Act6-71 母として
本日二話目です。
「これはどういうことだっ!?」
シリウスが慌てている。
それもそうじゃろうな。こやつにとってみれば、思ってもいなかったことじゃろうし。
「どういうこととは?」
「惚けるか、貴様!」
牙を剥きながら唸るシリウスの目は鋭かった。
怒り心頭というところかの。
妾も同じことをされれば、怒りを収められぬから、こやつが唸るのはあたりまえのことか。
「なぜ、レ、蛇王殿がいる!?」
レアママと言おうとしたが、とっさに言い直したようだな。
まだレヴィアがいまの自分とシリウスを結びつけていないと考えているのだろうが、そんなことがあるわけなかろうに。
この女が気付いておらんわけがなかろう。
人を痛めつけることに快楽を憶える女であるぞ?
痛めつけるのは別に肉体的な意味ではない。
精神的な意味も含まれておる。
肉体的に痛めつけるのはただ攻撃すればいいだけ。
ならば精神的に痛めつけるのは?
簡単な話じゃ。相手の言ってほしくないことを、相手が隠していることを口にすればいいだけのことじゃ。
この女はそれを最も得意としておる。
転じれば人の感情の機微に鋭いということ。
相手が隠そうとしていることを見つけるのが得意ということだ。
赤の他人の隠し事でもたやすく見破るのだから、かわいい愛娘の隠し事などとうにお見通しであろうよ。
それでもなおシリウスは隠しきれると思っていたのだろうな。
そういうところはまだまだ子供じゃな。
いや隠しきれると思うことで、大好きなパパとママたちに隠し事をしているという罪悪感から目を背けていたのだろう。
そうしなければ心が壊れていたのかもしれぬ。
それほどの時の流れの中にこやつは身を置いていたのであろう。
憐れとは言わぬ。
憐れと言うことは、こやつのこれまでの日々を愚弄する。
パパを救うためだけにすべてをかなぐり捨てたこの娘のすべてを愚弄する。
だから言わぬ。
言うとすれば見事としか言いようがない。
「蛇王殿じゃないでしょう? ちゃんと言いなさい」
レヴィアは淡々と、だが有無を言わさぬ強い口調だった。
その言葉にシリウスの体はわずかに震えた。
誰であろうと母には敵わぬものだ。
たとえ血の繋がりがなかろうとも、それは変わらぬ。
「聞こえていないの? 言い直しなさい」
「なにを言い直せと──」
「こっちを見て話はしなさい!」
レヴィアが一喝した。その一喝にシリウスの体は大きく震えた。
恐る恐るとレヴィアの方に振り返るのと、レヴィアの手がシリウスの頬を撫でるのは同時だった。
「……大きくなっても感触は変わらないね。私がよく知るあなたのまま」
レヴィアはとても穏やかに笑っている。その笑顔に言葉にならない声を漏らしていた。
レヴィアを「いつものように」呼びたいのだろう。
しかしそれをするということは認めるということだ。
いままでシリウスが密やかに行っていたであろうすべてをレヴィアに伝えねばならぬということだった。
伝えたところでなにか支障があるわけでもない。
いや、なにかしらの支障があるのだろう。
だからこそ、呼べない。
己の使命感が、大好きなパパを守りたいというその想いが、「その名」を口にさせぬのだろう。
シリウスは口をつぐむ。それが精一杯の反抗であるのは目に見えていた。
だが、相手が悪すぎる。なにせ──。
「いいのよ、もうひとりで抱え込まないで。私にも背負わせてちょうだい。あなたが背負ってきた重荷を、レアママにも背負わせて、シリウスちゃん」
レヴィアはそなたのママなのじゃからな。
子は母には勝てぬ。
たとえ血の繋がりはなかろうとも、母の想いには敵わぬ。
そう思わせるほどにレヴィアの抱擁はとても優しく、そしてとても強いものだった。
その優しさに、その強さにシリウスの目から涙がこぼれ落ちていく。
「……ダメ、だよ。私がぜんぶ、ぜんぶ背負うの。だって私はママを守れなかった。ママが遠くに行くことはわかっていたのに。守ってあげられなかった。だから、これは罰なんだ。なにもできなかった私の罰。私が背負うべき罪。だから言えない。だから背負わせられない。私はひとりで抱え込まなきゃ──」
『もうよい、継嗣。もう無理をするでない』
不意に聞いたことのない声が響いた。同時に世界の色が消えた。
すべてが灰色に染まっていく。
いや色だけではない。
風が止まり、音が消え、光が届かなくなった。
ありえないことが起こり始める。
「これは「刻」の世界かえ?」
『その通りじゃよ、狼王』
聞いたことがない声が再び響いた。
と同時に扉がなぜか開いた。そこには銀髪の獣人が立っておった。
雰囲気はどことなくシリウスとよく似ている。
シルバーウルフのシリウスをそのまま大人にしたような、そう思わせる獣人の女が立っていた。
「カルディア、ちゃん?」
「お久しぶりです、レア様」
カルディアとレヴィアが言った獣人の女はにこりと笑った。
その笑顔もまたシリウスのそれとよく似ている。
それこそこの女こそがシリウスの本当の母親のように思えてならぬ。
『蛇王よ。あまり継嗣を苛めないでくれぬか? その子はこれまで言葉にできぬほどの苦労を乗り越えてきた。そなたにも思うところはあるじゃろうが、この子の母であるのであればそれを理解してもらえぬかのう』
「あなたは?」
『我はその子をいままで育て上げてきたものと言うところかの? いや鍛え上げてきたという方が正確か』
「育てたでも合っていると思うけど」
『いいのじゃよ、カルディア。我はその子を鍛え上げただけじゃ。その子の心を守り導いたのはそなたじゃよ』
「そんなことは」
『いいのじゃよ、カルディア。我が教えられるのは戦うことだけじゃからの』
「……先代」
カルディアと言う女は「先代」とやらの、この謎の声の主の言葉に心を痛めたようじゃの。
いまにも泣きそうな顔をしておる。その顔に「先代」とやらはいくらか居心地が悪そうに「参ったのぅ」と呟いていた。
カルディアとやらとのやりとりを含めても、声の主は好々爺を思わせるものじゃった。
だが同時にとんでもない存在感であった。それこそ神獣の方々と変わらぬ、いやそれ以上の──。
『その通りじゃ、狼王よ。我が名はロード・シリウス。「零の座の獣」、いや、初代神獣王と言えばわかるかの?』
「初代神獣王!?」
この声の主が、あの伝説に聞く初代神獣王だと言うのか?
レヴィアもあまりの驚きに声を発することができないでいる。
だが、納得できるな。
初代神獣王であれば、「刻」の世界を作り出すのも容易であろう。
なにせ初代神獣王の司るは「原初にして終焉の力」であるのだから。
「先代、いきなりなにを」
いきなりの展開についていけていなかったシリウスがようやく初代神獣王に反論をする。
初代神獣王が言うには師弟のような間柄なのだろうが、それさえも信じられぬ。
だが初代神獣王がそういうのであれば、事実なのであろうな。
『さきほども言うたぞ? もう無理をするな、とな。鍛え上げることしかできなかったが、これでもそなたのことを孫娘のように思っているのじゃ。孫娘がひとりっきりで傷つく姿をこれ以上見ているのは辛い。なれば六の、ガルーダがしたように協力者を増やすのもいいじゃろう』
「だけど」
「協力させてください、初代神獣王様」
レヴィアが進んで初代神獣王に声をかけた。
シリウスがなにか言おうとしたが、レヴィアはシリウスを抱き締めることでそれを制した。
『……協力者を増やすとは言ったが、本当によいのか? 蛇王よ』
「構いません。愛娘がいままで誰にも言えずに傷ついてきたことを思えば、今後どのような艱難辛苦があろうと私もこの子とともに乗り越えましょう。それが母として、これから私がなすべきことですから」
「レア、ママ」
シリウスがぽつりと呟いた。
その呼び名にレヴィアはとても嬉しそうに笑った。
その笑顔は、いいや、そのありようはたしかに母親のものじゃ。
紛れもなく、レヴィアは母親になっておる。それがどこか羨ましく思える。
「むぅ。レア様、ずるい。ひとりだけカッコつけて。私だってシリウスのママなんだけど?」
「なにを言っているの? ひとりだけカッコつけていたのはあなたもでしょうに。そもそもなんで生きているの? ちゃんとお葬式もしたというのに」
「あー、それは」
カルディアとやらはなにやら言いづらそうな顔をしている。
どうにも複雑な事情があるようじゃの。
さて、そこら辺の事情はどうでもいいとして。
妾はどうするべきかの?
正直ここまで踏み込んだ以上、妾だけがここから抜け出すのはなにか違う気がする。
というよりも、なにやら面白そうじゃ。
アホ女神との「約定」もあるが、まぁ、あれも娘の生存のために力を尽くしておる。
であればこちらの陣営とも手を組んでも問題はないと思う。
『蛇王は協力すると言うが、そなたはどうする、狼王よ』
初代神獣王の問いかけ。レヴィアはカルディアとやらに詰問している。
その姿を横目に見ながら妾は答えた。
「そうじゃの。妾は──」
妾が口にした答えに初代神獣王は「そうか」とだけ、どこか安堵したように言いおったのじゃ。
明日の更新は十六時予定です。いちおう←汗




