Act5-17 星月の下で
勢いよく起き上がる。
掛け布団の代りにしていた毛皮を跳ね飛ばすようにして起き上がり、すぐに座り込む。アジュールの中は暗かった。
隣ではレアがシリウスと向かいあわせになるような形で眠っている。ふたりとも穏やかな表情で眠っている。けれど俺が跳ね飛ばした毛皮をふたりも使っていたから、寒そうにしている。慌てて跳ね飛ばした毛皮をふたりにかぶせた。
「……ごめんな」
謝ってすむことではないと思うけれど、謝らずにはいられなかった。
「レアまま」
「シリウスちゃん、かわいい」
毛皮を掛けてあげると、ふたりは揃って嬉しそうに笑った。どうやら夢の中でそれぞれに会っているみたいだ。いったいどういう夢を見ているのか少しだけ気にはなった。
でもこうしていても俺も一緒に夢を見られるわけじゃない。かえってふたりが寝るのを邪魔してしまうかもしれない。
「いい夢を」
俺はそれだけ言って、できるかぎり音を立てずにアジュールから抜け出した。
「きれいだな」
アジュールの外はだいぶ明るかった。
とはいっても街中のような灯りがあるわけじゃない。ただ空には無数の星々と大きな月があった。それらが夜空を照らし、遮るもののない草原を淡く照らしている。
その草原の中を俺はゆっくりと歩いた。ゆっくりと歩きたい気分だからという理由じゃない。そんなアンニュイな理由ではなく、もっと単純な理由だった。
「体が動かねぇ」
そう、俺の体は非情に重かった。いや動かしづらくなっていた。決して太ったわけではなく、うまく体を動かせないってだけのことだ。
ライコウ様の訓練はもうそろそろ一週間になる。連日で訓練を受けているけれど、どうにも体が重い。というか体が動かない。連日での訓練の影響もあるのだろうけれど、それ以上に夜ちゃんと眠れないのが問題なのかもしれない。
あの日、ライコウ様の訓練を初めて受けた日の夜に見た夢。あの夢を見てから俺は眠ることができなくなってしまった。
いや眠れることは眠れるんだ。ただ眠ってもすぐに目が覚めてしまう。いや夢を見て起きてしまうんだ。
夢の内容はいつも同じだった。
白骨化したカルディアに首を絞められる。意識が消えるのと同時に俺はいつも起きてしまう。最初は起きたときには朝だったけれど、ここ最近では起きるとまだ夜中であることが多い。
そのまままた眠れればいいんだけど、それ以降はもう眠れなくなってしまうんだ。
でもいくら眠れなくともライコウ様の訓練に休みはない。それどころかライコウ様曰く、疲労困憊のときこそ訓練をするべきだということらしい。言われたときはなにを言っているんだろう、この人とは思ったけれど、残念ながらライコウ様は本気だった。
「よいか、カレン殿。訓練というものは本番、つまりは実戦を想定して行う。そして実戦とは訓練で得た経験から学ぶ場でもある。つまりは訓練と実践は切っても切れぬ間柄にあるということだ。そして実戦において五体満足であることはそうそうありえぬ。つまりだ。いまは実戦を想定するのにちょうどいい機会であるということだな。となれば、言いたいことはわかるな?」
にっこりと笑うライコウ様。そんなライコウ様の言葉に俺の顏が引きつったのは言うまでもない。そしてその言葉を口にされた日の訓練は、みごとなほどに苛烈だった。思い出したくもないくらいに体を酷使されてしまった。
それでも俺は夜に泥のように眠ることはできず、中途半端な時間に起きて、それから眠ることができなかった。その翌日もライコウ様は喜びながら苛烈な訓練を課してくれた。……正直ライコウ様は天使じゃなく悪魔か鬼じゃないかと思ったのは言うまでもない。
そんなライコウ様のしごきを一週間毎日受け続けている。それでもどうにかまだ体を動かせているのだから、俺は相当頑丈に体ができているみたいだ。まぁ、いくら頑丈にできていてもいずれ限界は訪れるんだろうけれど、少なくともその限界はまだ当分先だと思う。
でも着実に限界に近付いていることには変わりない。
「……このままだと俺死ぬんじゃないかな?」
笑えないことだけど、否定できない。このままだと過労死しそうだ。訓練を受けても過労死というのかどうかは知らないけれど、このままだと死に一直線になりかねない。正直それは勘弁してほしいところなんですけどね。でもライコウ様はそんなことは知ったことじゃないみたいに延々と俺をしごくだけです。……師事する人を間違えただろうかと思えなくもない。
ただその分少しは強くなれたようにも思える。勘違いだったら、めちゃくちゃ悲しいけどね。
「強くなる、か」」
草原に寝そべる。夜風になびく草がちょっとだけ心地いい。まだ虫の声は聞こえなかった。というか虫も冬眠している時期なのかもしれない。雪はもうないけれど、まだかなり肌寒い。特に夜の寒さは堪える。
けれど寒い反面、星空はとてもきれいだった。きれいな星空を見上げながら、カルディアのことを考える。正確には夢の中に出て来る白骨化したカルディアのことをだ。
「……恨んでいるのかな?」
夢の中の出来事は深層心理でのものだ。つまりはその本人が見たいと願っている光景が夢という形で見る。白骨化したカルディアが俺を殺そうとするのは、カルディアに俺が殺されたがっているということなんだと思う。単純に俺を恨んで夢の中に出ているというだけのこともありうるのだけど。
「「旦那さま」は本当におバカさんですね」
やれやれと呆れた声が聞こえてきた。見上げるとそこにはレアが立っていた。レースの黒。なにがとは言わない。あえてなにがとは。とにかく見上げたそこにはレアが立っていた。さっきまで眠っていたはずだったのに、いまは完全に目を醒ましている。
「お隣よろしいですか?」
「え? あ、うん」
上半身を起こして、座り込む。同時にレアも俺の隣に腰を下ろした。レアの香りが鼻腔をくすぐる。
アジュールには風呂はない。ないけれど、即席でレアが風呂を用意してしまっていた。
材料はその辺の土だ。魔法で土を固めて、その中に必要な分の水(魔法で用意したもの)を注ぎ、それを火の魔法で温めるという、なんとも力技でありつつも高度な技量を持ってレアは風呂を用意してくれる。
ちなみに風呂場はふたつ用意してあり、それぞれ男湯と女湯で分けられている。
当然男湯はライコウ様専用だった。ただマモンさんが北から戻れば、マモンさんも男湯に浸かることになるので、ライコウ様専用なのはいまだけだった。
それでもいまだけの専用風呂をライコウ様はそれなりに楽しんでおられるみたいだ、ってなんでライコウ様の風呂事情になっているんだ?
とにかくこのなにもない草原の中でレアからいい匂いがするのはそういう理由なんだ。でもっていま草原にいるのは俺とレアだけだった。
そのうえ頭上には満天の星空ときれいな月が浮かんでいる。よくできたというか、ありがちなシチュエーションだけど、ありがちって結構緊張するものなんだなといま痛感していた。なにを話せばいいのかわからない。
ただ月と星の灯りを浴びるレアはいつも以上にきれいで、そして神秘的だった。それこそ触れていいのかって思うくらいに、いまのレアはすごくきれいだった。胸がどくんと高鳴っていく。
「カルディアちゃんのことですよね?」
「え?」
「恨んでいるのかなって言っていたのはカルディアちゃんのことですよね?」
「え、あ、うん」
主語がなさすぎてわからなかったけど、実際間違ってはいないんだ。だって俺はカルディアのことを考えていたもの。正確には夢の中に出て来る白骨、スケルトン化したカルディアのことだけども、カルディアのことであることには変わらない。
「さきほども言いましたが、「旦那さま」はおバカさんですよね。あの子があなたを恨むわけがないじゃないですか」
レアは呆れていた。たしかにそうかもしれない。でも──。
「レアになにが」
「わかりますよ? だって私とあの子は同じ人を、あなたを同じく愛したのですから」
レアは笑う。その笑顔はやっぱりすごくきれいなものだった。
レアさんのメインヒロイン度が爆上がり←しみじみ