヴィーも竜王ラースも、カレンをおもちゃにしているわけではないだろう。
ただカレンにとっては、そう思えてしまうようなことをさせられることは、ほぼ間違いない。
そんなカレンに同情しない方がおかしいだろう。
「「あの方」のことだから、トラウマを植え付けさせる程度のことは、するでしょうね。カレンちゃんなら耐えられるだろうけど、ちゃんとケアはしてあげないとね」
ふふふ、と口元を押さえてエンヴィーが笑う。
口にした内容は笑いごとではない。
笑いごとではないが、もう賽は投げられた。もうどうすることもできない。
「母神よ、せめてあの子が、これからも笑顔を浮かべられますように」
「大げさね。ククルは」
おかしそうに笑うエンヴィー。
本当にこの人はひどい人だ。
でも、そんなエンヴィーに心を奪われてしまっている自分も、きっと同じくらいにひどいのだろう。
ククルはそっとまぶたを閉じた。
浮かび上がるのは、モーレの元へと向かうべく、慌てて駆け去っていくカレンの後ろ姿。
あの背中が潰れてしまわないことだけを、ククルは祈りつづけた。




