Act5-ex-2 先代と当代~母の想い~
恒例の土曜日の二話更新です。
まずは一話目ですね。
長い銀髪が宙に舞う。宙を駆け抜けているからこその光景だ。
この世界では風は吹かない。いや風だけではなく、水が流れることもない。火が爆ぜることもない。土から植物が芽吹くこともない。
すべてのものが静止した世界。それがいまのこの世界だ。その世界の中、ただひとりで彼女は汗を掻き、血を流し、雄たけびを上げている。
彼女は何度地に塗れようとも止まらない。決して止まることなく駆け続けている。すべては主にして、最愛の父を守るため。それが彼女を支えている。この静止した世界でひとり頑張っている。その姿はただただ誇らしかった。
でもどんなに頑張っても限界はどうしたって訪れる。
「今日も無理だったか」
聞こえるけれどいない人の声が聞こえる。その声に返事することもなく、彼女は草むらの中で倒れている。全身が汗と血と泥に塗れながら、胸を大きく動かしながら呼吸している。まぶたはすでに落ちていた。意識もなかった。
静かな寝息を立てて眠る彼女をそっと膝の上に乗せてあげた。
「甘やかしすぎじゃと思うがのう?」
いない人はそう言った。でもこれくらいはかまわないと思う。だって私は彼女の、ううん、この子のそばにはいられないのだから。
この世界のなかでしか触れ合うことができない。いまはまだ表舞台に立つことはできない。再び表舞台に立つのは、「奴ら」が姿を現してからだ。そうじゃないといけない。そうするように「あの方」には言われている。
でもいまはすべての時が止まっている。だからこうしてそばにいてあげてもなんの問題もない。つまりいまはチャンスだ。チャンスだからこうして触れ合っているんだ。この子がまた頑張れるように支えになってあげたい。私にできるのはそれくらいなのだから。
「……これくらいしかできないから」
「そうかのう? そなたの存在はこの子の支えだと思うぞ?」
声だけの人は真剣そうな声色で言った。
「いままではこの世界にいられたのは、我とこの子くらいだった。二のや三のにも入ることはできんかった。まぁ、一のは例外じゃな。あれは「刻」を象徴せし者。ゆえにこの世界にも入れた。あとは六のも一応入っては来られたが、あれは我が呼び寄せたから入れたというだけのことであり、あれ自身にこの世界に入る力はない。獅子王もそうじゃな。だからこそまさかそなたがこの世界に入れるとは思っておらんかった。いい誤算だと言えるのう」
声だけの人はいくら上機嫌だった。この子の相手をするのが嫌というわけじゃなくて、単純にこの子を支えられる存在がいることが喜ばしいんだと思う。
「あなたは嬉しいの?」
「ああ、無論じゃよ。この子は我の前では泣きごとなどひとつも言わん。この世界で何年も過ごすことなど常人ではできんことじゃ。無理にでもしようと思えば、心が壊れてしまう。心のありようがおかしな方向へと向かってしまう。ゆえに常人では耐えられてせいぜい半月程度。それをこの子はもう何百年も過ごしておる。すべては「我が君」のため。「我が君」のためにこの地獄のような世界で過ごし続けている。本当に大した娘じゃよ。そうするだけの魅力が「我が君」にあることは知っているが」
「違うよ。この子にとってあの人はパパだからだよ。パパのためにこの子は頑張っているんだ。主とかそういうことじゃない。親子だからこそ、あの人をパパだと心の底から思っているからこそ、この子は頑張っていられているんだよ」
「……そうであったな」
声だけの人は寂しそうな声でそう言った。声だけの人には親はいない。だからこそ親子というものを本当のところでは理解しきれていないんだと思う。
だけどこの子とあの人の繋がりを見て、疑似的に親子の絆を知って、羨ましがっているんだと思う。私も母様と死に別れたと思っていた頃は、親子を見て羨ましいと思っていたから。だから声だけの人の気持ちはなんとなくだけどわかるんだ。
「我はこの子を鍛えることしかできぬ。我の骨肉はとうの昔に朽ち滅びた。ゆえにできるのはこの子を鍛えることのみ。であるからそなたがいてくれて本当に助かっている。そなたがいるからこそ、この子はいままでのように孤独に過ごすことはない。本当に助かっておるよ」
「あなたはこの子のおじいちゃんみたいだね」
声だけの人の想いは、この子に向ける想いとその姿勢はどこか爺様に似ている。だからかな。そんなことを言っていた。声だけの人はあっけにとられたのか、なにも言わずにいた。でもすぐにおかしそうに笑いだした。
「おじいちゃん、か。まぁ、たしかにそれくらいの年齢差はあるかな?」
声だけの人はちょっと嬉しそうだった。まんざらでもないかもしれない。もっともこの子がどう思っているのかまではさすがに私にもわからないけれど。
「構わぬよ。自分の想いを他者に押し付けることなどはしてはならん。自分が大切に想っていたとしても、相手も同じように想ってほしいなどというのは、ただのわがままにしかすぎぬ。我はこの子にどう思われようとも構わん。ただこの子に強くあってほしい。我のようになってほしくはない。だからこそ我はこの子に力を貸している。ただそれだけのことだ」
声だけの人はそう言うけれど、それが強がりだということはよくわかる。声だけの人もなかなかに意地っ張りだった。そういうところはこの子によく似ている。
「ふふふ」
「なにを笑っているかは知らぬが、今日はそのまま寝かせてやるといい。明日はまたしごきあげるぞとだけ言っておいてくれ。我も今日はそろそろ眠るからな」
声だけの人はそれだけを言うと口を閉ざした。相当に眠かったのか。それとも単純に疲れているのかはわからない。ただ今日はもう声だけの人の声が聞こえてくることがないことだけはたしかだった。
「今日も頑張ったね、シリウス」
私の膝の上で眠る「成長」した娘の頭を撫でる。私よりもきれいになった髪はとても手触りがいい。でもその手触りがいい髪もいまはすっかりと汚れてしまっていた。
「起きたら、一緒にお風呂に入ろうか。髪を洗ってあげるからね」
水は流れない。火は爆ぜない。でもそれは自然のものであればの話。魔法で起こした水や火であればどうとでもなる。だからお風呂に入ることもできる。温かいご飯を食べることだってできる。けれどそこにはあの人はいない。それだけが心残りではあった。
「早く会えるように私もできるだけ支えるから、頑張ってねシリウス」
必死に努力する愛おしい娘を祝福するように、眠るこの子に額にと唇を落とした。この子が望む未来を手に入れられることを祈りながら、私は愛おしい娘にキスのプレゼントを贈ったんだ。
誰視点だったのかは、そのうちにですかね。
続きは二十時になります。




