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Act5-38 大逆

 本日九話目です。

「……「闘騎」か」


 スパイダスの家を出てすぐにある森が開けた場所から、ぼんやりと空を見上げる。


 スパイダスが具体的な森での異変について話をしてくれていたが、いまひとつ頭に入ってこなかった。カレンさんたちは二回目だというのに、真剣に話を聞いていた。


「一度目よりも二度目の方が手に入る情報量が多いんです」


 とカレンさんは言っていた。たしかに同じ話であっても、一度目と二度目とでは得られるものは違う。同じ内容であっても、一度目には気づかなかったなにかに気付ける可能性はあった。


 とはいえ、それを本気でやろうなんて考える誰かがいるとは思ってもいなかった。その思ってもいなかったことをカレンさんは本気でやっていた。


「兄者たちが気に入るわけだな」


 兄者はまっすぐな性根の持ち主を好む人だ。だからこそカレンさんを気に入るのもわかる。しかし、レア姉も彼女を気に入るとは思っていなかった。


 いや、べた惚れというべきか。あんなわかりやすく好意を向けるレア姉を見るのは、ずいぶんと久しぶりだ。


 初めて会ったときのレア姉はすでに好意を、わかりやすすぎるほどの好意を向けていたが、その向けられていた本人はそのことにはまるで気づいてなかった。レア姉が言うにはそれが初恋だったらしい。


 でもその初恋は敵うこともなかった。それは二度目の恋も同じだ。レア姉の恋はいつも儚く散ってしまう。レア姉自身そのことを悲しいほどに理解しているからこそ、恋をしないようにしている。


 だが、今回の恋ばかりはどうしようもなかったんだろう。レア姉の二度目の恋である「英雄」エレンとあまりにも似すぎているカレンさん。俺自身はエレンと話したことはあまりない。ただエレンに抱いていた印象の大半をカレンさんと重ねることができていた。


 それだけカレンさんはエレンによく似ている。生まれ変わりと言ってもいいくらいに、ふたりは似すぎてしまっている。


 だからなのかもしれない。レア姉がカレンさんに恋をしたのは。


 だけどすでにエレンへ抱いていたであろう想い以上の気持ちを、レア姉はカレンさんに向けている。


 当時のレア姉はエレンに対して、あそこまで尽くしてはいなかった。


 むしろ「私がこれだけ愛しているのだから、愛されるのは当然だ」という態度が透けて見えていた。


 エレン自身はそんなレア姉に辟易としつつも、面白い人だと思ってくれていたのが、弟分としては救いだった。


 できればレア姉と結ばれてくれればとは思っていたが、俺の願いはあっさりと切り捨てられてしまった。


 エレンは兄者を愛したのだから。そして兄者もまたエレンを愛した。とはいえ、ふたりの恋が成就することはなかった。


 いや成就するどころか、最期の最期までふたりはお互いの気持ちどころか、自分の気持ちにさえ気付いていなかった。


 人間の希望である「勇者」を経て、最強の力を得る「英雄」へと至ったエレンと、「魔大陸」の支配者である「七王」の筆頭の兄者。


 ふたりの立場はそれぞれの気持ちを成就する妨げとなっていた。そしてエレンは兄者の手に掛かり、死んだ。


 あの時のことはよく憶えていた。エレンとその仲間たちの必死の戦い。血沸き肉躍る戦いだったというのもあるが、その命の輝きが、ただ生きようとするその輝きがあまりにも美しかった。同時に悲しかった。なにかひとつ違えば、お互いの立場が異なればあんな悲劇は起こることもなかった。


 だが、どちらにせよ、レア姉の恋は散っていたわけだが。あれからレア姉は表面上で笑っていても、心の底からの笑顔を浮かべることはなくなった。それは兄者もまた同じだ。命を奪って初めてその相手を愛していることに気付けたのだから。


 当時のふたりの慟哭は胸が痛かった。


 あれからもう何年経ったのだろうか? 月日を数えることさえ億劫なほどの時間が過ぎ去っているのはわかる。だがその具体的な日々まではわからなかった。


 いままでいったいどれほどの幕僚たちを見送ってきたのか。あまりにも生きるための時間が違いすぎている。違いすぎる時間の中、俺たち七人は孤独に生きてきた。それはこれからも変わることはない。そう思っていた。


 しかしその予想を覆すようにカレンさんが現れた。あの「英雄」にあまりに似た彼女が現れたことで、止まっていた時計の針が動き出したように思える。


 それは兄者やレア姉だけではなく、俺やほかの「七王」たちにも同じことが言える。具体的になにかをしてもらっているわけじゃない。


 ただ彼女の存在はこの世界を、停滞し、滅びを待つこの世界を救う、新しい光になってくれる気がする。いまはまだその光は弱い。灯にもならない弱すぎる光だ。しかしいつかは闇を払い、世界を照らす光になってくれるだろう。


 その光がその身を焼き尽くすことがないことを、ベルセリオスの二の舞にならないように見守っていくしかない。


 そうだ。ベルセリオスの二の舞は防がなきゃいけない。いまはまだ二の舞になりそうにはない。しかし、この世界はとても残酷だ。その残酷さがいつカレンさんに牙を剥くかは誰にもわからない。そうならないためにも、カレンさんには強くあってほしい。だからなのだろう。だからこそ──。


「……あんたはあの子を見守っているのか? ベルセリオス」


 気配はない。だが、たしかにいる。すぐそばにいるのがわかる。


「……気づかれていた、か」


 小枝を踏む音が聞こえた。振り返ると、そこには仮面をつけたベルセリオスが立っていた。


「気づかれていないと思っていたのか?」


「いや、おまえには気づかれていると」


「バカを言うな。ベリアルやレア姉もあんたのことは気付いていただろうさ。それでも気づかないふりをしていたんだ。……あの子に余計なことをさせないためにな」


 ベリアルには少し前に手紙をもらったが、なにも書かれてはいなかった。レア姉もなにも言ってはいない。しかし、カレンさんと会ってから妙な気配を感じていた。あくまでも気配のようなものだ。気配自体は全くと言っていいほどに感じられなかった。


 だが、たしかに誰かがいると思っていた。スパイダスの家でライコウ様と出会ってから、正体はライコウ様だったのかと思っていたが、その誰かの気配はライコウ様と出会ってからも続いていた。おそらくライコウ様も気づかれているはずだ。


 だからこそこうしてベルセリオスを誘い出した。ベルセリオス自身はあえて誘われたのかもしれない。もともと考えていることがわからない男だから、無理もない。


「……なんだろうな。いまひとつ納得できないが、私はおまえにバカにされていないか?」


「バカにしてはいないよ、ベルセリオス。ただ余計なことはしないでくれないか?」


「余計なこととは?」


「あんたはあの子をあんたと同じ目に遭わせるつもりか?」


「……あの子は「英雄」に至る子だ。私がどうこうしたところで、あの子の運命は変わらないさ。それにもうあの子は手遅れだよ」


「なに?」


「あの子はすでに私たちと同じ道を歩んでいる。あの子はいずれその手を愛する者の血で染める。ゆえにもう」


「黙れ、兄者!」


 ベルセリオスの、兄者の言葉を遮る。あの子にはそんな血濡れた道を歩んでほしくない。血濡れた道を歩むのは俺たちだけで十分なのだから。


「……入れ込んでいるな。まぁ、おまえらしいと言えばらしいのかな? おまえは昔から優しかった。感情を表に出さないようにしつつも、心の底では誰よりも優しかった。そうだろう? 「鬼王」、いや、「闘騎」マモン」


 兄者が口にしたのは、俺の昔の名前。そう、この身はかつて称えられた。いやいまもなお称えられし「六聖者」のひとりだ。


「大逆を為す。そのためだけに我らは生きてきた。その中核をあの子にしてもらう。それはおまえとて納得していたことであろうに」


「それは」


「それとも情が沸いたか? 優しいおまえらしい。だが、あの子には死んでもらう。大逆を為すには。「神殺し」のためにはあの子には生きていてもらっては困るのだからな」


 兄者は口元を歪めて笑いながら、はっきりと言い切った。あの子を、カレンさんを殺すとはっきりと言った。


 風が吹く。冷たい風だ。雪が残る森の中だからなのか。それとも背筋を伝う冷たい汗によるものなのか。わからない。わからないまま、俺と兄者の間に冷たい風はいつまでも吹き続けていた。

 続きは二十一時になります。

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