Act5-26 ガルムとマーナ
悪夢を見せられていた理由は俺にあった。
ナイトメアウルフ、シリウスの母親にとってみれば、シリウスのそばにいられると思ったら、一向にシリウスに渡されることがない現状はオアズケをされ続けているようなもの。うん、悪夢を見せられるのは無理もないかも。
俺だってそんなことをされれば、相手を恨みたくなるもの。
だからと言ってカルディアの振りをするのは、ひどくないか?
よりによってトラウマになりかけている傷に触れますかね?
……それだけのことを俺がナイトメアウルフにしていると言われれば、否定のしようがないんですけどね。
というか、ナイトメアウルフだけじゃわかりづらいな。
なにせシリウスの両親はどちらもナイトメアウルフなんだし。父親の~と母親の~と名詞をつけているけど、ちょっと不便だ。
「ナイトメアウルフ。あんたには名前あるの?」
「ない。ちなみに妻にもない。普通は魔物には名前はない。人に仕えている魔物くらいしか名前はない。あとはそれぞれの特徴で呼び合うくらいか」
「ふぅん」
具体的な名前はないとなると、こっちで勝手につけるのもありかもしれない。
むしろ呼び分けるためにも名前はつけるべきだ。
「俺が名前をつけてもいいか?」
「名前を?」
「あんたらは武器に宿っているんだろう? つまりは今後も一緒に行動するってわけだ。なのに、名無しだと齟齬があるでしょう?」
「たしかにナイトメアウルフだけでは、我と妻のどちらを呼んでいるのかがわからんな。識別のために父親のや母親のと言うのは少し面倒か。うむ、識別のためにも名は必要だな」
ナイトメアウルフは理解を示してくれた。名前のある魔物は人に仕えている者だけ。名前があるということは、人に媚を売り、飼われてしまったということ。かなり穿った見方ではあるけれど、そう思う魔物がいないわけじゃないだろうから、ナイトメアウルフが拒否するかもしれないと思っていたけれど、どうやら余計な心配だったみたいだ。
「余計な心配はしなくていいぞ、我が友よ。我はそなたに負けた。そしてそなたを守る剣となることを決めたのだ。その時点で我はそなたに仕えたようなものだ。名前をつけられることに忌避感はない。それにシリウスを見ていたら、羨ましくなったからな」
「羨ましい?」
「名前を呼ばれていたからさ」
「え、でも名前があるのは」
「うむ。穿った見方をすれば、人に尻尾を振った者と謗られる。だが同時に羨ましがられもする。それぞれの特徴で呼び合いはしてもそれは名ではない。それにだ。それぞれの特徴が必ずしもその者にとって好ましいとは限らない」
「なるほど」
たしかにあだ名とかも呼ばれたくないものもあるからね。俺で言えば、チビとか無乳とか、巨乳好きって呼ばれるってことか。
……うん、たしかにそれが当たり前となれば、個別のちゃんとした名前があるのは、羨ましくなるかもしれない。特に不遇なあだ名で呼ばれている方は。
「ゆえにだ。そなたに名前をつけてもらうことに忌避感はないぞ。むしろ光栄だよ。友にして我が主に名をいただくのだ。さぞ、よい名であるのだろうしな」
にやりとナイトメアウルフが笑っている。微妙にプレッシャーをかけやがるな、こいつは。
逆に言えばそれだけ名前がほしいってことか。
主と言われたことに関しては、深く考えないでおこうか。「黒狼望」と「黒天狼」が俺の剣であるから、その二振りに宿るナイトメアウルフの主が俺になるという意味だろうし。
「わかったよ。じゃあ」
いざ名前を考えようとしたとき、ナイトメアウルフ(雌)が起き上がり叫んだ。
「断る! おまえよりもシリウスに名をつけてもらう!」
くわっと目を見開いて、ナイトメアウルフ(雌)が叫ぶ。わりとマジなお目目をされております。
「私のかわいい娘に名前をつけてもらうんだ! そう、かわいいかわいいシリウスに!」
ナイトメアウルフはやや興奮したように叫んでいる。発情しているのかと思うくらいに、若干危ない顔をされております。……「エンヴィー」の外で戦ったときとキャラが違いすぎませんかね? 本当に同一人物なのか?
「……すまぬ。どうにも具現化できるようになってから、理性という名の歯止めが利かなくなっていてな」
「違いますよ、あなた! シリウスがかわいいのに、まったく触れ合うことができなかったからです! 母親は私なのに、「まま」や「まま上」などと人間の雌どもを呼んで慕う姿を延々と見せられれば、理性のひとつやふたつなど、ぶち破って当然でしょう!?」
「……理性は普通ひとつだけだぞ。お前の理性はいくつあるんだ?」
「揚げ足を取るのはやめてください! とにかく私は具現化したからではなく、シリウスの愛らしさのあまりに理性が飛んだだけのことです! だから問題はありません!」
くわっと再び目を見開くナイトメアウルフ(雌)さん。
問題はありませんとか言うけれど、俺には問題があるとしか思えないんですが。でも言っても聞いてくれないんだろうなぁ。
「人間、かわいそうなものを見る目で私を見るんじゃない! 何様のつもりだ!?」
「いや、そんな目はしていないですよ? ただ」
「ただ、なんだ!?」
「面倒くさいなと」
「貴様ぁぁぁーっ!」
本音がぽろりとしてしまった。
でも実際に面倒くさい性格なんだもん、この人。
いやマイペースか。うん、マイペースと言うことにしよう。
思えばシリウスがマイペースなのは、この人に似ているからなんだろうね。……お父さんに似てほしかったなと思ったのは、あえて言わないことにしようか。
「貴様、いまシリウスがよくない意味で私に似ていると思わなかったか?」
「……ナンノコトヤラ」
「おい、発音がおかしかったぞ」
ナイトメアウルフ(雌)のこめかみがぴくぴくと動いている。
どうやら心を読まれたか、表情に出てしまっていたみたいだね。失敗失敗。
「とりあえず、我が主よ。名前を決めてくれるか?」
ナイトメアウルフ(雄)が呆れた顔をしている。ナイトメアウルフ(雌)の反応が楽しかったというのもあるけれど、ちょっと置いてけぼりにしすぎてしまったね。
しかし、名前。名前ねぇ。名付けって意外と難しいんだよね。姓名判断って言葉もあるくらいに、名前は一生ものだ。その名前次第でその人の運命が決まると言っても過言ではないくらいに。なのに最近の親はキラキラネームなんてつけたがる。……ぶっちゃけ俺もわりとキラキラネームだよね。幸子と書いてはぴねすと読むよりかはかなりましだけど、カレンは日本人離れしている名前ではあるよなぁ。
「どうした? 我が主?」
「いや、名前をつける難しさに直面していたところだよ」
「そうか?」
ナイトメアウルフ(雄)はわかっているような、わかっていないような。なんとも言えない顔で首を傾げている。
名づけは親であれば、確実に直面する問題ではあるけれど、魔物の親にとってみれば名づけなんていままで直面することのなかった問題だろうから、共感されないのも当然かもしれないね。
どちらにしろ、名づけは俺から言い出したことなのだから、いい名前を考えなきゃいけない。しかし狼の名前か。シリウスの場合は白と黒の毛並みから星と夜空を連想したことで、星の名前でもある「シリウス」にしたけれど、ナイトメアウルフ(雄)の場合、シリウスに見られた特徴はこれと言ってない。となると特徴から付けるのは無理かな。となると有名な狼の名前からいただくのがいいかな?
候補としては北欧神話における太陽と月を追いかける狼であるハティとスコル、狼王と謳われたロボとその妻の白狼ブランカもいいかもしれない。あとはフェンリルもいいかもしれない。
ただフェンリルだとナイトメアウルフ(雄)だけになってしまう。ナイトメアウルフ(雌)はシリウスに名付けをしてほしいと駄々をこねているけれど、シリウスがまともに名づけれるかどうかがわからない。
となると俺が考えるしかない。加えてつがいの狼であるのだから、そこも踏まえての名前にしてあげたい。
しかし番いの狼の名前かぁ。いまいち思いつくものがないね。ハティとスコルもいいのだけど、ちょっと響きがかわいすぎる。かと言ってロボとブランカもなぁ。ナイトメアウルフ(雄)とナイトメアウルフ(雌)はそれぞれにロボとブランカって感じじゃないんだよね。
でもそうなると、思いつく名前なんて──。
「あ」
番いではないけれど、分けられる名前の狼がいた。その狼はハティとスコルと同様に北欧神話の狼だ。人間の国のミズガルズの東にある森の中に住まう、ひとりの女巨人が産み落とした子供たちの中で、狼の姿をした巨人たちの中で最強と謳われた者。その名前は──。
「マーナとガルムでどうかな?」
マーナガルム。「月の犬」を意味する狼で、ハティと同一視されているけれど、詳しいことはいま置いておこう。いま大事なのはマーナガルムを分けた、マーナとガルムを気に入ってもらえるかということなのだから。
「響きからして我がガルムで、妻がマーナでいいのかな?」
ナイトメアウルフ(雄)はしきりに頷いている。どうやら気に入ってもらえたみたいだ。ナイトメアウルフ(雌)はと言うと、えらく悔しそうな顔をしている。悔しそうなのだけど、嫌がっている風には見えない。
「我は気に入ったが、おまえはどうなのだ? 我が妻マーナよ?」
にやにやとナイトメアウルフ(雄)改めガルムが笑っている。ガルムは意外と人が悪い。嫌がるそぶりを見せていないのだから、答えなんて決まっているだろうに。
「……好きにしてください」
ナイトメアウルフ(雌)は顔を背けた。どうにか納得してもらえたみたいでよかった。
「じゃあ改めてよろしくな。ガルム、マーナ」
「心得た。我が主」
「……ふん」
頷くガルムと顔を背けるマーナ。それぞれの反応を見せるふたりに俺はできるかぎりの笑顔を向けたんだ。




