Act5-83 なにになるかではなく、なにを為すか
本日十話目です。
「私としては、「自分が何者なのか」なんて考えても意味がないことだと思うんですけどね」
レアは俺をいままで以上に強く抱きしてくれていた。
強く抱きしめながら、レアは続ける。ただ言われている意味はいまいちわからない。「自分が何者なのか」を考える意味はないと言われても、それはレアがちゃんと自分があるからであって、俺みたいにいきなりいままでのすべてを否定されたような、自分のアイデンティティを否定されてはいないからだ。
そうだ。俺はアイデンティティを否定されたんだ。俺が俺であることを否定されてしまったんだ。レアにはきっとそんな経験はない。
だから「自分が何者なのか」ということを考えたことがないんだ。考えたことがあるのであれば、そんなことは言うわけが──。
「……ありますよ。私もずっと、ずっと昔に自分が何者なのかと考えたことは。いいえ、自分がなんで産まれてしまったのかと考えたことがありますよ」
レアはあっさりと言った。でもその内容は俺が悩んでいること以上に、根の深そうなものだった。いや俺が考えていることを鼻で笑えるような内容だった。
「なんで」
「「旦那さま」には言いましたよね? 私の昔のことを」
レアは静かに言った。平静を装っているけれど、俺を抱き締める腕が震えていた。どうして腕が震えているのかは考えるまでもない。
当時のことを、性奴隷にされていた当時のことを思い出しているからだ。レアと一緒に寝るようになってから、時折レアがうなされているのを見かけることがあった。うなされている内容は、当時のことを思い出しているから。まだ八歳の女の子がケダモノどもの慰み者になっていた。それは日本では考えられないことだ。
でもこの世界は日本のような法治国家じゃない。それぞれの国の王が定めた法があるというだけであり、その法だって国によっては千差万別だ。力のない者を守るためではなく、力を持つ者がより力を発揮しやすいようにする。そんな法の国が少なからず存在する。ここはそんな世界だ。
だからこそ八歳の女の子が日常的に犯されたところで誰もなにも言わない。見て見ぬふりをするどころか、人によっては参加することもありえる。ここはそんな世界だ。
それはいまや「七王」の一角であるレアとて変わらない。いやそんな過去があるからこそ、いまのレアがあるんだ。悲惨すぎる過去を乗り越えてきたからこそ、レアは「七王」の一角となっているんだ。
でもどんなに乗り越えたところで、ふとしたときにフラッシュバックが起こるのは無理もない。むしろ起きて当然だよ。
俺は詳しく知らないけれど、長い月日が経ってもなおうなされることがあるということは、それだけの恐怖と憎悪の中にレアはいたってことになる。
そんな世界にいまのシリウスよりも外見では幼い子が放り込まれていた。その過去はどんな未来を、当時では考えられないような未来を得たところで決して消えることはない。それをレアのうなされる姿を見て、俺ははっきりと理解できた。
たしかにレアであれば、そんな地獄のような過去を乗り越えてきた彼女であれば、そう言えるのかもしれない。
「レアママの昔になにかあったの?」
シリウスは不思議そうに俺を見つめている。なにを言えばいいのか。いやそもそもこのことは話していいのかわからなかった。あまりにもデリケートな話すぎて、俺が口にしていいのかわからなかった。
「……そうだなぁ。子供の頃のことなんだけど、レアママはたくさんの男の人にひどいことをされていたんだ」
「ひどいこと?」
「うん。殴られたり、蹴られたりするのはあたり前で、魔法で燃やされることもあったなぁ」
「え?」
シリウスの顏から表情が消えた。信じられないという風にレアを見つめている。するとレアは急に俺の背中ら離れると、服を肌蹴させていく。肌蹴た服の下からはあの日見た火傷や傷が現れた。月明りの下で見るそれは、とても生々しく、そして痛々しいものだった。
「なに、それ」
シリウスの声が震えていた。震えながら、シリウスはレアの傷だらけの体を見つめている。
「……八歳の頃の傷だよ。もう数千年も昔のことだけど、まだ消えてくれない。ううん、きっとこの傷は永遠に消えることはないんだろうね。レアママが生きている限り、この傷は消えない」
そう言ってレアは肌蹴た服を整えていく。その間もシリウスは目を見開いてレアを見つめていた。けれどレアが服を整え終るとシリウスの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「シリウスちゃん?」
「なんで、レアママがそんな目に遭ったの? レアママはなにか悪いことをしたの?」
「ううん、なにもしていないよ。少なくともシリウスちゃんにマネされたら困るような悪いことはなにもしていない。気づいたときにはそうなっていただけ。地獄のような日々に突き落とされていただけだから」
「なんで? なんでレアママがそんな目に遭わなきゃいけなかったの!?」
シリウスが叫んだ。その叫びはどこまでも純粋な想いがこもっていた。そう、どこまでも純粋にレアという母親を慕う想いが込められていた。
「仕方がなかったんだと思うよ」
「どうして仕方がなかったの!? レアママはなにもしていなかったんでしょう!? なにも悪いことをしていないレアママがどうしてそんなひどい目に遭わなきゃいけなかったの!?」
「力がなさすぎたから、かな? 強くなかったから。私はあまりにも弱すぎた。だから自分の身を守ることもできなかった。それだけのことで」
「それだけのことじゃないもん! レアママ、そいつらの居場所を教えて!」
「知ってどうするの?」
「私がそいつらを皆殺しにする! レアママにひどいことをした分だけそいつらの大切な人にも同じ目に」
シリウスがとんでもないことをまた言い出した。でも最後までは言えなかった。言う前にレアがシリウスの頬を叩いたからだ。
「……そんなことを言っちゃダメでしょう?」
「どうして? だってレアママにひどいことをした奴らなんでしょう!? なら死んで当然だよ! 私に噛み殺されて当然だもん!」
「違うよ。そんなことはしちゃいけない」
「どうして!? いままでの私であればできなかったかもしれない。でもいまの私ならできるもん! いまの私ならあの黒い鎧の奴みたいに」
「レアママはシリウスちゃんにそんなことをしてほしいと望んではいないよ?」
「どうして? 私は強くなれたよ? 敵討ちができるくらいに強くなれたんだよ!?」
「知っているよ。でもね、シリウスちゃん。なにになったかじゃないの。なにになるかよりも、なにを為すかの方がはるかに大事なんだよ?」
「だから私は」
「シリウスちゃんは手に入れた力で、誰かを傷付けて満足なのかな?」
「え?」
「その力でなにもかもを傷付けて満足なのかな?」
「でも、レアママが」
「もうずっと昔のことだもの。レアママはもう気にしていないよ。だからそんなことであなたの手を汚しちゃダメだよ。この手は、その力は誰かを傷付けるためのものじゃないよ。守りたいと思った人を守るための力。カルディアママがそうであったように、レアママはシリウスちゃんにそうあってほしいって思っているんだよ」
「カルディアママみたいに?」
「うん。いまのシリウスちゃんは、カルディアママに瓜二つだもの。カルディアママは力の使い方をきちんと理解していた。その力をどうやって使うのか。自分が正しいと思うことに使うためにはどうすればいいのか。カルディアママはそのことを理解していたから。そんなカルディアママの娘なのだから、シリウスちゃんにもできるとレアママは思っているよ」
レアはシリウスをまっすぐに見つめながら言った。シリウスに言いつつも、その言葉は俺にも向けられていた。「何者なのか」ではなく、「なにを為すか」を考える。その力で自分が正しいと思うように使うこと。簡単なようでこれ以上となく難しいことだった。
「私はどうすればいいの?」
「それはレアママにもわからないよ。ただひとつ言えるとすれば」
「すれば?」
「シリウスちゃんには人を傷付けることは似合わないってこと。この手は誰かを、あなたの好きな人たちを守るためだけに使ってほしいってこと。レアママはシリウスちゃんにはそういう優しい子になってほしいよ」
レアはそう言ってシリウスのおでこにキスをした。ほんのりとシリウスの頬が染まる。レアは笑っている。その笑顔はどこまでもレアらしいものだった。
四月の更新祭りは以上で終了です。
今回もありがとうございました。




