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Act5-77 その声に

 本日四話目です。

 唐突な戦いになってしまった。


 ライコウ様、いやじいちゃんと初めて戦うことになった。戦うというよりは稽古に近いのかな。


 俺はじいちゃんには稽古をしてもらったことがない。


「そうさなぁ。おまえが十歳になったら、稽古をつけよう。それまではシンと弘明に鍛えてもらうといい」


 おばあちゃんが入院する少し前にじいちゃんに稽古をお願いした返事はあしらわれるようなものだっ

た。


 実際あしらわれてしまったのだけど、じいちゃんにもじいちゃんなりの考えがあったんだと思う。


 ただそれがどういうものなのかを知ることはできなくなった。


 おばあちゃんが入院し、二度と家に帰れなくなった頃から、じいちゃんは一気に老け込んでしまった。


 それまでは自分だけでできていたことも、背筋を伸ばして歩くこともできなくなり、もうどこにもいなくなってしまったおばあちゃんを呼ぶことさえあった。


 誰がどう見てもじいちゃんはまともではなくなってしまった。


 まだ徐々にであれば、手の打ちようはあったかもしれない。


 けど、それはいきなり発症し、一気に進行した。


 いまのじいちゃんは俺たちの名前どころか、おばあちゃんの名前を覚えているのかもわからない。


 いまやじいちゃんは、家の縁側で日長一日ぼんやりとしている。


 少なくとも俺がこっちに来るまでは、縁側に腰かけてぶつぶつとなにかを言うことしかできなくなっていた。


 じいちゃんがそうなったのは、おばあちゃんが亡くなって半年も経たない頃だ。不思議とそれ以上は進行していないけど、十歳になったら稽古をつけるという約束は守られていない。


 だから俺はじいちゃんの稽古がどんなものなのかを知らない。一心さんと弘明兄ちゃんが言うには常軌を逸しているということだけど、どのくらい逸しているのかはいまだにわからない。いや、わからなかった。いまのいままでは。でもいまは──。


『どうした? もう終わりか、香恋?』


 じいちゃんは汗ひとつ掻かずに言う。もの足りなさそうな口調だけど、事実じいちゃんには余裕があった。


 対して俺には余裕なんてなかった。


「まだまだ、だ」


 口の中に溜まった血を吐き捨てる。


 奥歯を噛みこみすぎて、口の中が傷だらけになっていた。


 エリキサを煎じて飲めば治るけど、かなり沁みそうなのでいまからちょっと憂鬱だ。


「じぃじ、やめてよ! パパがなにをしたの!?」


 シリウスが涙目になっていた。涙目になりながらじいちゃんを止めようとしている。けれど、止めることはできない。


 いや止めるどころか、近寄ることができていない。


 俺とじいちゃんは透明な膜でできた空間に覆われていた。


 その膜に阻まれてシリウスは一定の距離からは近寄れなくなっていた。


 膜を何度も何度もシリウスは叩いている。


 でも、シリウスの手がどんなに赤くなろうとも膜の内側には入れない。


 内側に入るには、いや出入りにはじいちゃんの許可が必要だった。じいちゃんが許可しない限りは、内側を出入りすることは誰にもできはしない。


『やめてほしいとシリウスが言っているがどうする? わしとて曾孫の泣き顔を見たいわけではない。おまえが諦めると言うのであれば、すべてを捨てて日本に帰ると言うのであれば、やめてやっても──』


『ふざけんな』


 じいちゃんの寝言を切り捨てる。


 すべてを捨てて日本に帰れだ?


 ふざけんなよ。


 いまになってそんなことを言われたって帰れるわけがない。


 そもそも俺は──。


「カルディアの仇を討つんだ。仇を討たない限り、帰れるかよ!」


 そうだ。この世界に来たばかりの頃とは、俺の目的はもう変わってしまっている。


 あの頃はただ帰りたかった。


 兄貴たちや親父、じいちゃんにそして希望がいる日本に帰りたかった。


 でも、いろんな人に出会ってしまった。世話になってしまった。そして一番の理由である希望がこの世界に来てしまった。


 俺が帰らなきゃいけない理由は希薄となった。


 それでも帰りたいと思わないわけではなかったけれど、カルディアを目の前で殺されたことでより希薄になった。


「俺はシリウスの分まで、カルディアの仇を討つ。あの子の手をこれ以上汚させはしない! だから俺は帰るわけにはいかない!」


 地面につけていた膝を叩き、立ち上がる。


 もう体はどこが痛み、どこが無事なのかを自分でもわからなくなっている。


 全身がひどく痛んでいた。


 でも気を失うほどの痛みじゃない。


 せいぜい動くのに少しだけ支障が出る程度だ。


 意思ひとつで抑え込める程度の痛み。その程度の痛みですむようにじいちゃんは手加減をして打っている。


 それも痣になる程度で、深刻な怪我にはならないように打たれていた。


 一心さんとは違う。弘明兄ちゃんよりもさらに厳しい。じいちゃんの稽古はたしかに常軌を逸しているのかもしれない。怪我という怪我にならない程度に痛めつけつつ、動きを教える。無駄な動きをすれば痛むけど、無駄な動きをしなければ痛まないように殴られている。


 自分で言っておいてなんではあるけど、どうすればそんなことができるんだという方法だけど、実際にやられているのだから、どうしようもなかった。


 一心さんと弘明兄ちゃんが「天下無双」とじいちゃんを称していたけど、その理由がいまようやく理解できた。


 攻撃を仕掛けても入らない。それどころか打ち終わりの隙を狙われてしまう。最初はチート化した身体能力でどうにかなっていたけど、徐々に修正された結果、いまや打たれたい放題になってしまっている。

 でも、打たれても深刻なダメージがないようにしか打たれていない。


 けれど打たれている以上、少しずつ動きは鈍っていく。


 正直な話、俺にはもう打つ手はなかった。


 いや魔法を使えば、まだ勝ち目はあるかもしれない。


 でもじいちゃんが使っていないのに、俺だけが使うのは悔しかった。


 相手は「天下無双」と謳われた人だ。張り合ったって意味はない。


 むしろ全力で戦うためにも魔法は使うべきだ。


 だけど、それはあくまでも命のやり取りを行う実戦であればの話だ。


 稽古という安全な状況であれば、命のやり取りまで発展しない状況であれば、魔法を使わずにこの身ひとつで戦うべきだ。


 じいちゃんもあえてなにも言わずに戦ってくれている。


 ならば戦い方にはこだわりを持つべきだった。


『その意気やよし。しかしだ』


 じいちゃんが消えた。ほぼ同時に無数の衝撃が全身に走った。足が浮いた。夜空しか見えない。


『まだまだよな。おまえの力は中途半端でしかない。そんなものを振りかざしたところで無駄死にするだけよ。ならばすべてを忘れればいい。すべてを長い夢だと思い込み、日本に帰れ、香恋』


 じいちゃんは構えを解いた。これで終わりだと言っているかのようだ。


 まだ終わっていない。まだ終わりじゃないのに、勝手に終わったみたいな風に言わないでほしい。


 これからだ。これからなんだ。


 体を動かそうとした。


 けれど、体に力が入らない。まだまだだと言いたいけど、口さえも動かない。思考速度も徐々に止まっていき──。


「パパぁっ!」


 シリウスの声に体が反応した。両手をつけながらも着地した。顔を上げるとじいちゃんが驚いた顔をしていた。


 いまがチャンスだ。


 終わっていない。


 渾身の力を込めてじいちゃんの顔めがけて腕を振り抜いた。


 じいちゃんがとっさに避けようとするけど、もう遅い。


 構えを解いたということは、残心さえも終わったということだ。


 じいちゃんにとってみれば、俺はもう気絶しているはずだったんだ。


 だからこそ、構えを解いた。戦闘モードではなくなったんだ。


 だけど、まだ俺は負けていない。気絶していない。その差が千載一遇のチャンスを得た。


 そうして放った一撃はわずかな、でもたしかな手応えを伝えてくれた。


『……見事』


 じいちゃんは頭を動かし、俺の拳の直撃を避けていた。そう、直撃はだ。


『……わずかでも、一撃は一撃だな。ふふふ、よくやったぞ、香恋』


 じいちゃんが黒い瞳を覗かせながら言った。俺の拳は直撃しなかったけど、じいちゃんの仮面を、目元だけではあるけど欠けさせていた。


「俺の勝ち?」


『アホウ。誰が勝ち負けを争っていた? だが、ある意味勝ちと言えば勝ちかな? なにせ一撃も貰うつもりはなかったのに貰ってしまったんだ。そういう意味ではおまえの勝ちだよ、香恋』


 じいちゃんは穏やかな目をしていた。やった。そう思いながら俺はゆっくりと意識を手放したんだ。

 続きは十二時になります。

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