Act0-57 逃避行
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動悸がしていた。
いつも人通りの多い「エンヴィー」の大通りには、いまは誰もいない。すでに店じまいが終わり、無人の屋台が立ち並んでいる。その大通りをあえて走っていた。
警備兵は、たいてい裏道や路地を捜索する。大通りという立地は、逃亡するには向いていないからだ。
大通りというものは、どこの国や街でも、基本的に人通りが多い。そんな場所を、まともに走るなんてできるわけがない。その分人通りの多さを活かして、人質を取ることはできるが、人質を取るのは、有効なこともあるが、かえって失敗を招く場合もある。
人質を取れば、警備兵の行動を制することはできる。だが半端な正義感をかざして、こちらの邪魔をする偽善者が現れることもある。加えて、人質はこちらの言うことをなかなか聞かない。その分動きが鈍重になってしまう。
人質というのは、有効な手段ではあるが、ときに思ってもみない反撃を受ける手段でもあるのだ。ゆえによほど切羽詰まっていない限りは、人質なんてものは取らないことにしていた。そもそも人質は、切羽詰まっているからこそ、どうしようもない状況を打破するためのものだ。現状は、切羽詰まっていると言えなくもないが、まるで余裕がないわけでもない。むしろ人質を取る方が、かえって状況悪化につながりかねない。
もっとも自分のような十歳児相当の外見の者に、人質にされるようなまぬけなんてそうそういないだろうが。
とはいえ、それはあくまでも昼間であればだ。いまは人通りのない夜だし、警備兵に追われてもいない。
警備兵も、大通りを堂々と走って逃げる者がいるとは思わないだろう。それも夜で、人通りがまったくないのにも拘わらず、大通りを選ぼうなんて奇特な奴がいるとは、考えもしないだろう。
夜だからこそ、裏道を駆け抜けていると思っているはずだ。実際、裏道の方には、警備兵が巡回しているようだ。時折、大通りに出て来ることもあるが、その場合は、急いで隠れることで、事なきを得ている。
これがいつまでも続くとは思っていない。早々に朝まで隠れる場所を見つけるか、どうにか首都から脱出するかを選ばなければならない。一応体を鍛えてはいるが、この体では、鍛えられるのにも限度があった。
「忌々しいね、本当に」
走れば走るほど、動悸がする。体力の限界が徐々に近づいてきていた。それでも走らなければならない。誰にも見つからないうちに、脱出か隠れ場所を見つけなくてはならないのだ。この逃避行を成功させるためには、いまはまだ脚を止めるわけにはいかない。
少し前に喉の奥から、胃液の味がし始めた。その甲斐あって、ギルドからはだいぶ離れた。多少の小競り合いはしたが、どうにかギルドの職員からは逃げきれた。が、まだこの首都の警備兵がいる。
完全に安心することはできない。
安心できるのは、この首都「エンヴィー」から抜け出せたときだ。しかしいまの時間帯では「エンヴィー」から出ることは、非常に難しい。
なにせ主要の出入り口である大門はとっくに閉められている時間だ。仮に正面突破しようにも、あの狡猾な蛇王のことだ。首都の出入り口となる門にはすでに、逃げられないように、兵を集中させているはずだ。
巡回している警備兵はいる。だが、自分が知っている警備兵の数よりも、明らかに少なかった。このまま警備の穴を衝いて、門まで向かったところで、そこで終わりだ。
よしんば、脱出できたとしても、王国内の主要の都市にも、自分の人相等は伝えられている可能性がある。つまり「蛇の王国」では、もう活動することはできないということだ。
「失敗かぁ」
モーレは舌打ちをしながら、夜道を駆けていく。
ここのバカな冒険者たちを相手に、表の商売が軌道に乗ってきたところだった。あの年齢不詳のギルドマスターには、ちょっかいを出してはいなかった。下手に手を出せば、火傷ではすまないことになるのは目に見えている。
なにせ、冒険者ギルドのマスターでありながらも、あの蛇王の右腕だった。
本来、「聖大陸」でも、十人ほどしかいないギルドマスターを、「魔大陸」の出張所の長が、しかも「聖大陸」の各国が魔族と勝手に称しているエルフ系の種族が務められるわけがなかった。しかも、混ざり者だった。
なのに、あの混ざり者は、出張所の長のくせして、ギルドマスターの地位を得ていた。その時点でただものではないとはわかっていたが、まさか蛇王の右腕とは考えてもいなかった。
蛇王の右腕がギルドマスターになったのか。もしくはギルドマスターになった者が、蛇王の右腕になったのかまではわからない。妹たちと寝かせた、出張所の職員たちもそこまでは知らなかったようだ。
妹たちには、出張所の職員と恋人か愛人のような関係になれと言っておいた。最低でも、肉体関係を持つ程度には親密になっておけとも。男という存在は、自分の知っている秘密を、自分の女には話したがる生き物だった。
秘密が知られてはいけないものであればあるほど。自身の地位が上位にあればあるほど。男は勝手に話したがる。情事のあとであればなおさらだ。機密を漏らすことは、と思うのもいるが、そういうのも、たいていは数回情事を重ねていれば、勝手に落ちる。ダメな場合は、妹たちを揃って抱かせてやればいい。
自身を取り合う、見目麗しいふたりの少女。どちらを選ぶのではなく、どちらも自分のものにできるとあれば、落ちない男はそうそういない。妹たちのうち、どちらかだけでも、優越感はあるだろうに、それがふたりそろってとなれば、その優越感は半端なものではないはずだ。
中には、妹ふたりには靡かず、自分のような幼い少女然とした相手に、劣情を抱くのもいる。そういう奴は、わりと上位の地位にいることが多い。そういうときは、自分の出番だ。虫唾が走ることではあったが、我慢して抱かせてやっている。破瓜がなせないことを、残念がられるが、すぐに「痛みで、騒がられるよりかはましか」と言う。そして「処女でないのであれば、なにをしても問題はないか」と下卑た笑みを浮かべる。あとは、言うまでもない。
幼女だからと言って、妊娠しないからと言って、好き勝手に犯してくれる輩は多いが、男なんてたいていはそんなものだろう。
自身の趣味が褒められたものではないというのは、その男自身が一番わかっていることだろう。普通の相手であれば、下手なことはできないからこそ、いろんな意味で溜まってしまうのだろう。
しかし相手の女がみずからの体を売ったというのであれば、話は別だ。お題目はなんでもいいが、切羽詰まったものであればあるほど、より相手を騙せる。宿屋の経営が苦しくて、と言えばいいだけのことだ。
両親には秘密で、姉妹揃って体を売っている。そう嘯けば、男はみんな騙される。実際に妹たちが、他の男に抱かれているところを、見せればいちころだ。
あとは震えつつも、気丈に振る舞えば、男は勝手に盛り上ってくれる。元手なしで機密を得られるとなれば、安いものだ。その代わり、無茶をされることが多いので、翌日は体が重い。
ここ三週間ほどは、そういう輩とは相手をしていなかったので、調子を崩さなかった。妹たちには、引き続きやらせてはいたが。
妹たちとは違い、自分に劣情する輩は、そうそう多くない。数か月前まではいたのだが、引きだせるだけの情報を引きだし、用済みと判断して、ダークネスウルフの餌にした。餌にした場面に自分もいたが、本気を出して、追い払ってやった。が、その時に、男を食ったことで、人の味を憶えてしまったのか、常駐の「討伐」依頼を出されてしまうことになったのは、計算外だった。
そのダークネスウルフも、すでに死んでいる。餌になった男は、行方不明という扱いにしている。
男の家には、探さないでほしいという書置きを残しておいたから、失踪扱いになっている。
どこをどう探しても、男はいない。いずれは誰の記憶からも消えるだろうと予想していたが、思えば、あれが失敗だったのかもしれない。
考えてみれば、数か月くらい前からだろうか、妹たちがギルドの中で視線を感じると言うようになった。
宿屋兼食堂をしていることもあり、時折、足りない食材の納品を頼むこともある。
その際に、妹たちが、誰かに見られていると言っていた。そのときは、妹たちの見目ゆえだろうと思って、相手にしていなかったが、それが失敗だったのかもしれない。
たぶん、あの男の件で混ざり者に尻尾を掴まれてしまったのだ。
いままで集めた情報によると、あの混ざり者は、精霊使いということだし、あの男を殺害するのを見られていたのかもしれない。
それだけであれば、痴情の縺れによる殺害ということであり、自分を立件するだけで終わりだろう。自分の見た目が十歳児相当ということもあり、温情を懸けてくれていたのかもしれない。
が、星の小人亭の内情を調べているうちに、不信感を抱いたのだろう。たやすく不信感を抱くようなへまはしていなかったはずだが、あの混ざり者も蛇王も、自分とは頭の出来が違いすぎる。
わかっていたことではあったが、もう少し慎重にしていれば、弟妹たちと両親と偽っていた手下ふたりを失うことにはならなかっただろうに。
悔やんでも仕方がないのは、わかっている。それでも、悔やみきれない失敗だった。モーレは静かに舌打ちをした。




