Act5-84 星空を眺めて
「わぅ~」
シリウスがいつものように鳴いている。
本人が言うには無意識のようだけど、今回もやはり無意識のようだ。
というか現状で意識的にできるわけがない。
なにせシリウスは──。
「ふふふ、体は大きくなってもまだ子供ですね」
レアはシリウスを真っ正面から抱き締めて笑っていた。いつも以上にその笑顔は柔らかい。
なにせシリウスがレアの腕の中で眠っているからね。
グレーウルフ時代であれば、見た目は五歳児くらいの頃であれば、レアは身長が高いから眠るシリウスを抱き留めるのは難しいことじゃなかったのだろうけど、いまのシリウスは十歳児相当なので、抱き留めるのにも少し苦労しているようだ。
それでもレアは穏やかな笑顔を浮かべている。母親らしい笑顔をだ。
「見た目に合わせて、中身も成長しているとは思うけどね」
「でもこうして眠っている姿は、なにも変わらないですね。私が知っているシリウスちゃんのまま」
ふふふとレアがまた笑っている。
今夜はずいぶんと機嫌がいいのか、レアはよく笑う。
レアは笑っていることが多いけれど、今日はいつも以上に笑っているように思えた。
「今日はご機嫌だね?」
「それはもう。なにせようやく大好きな人が起きてくれましたもの。なかなか起きてくださらないから心配していたんですよ?」
「あ、あははは、悪い」
じいちゃんと戦った結果でのことだからじいちゃんのせいではあるのだけど、一番悪いのは弱すぎた俺だった。俺が弱すぎたからこそ、俺はレアに心配をかけたんだ。
「謝るのであれば、私だけなのはダメじゃないですか?」
「……そうだね。いつもよりと辛辣だなと思っていたけど、そういうことだったのかな?」
「ええ」とレアは頷いた。頷いてから腕の中のシリウスを見つめる。その表情はさっきと同じで母親のものだった。
「大変でしたよ? あなたがなかなか起きてくださらないから、この子ったら暴れまわっていましたから」
「暴れる?」
「はい。パパの仇を討つんだって言って、ライコウ様に何度も殴りかかっていましたから。その度に返り討ちにされて、その鬱憤をルルドにぶつけていましたね」
しみじみとやや遠くを見つめながら語るレア。うん、語るのはいいのだけど──。
「……ルルドは?」
「昼間に、そのまぁ」
「……うん、なんとなくわかったから言わなくていいよ」
レアがぼかすということは、相当ひどい目に遭ったようだ。フルボッコ程度で済んでいればいいんだけども。
「大丈夫だと思いますよ? あの子笑っていましたので」
「……どっちが?」
「……ご想像にお任せします」
レアがそっと顔を反らした。
うん、それだけでどっちが笑っていたのかがわかるの。仮にシリウスであれば、仕方がない子だとかそういうだけで終わっていたと思うけど、顔を反らしたうえに言及を避けたということはそういうことだし。
……あいつ、開けてはいけない世界への扉を開けてしまったのかな。
うん、ますますあいつにはシリウスはやりたくないな。
というか本当にそっちの世界への扉を開けてしまったのであれば、結婚がすごく難しくなってしまったような。ルルドが一人っ子ではないことを祈るばかりだよ。
「まぁ、そのことは置いておこうか」
ルルドのことは、まぁ仕方がないと思って諦めましょう。……いまならまだ間に合いそうだけど、そこはまぁ本人の趣味嗜好ですので。外野がとやかく言うことじゃないと思いたいですね、はい。
「そうですね。目覚めてはいけないものですが、意図した結果ではなかったですし」
「うん。まぁまだ若いから矯正もできると思うよ?」
「そうですよね」
なんとも言えない空気のなか、俺たちは笑い合った。笑うことしかできなかった。
同じ空気が漂うなか、ひとしきり笑った。
笑い合ってからおもむろに空を見上げると──。
「あ」
「どうしました?」
「……レア、シリウスを起こして貰ってもいいかな?」
「シリウスちゃんをですか?」
少し前に寝たばかりで申し訳ないけど、今回ばかりは起きてもらうしかない。
レアたちが起きて来るまで、空を眺めていたというのに、俺はこのことに気付かなかった。妙な感傷に浸りすぎていて周りが見えていなかったんだな。
「理由があるんですね?」
「うん。まぁ教えておきたいことがあったからさ」
「わかりました。シリウスちゃん、シリウスちゃん、起きて」
レアがそっとシリウスの体を揺さぶる。シリウスは「わぅ~」と鳴きながらまぶたをうっすらと開いた。
「もう、朝なの?」
「違うよ。パパがシリウスちゃんに教えたいことがあるみたい」
「パパが?」
ぼんやりとしながらシリウスが顔を向けてくる。眠そうな顔もかわいい。けど、いまは──。
「さっそくだけど、上を見てごらん」
頭上を指差すとシリウスとレアが空を見上げ、ふたりは大きく息を呑んだ。
「星がいっぱい」
「相変わらずすごいですね」
俺たちの頭上には、満天の星空が広がっていた。
人工的な光がないのと、寒さゆえに星がよりきれいに見える。でも俺が見せたいのはこれじゃない。星空の中のあるものを見せたい。
「あそこに強く輝いている星があるよね」
「わぅん」
「三角の形をしていますね」
「うん。あれは俺の世界では冬の大三角って言うんだ。その中でも一番輝いている星が「シリウス」って言うんだ」
「私?」
「そう。シリウスの名前はあの星から取っているんだよ。まさかこの世界にもあるとは思っていなかったけど」
シリウスがこの世界でも見られるとは思っていなかった。
まぁこの世界では違う名前なのかもしれないけど、あれが俺にとってシリウスであることには変わらない。
「あれが私の名前の星」
「うん。最初会ったとき、俺にはシリウスがああいう風に見えたよ。それはこれからも変わらない。シリウスが何度進化しても、見た目がどんなに変わってもシリウスはシリウスだから」
言いながら俺にも同じことが言えるということに気づけた。
人であろうとなかろうと、俺が俺であることは変わらない。俺がいままで為してきたことはなにも変わらないんだ。
簡単なことだ。簡単ではあるけど、そのことに気づくことができていなかった。
もしかしたらこれさえもレアとシリウスの思った通りの展開なのかもしれない。
「どうしたの?」
「なにかありまして?」
「……なんでもないよ」
さすがに考えすぎだったかな。
でもレアとシリウスに今日は色々と教わったな。
人はいくつになっても学ぶことができる。それがよくわかったよ。
「……これからも一緒にいてくれる?」
何気なく呟いた言葉だった。というかほぼ無意識に口にしていた言葉だった。その言葉にふたりは静かに頷いてくれた。
満天の星空の下、俺たちはいつまでも星空を見上げた。柔らかな光に濡れながら、いつまでも空を眺めていった。




