Act5-16 悪夢
ややグロい、のかな?
注意お願いします。
真っ暗だった。
一寸先も見えない闇とは言うけれど、実際に陥ってみるとそうとしか言えなくなるんだなというのがよくわかる。それくらいに俺は目の前が見えなくなってしまっていた。
『──戦わせてほしい。愛するあなたとシリウスのために、私は戦いたいんだ』
闇の中で聞こえてきたのはカルディアの声。あの日、あのとき、カルディアが言った言葉だった。満身創痍になっても戦おうとしていたカルディア。俺とシリウスのために戦い抜こうとしていた。どうしてそんなことができるのかが俺にはわからない。
いや、わかると言えばわかるんだ。だって俺も希望を守るためであれば、それくらいの覚悟はあったからだ。
けれど現実にその覚悟を纏って戦うところを見ると、俺の覚悟というものはそんな大層なものではなかったんだなというのがよくわかる。
そう、俺にはカルディアがそこまでして戦おうとしていた理由がわからなかった。いや感覚としてはわかっていた。でも理屈のうえではわからなかった。
だってそんなことをしたって、死んでも守り抜こうとしたってなんの意味もないじゃないか。守ったところで、死んでしまったそれで終わりだ。死んでも生き返れる蘇生魔法なんてものはこの世界には存在しない。そんなのはただのおとぎ話でしかない。
だからこそ死んでも守り抜くというのは、単なる自己満足にしかすぎない。守り抜くというのであれば、どんなに生き恥をさらしてでも生き残れよ。生き残ったうえで戦い抜けよ。それが本当に守ることじゃないか。いまの俺はそう思っている。
でもその一方で、カルディアの在り方がとても尊く思えてもいる。我ながらひどい矛盾だ。それでもあの日の、あのときのカルディアが見せた姿はとてもまっすぐで、そして美しかった。あんな風に俺もありたいと思えてしまう。
だけどそのカルディアはもうどこにもいない。俺の目の前で、俺の腕の中で彼女は死んだ。アイリスという外道の手によって殺されてしまった。
アイリスにとっては一矢報いるためだったんだろう。だからこそガルーダ様を狙った。カルディアはガルーダ様を守るためにその身を盾にして死んだ。笑いながら彼女は旅立った。
あのときの彼女の姿はいまでも忘れられない。傷がないところを探す方が難しいくらいに怪我を負っていた。動くどころか、そのまえに命を落としていてもおかしくないくらいに彼女は傷だらけだった。傷を負っていないところを探すのが難しいくらいに、彼女は傷を負ってしまっていた。
それでも旅立ったカルディアはとてもきれいだった。その一生を満足しながら終わらせた。それが彼女をきれいだと思えた一番の理由なんだろう。
はたして俺が彼女と同じ立場になったとき、あんな風にきれいな姿で終われるだろうか? 俺の場合はもっとみっともないというか、いささか泥臭い終わり方になりそうな気がしてならない。
「そうかな?」
「そうだよ。俺はきっと泥臭い終わり方をすると思う。きっとみっともないぜ? カルディアみたいにきれいな終わり方はできないと思う」
性分でもあるけれど、俺はどう考えてもきれいな終わり方ができるタイプの人間じゃない。みっともない終わり方になるのは目に見えていた。それでも守りたいものを守り切れればいいんだけど、俺だとそれは難しいかもしれない。あまりそうあってほしくはないことだけど、否定できないことだった。だって俺は弱いから。呆れるくらいに弱い人間だから、守りたいものも守り切れない可能性は高かった。自分でも嫌になるけれど、やっぱり否定できないことだ。
「……本当に自己評価低いよね? どうしてそんなに自己評価低いのかな? 「旦那さま」ってば」
やれやれとため息が聞こえてくるようだった。出もため息が聞こえたところで、俺が俺自身に対する評価は変わることがないわけであって──。
「くぅん。私が言ってもダメなの?」
「誰に言われようとも俺自身に対する評価は変わらな、え?」
声が聞こえた。というか、さっきから声が聞こえていた。そしてその声に俺は何気なく返事をしていた。誰に対してそんなことをしていたのか。俺はいまさらながらに気付いた。声の聞こえた方を見やる。そこには誰もいない。いや一見いないように見える。でも実際にはいる。だって暗闇の中に見覚えのある銀髪が見えていた。シリウスのそれによく似た銀髪。アルトリアのものとは違う。アルトリアの白髪よりもきれいな銀髪が闇の中に浮かんでいる。俺に背を向ける形ですぐそばに立っていた。
「カルディア?」
「……久しぶり、「旦那さま」」
カルディアは振り返ることなく言った。俺はカルディアの正面に回ろうとした。でも──。
「脚が動かない?」
カルディアの顏が見たいのに、脚が動いてくれない。いや脚どころか体自体が動かなくなっていた。その場から一歩も動けなくなっていた。
「なんで?」
必死になって体を動かそうとするけれど、体は動かない。そんな俺を無視してカルディアは闇へと向かって歩いていく。
「カルディア! 待って、行かないで!」
カルディアに向かって手を伸ばす。けれどカルディアは止まらない。ゆっくりと俺から遠ざかっていく。
「なんで止まってくれないんだよ!? 話がしたいんだ! 君ともっと話がしたい! 君と一緒にいたいんだ!」
希望がいるくせになにを言っているんだろうと思うけれど、でもその気持ちは紛れもない俺の本心だった。もう離したくない。離れてほしくない。そばにいてほしい。そう願ってしまう。それが希望に対するひどい裏切りだとわかっていても、俺はカルディアが好きなんだ。
だからこそそばにいてほしい。もうどこにも行かないでほしい。そう願ってしまう。でもその願いは届かない。
「……「旦那さま」の気持ちは、言葉は嬉しいよ。でもダメなんだ。私はもう死んでいるから。だからあなたのそばにはいられない」
カルディアは立ち止まることなく言った。その言葉に、その拒絶に俺はなにも言えなくなってしまう。思えばこうして誰かに拒絶されたことなんて初めてだった。だからか言葉が出なかった。なにを言っていいのかがわからなくなってしまう。
それでも。それでも俺は──。
「君にいてほしい。君ともっと一緒にいたいんだ、カルディア!」
心の底から俺は叫んでいた。その叫びにカルディアは脚を止めた。そして振り返りながら言った。
「……こんな私でも一緒にいたいの?」
そう言って振り返ったカルディアは、カルディアの顏は白骨化していた。いや白骨化していたのは顏だけじゃない。髪以外のすべてが白骨化していた。それまで見えていたはずの肌は見えない。いま見えるのは真っ白な骨だけ。肌も肉も内蔵さえもない人骨がそこに存在していた。
「カル、ディア?」
「言って? こんな私でも一緒にいてほしいって。そうであれば、私は一緒にいてあげる」
骸骨がカラカラと音を立てている。音を立てつつも、それはたしかにカルディアの声だった。カルディアなのに、カルディアとは思えない姿。その姿に俺は思わず口元を抑えて、胃の中のものを吐き出していた。
「……やっぱりそうだよね。あなたは私を好きなんかじゃない。あなたの好きはあくまでも私の体に対するものであって、私自身に対するものじゃない」
「違う。そんなことは」
カルディアの声に顔をあげる。すると骸骨はすぐ目の前に立っていた。白い骨の手がゆっくりと俺の喉元へと伸びてくる。
「あなたなんかを助けなければよかった。そうすれば私は、シリウスと一緒にいられたのに。だからさ、私の代りに死んで? あなたの命をちょうだい? 私の代りに死ねっ!」
喉元に伸びた手はそのままの俺の首を絞めつけて来る。とても強い力で俺はどうすることもできない。できないまま、俺の意識はゆっくりと遠ざかっていき──。
「「旦那さま」、起きてください」
レアが目の前にいた。アジュールの天井が鞣した皮を張った天井が見える。アジュールの入り口からは朝日が差し込んでいる。朝は朝でも日の出を迎えたばかりみたいだ。まだちょっとだけ薄暗いけれど、さっきまでいた闇はどこにも存在しなかった。
「……夢?」
「大丈夫ですか? 顔色が悪いようですが」
「……大丈夫だよ。ただちょっと夢見が悪かっただけ」
起き上がると肌着が汗で濡れていた。枕元のアイテムボックスから着替えを取り出すと、レアがその着替えを取ってしまう。
「お着替え手伝いますね」
ニコニコと笑うレアはちょっぴり怖い。けれどこのままだと風邪を引きそうなので、渋々とお願いすることにした。
「襲うなよ?」
「逆に襲ってくださってもいいんですけど?」
「……誰がするか」
「ふふふ、残念です」
残念というわりには、レアの口調は楽し気だった。なんだかなぁと思いつつも、俺は抵抗することもなくレアに着替えを手伝ってもらった。悪夢というべき夢を早く忘れられることを祈りながら。