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Act5-11 たとえ道化になろうとも

 矢が的に刺さる音がしている。


 一定の間隔ではないけども、徐々に刺さる音が増えつつある。


「さすがはぱぱ上ね、シリウスちゃん」


 マモンたちが建ててくれたアジュールの中で膝の上に座るシリウスちゃんを撫でる。


 相変わらずの指とおしのいい髪だった。髪だけではなく、尻尾の毛並みもとてもきれいだ。髪も尻尾もよく手入れをしてもらっている証拠だ。


「旦那さま」の話だと、最近はアルトリアちゃんにはめったに近づかないというから、ノゾミちゃんとプーレちゃんのどちらかにしてもらっているはず。


 どちらなのかは「旦那さま」もわからないだろうけども。


 なにせシリウスちゃんは、「旦那さま」にも近づかないようにしているのだから。


 カルディアちゃんのことで、シリウスちゃんとの間に溝ができていることは知っているけれど、その溝はまだ埋められてはいないみたいだ。


 無理もない。私自身悔しくはあったけれど、カルディアちゃんとシリウスちゃんは本当の親子に見えたもの。同じ狼であることがシリウスちゃんがカルディアちゃんに誰よりも懐いていた一番の理由。……私たちの中で一番シリウスちゃんと接していた時間が短かったはずなのに、アルトリアちゃん以上にシリウスちゃんが懐いていたのはそういうことだろう。


 シリウスちゃんは私たちを「まま」と呼んでくれる。


 私たち「まま」を大好きだと言ってくれる。


 でも、この子がなによりも求めていたのは、同じ狼の母親だった。


 シリウスちゃんの本当のご両親は「旦那さま」に揃って討伐されていた。


「エンヴィー」の郊外で起きたことのうえ、私の仕組んだ計画における想定外のことだから、よく覚えている。


 あれからもう半年くらい経つのだから、時間の流れは一般的にも速いみたい。


 そしてそれはシリウスちゃんが本当のご両親を目の前で殺されてから経った時間でもあった。


 この子は私たちや「旦那さま」を本当の親のように慕ってくれていた。それはいも変わらない。


 だけど、どんなに慕われようとも私たちはこの子の本当の親じゃなかった。


 血の繋がった親子にはなれない。それはカルディアちゃんも同じではあったけど、カルディアちゃんは私たちとは違い狼の獸人だった。


 狼の魔物と狼の獸人という違いはあれど、同じ狼であったことがシリウスちゃんが心の底で求めていただろう本当のご両親と重ねることになった。


 でも、重ねていたカルディアちゃんは、同じ狼の母親をこの子はまた目の前で喪った。


 それがこの子の心に癒えようのない傷を植え付けた。


 下手人が誰なのかはなんとなく当たりはついていた。


 シリウスちゃんが露骨な態度を取っているのがそのいい証拠だ。


 本人はきっとそのことに気づいていない。シリウスちゃんの態度を単なる反抗期くらいとしか考えていないはずだ。


 憐れだとは思う。


 でも、そうなるようなことを「あの子」はしてしまった。擁護のしようがなかった。


「……うん」


 シリウスちゃんは尻尾を力なく振る。いつもの元気一杯な姿はどこにお散歩しているのやら。でもそれほどのことがあったのだから無理もなかった。


「ぱぱ上のこと、嫌いになった?」


「そんなこと、ないもん」


 ずいぶんと歯切れが悪いけれど、「旦那さま」のことが嫌いというわけじゃないみたい。むしろ逆か。「旦那さま」のことが嫌いになったのかと尋ねたときのシリウスちゃんは少し怒ったように見えた。シリウスちゃん自身で言いすぎてしまったと思っているのかもしれない。この子は「旦那さま」に似て、ちょっと意地っ張りだからごめんなさいができないんだろう。そういうところも私には愛らしい。


「じゃあ、まま上のことは?」


「……わぅ」


 今度は核心をつく質問だった。シリウスちゃんの目が揺れていた。目を揺らしながらシリウスちゃんは鳴き声をあげるだけだった。それがなによりもの証拠だ。


「あの子」は決定的なところで道を踏み外してしまった。一度踏み外した道はもう元には戻せない。人の命が戻らないのと同じように。「あの子」はもう元には戻らない。シリウスちゃんが慕っていた頃の「あの子」には戻ることはない。


 本当に憐れな子だ。自業自得ではあるけれど、いまの「あの子」はただ憐れだ。道化というのはいまの「あの子」を言うのだろう。


「まま上のことは、もう嫌いになったのかな?」


「……」


 シリウスちゃんはなにも言わなかった。でもそれは明確すぎる答えだった。「あの子」に、アルトリアちゃんにとっては信じられない答えだろうけど、これがシリウスちゃんの本心だった。アルトリアちゃんに対して唸り声をあげるという時点で、わかりきっていたけど、思っていた以上にシリウスちゃんの中ではアルトリアちゃんの、「まま上」の存在はもう──。


「……レアままが言ったことは誰にも内緒だよ?」


「わぅん」


 シリウスちゃんは静かに頷いた。体が微かに震えている。声もなく泣いている。なにを言うべきなのかはわからない。私になにができるのかもわからない。


 それでも私は、いや、私もまたこの子の「まま」のひとりだ。かわいい愛娘のためになにかをしようと思うのは当然だ。


「……辛いことを聞いちゃったね。レアままのこと、嫌いになった?」


「……そんなことないもん。レアままは暖かくて優しい匂いがするもん」


「……優しい匂い、か」


 私が優しい? そんなことあるわけがなかった。私は優しくなんかない。私は誰よりもひどい女だ。嫉妬に狂う醜い女でしかない。いや、私は醜い化け物だ。そんな私が優しいわけがなかった。


「レアまま」


「なぁに?」


「わぅ」


 腕の中でシリウスちゃんが振り変えるとなぜか私の頬を舐めてくれた。


「泣いちゃダメなの」


「え?」


「レアまま、泣いていたの」


 思いもしない言葉だった。私が泣いていた? なぜ? 泣く理由なんてないはずなのに。


「泣く人は優しい人だってぱぱ上が言っていたの」


「優しい人?」


「優しくない人は泣くことはないって。涙が流せる人は、誰かのために涙を流せる人は優しい人だって、ぱぱ上が言っていたの」


 その言葉は、あの日、私が本当の姿になったときに「旦那さま」が言ってくださった言葉に似ていた。


「──レア。化け物は泣かないよ。涙を流すあなたは化け物なんかじゃない。あなたは俺の大切な人だ。俺が守りたい人たちのひとりだよ」


 あのときの、あの言葉がどれだけ嬉しかったのか。どれだけ私の心を救ってくれたのか。きっとあの人は知らない。いや知っていたとしても、それがどれほどまでに私の心に響いたのかまでは、きっとわからないはず。


 そんなあのときの言葉と似た言葉を、この子は口にした。「旦那さま」が言っていたということだけど、でもその言葉をこの場面でチョイスする。そういうところは本当によく似ている。いまは仲違いというか、すれ違っているけれど、やっぱりこの子は「旦那さま」の娘なんだなと思う。そんなこの子の「まま上」には私はたぶんなれないだろうけれど、「まま」としてできるかぎりのことはしてあげたい。


「シリウスちゃんは優しいね」


「私は優しくなんかないもん。ぱぱ上に嘘を言って傷つけた悪い子だもん」


 ……本当に「旦那さま」とよく似ている。あの人も気にしすぎるほどに気にしてしまう性質だけども、この子もそういうところはそっくりだ。血の繋がりなんてないはずなのに、本当の親子のように思えてならない。


 だからこそ、すれ違っているいまをどうにかしてあげたいのだけど、難しそうだ。時間が解決してくれるとは思うけれど、それがいつになるのかはわからない。できることなら「鬼の王国」にいる間にすれ違いをどうにかしてあげたい。既成事実なんてどうでもいい。もともとそんなことをなそうなんて思ってはいない。


 既成事実をなそうなんて言っていれば、「旦那さま」もシリウスちゃんも固さが取れるんじゃないかと。お互いに肩肘はっているのがバカらしくなるんじゃないかと思ったからやっているだけ。


 愛する人とかわいい娘のためであれば、道化にもなろう。それが私なりの覚悟だ。


「シリウスちゃんは優しい子だよ? ぱぱ上と同じで優しい子。この子のいいお姉ちゃんになってくれる子だよ?」


「そんなこと──わぅ?」


 シリウスちゃんは不思議そうに首を傾げ、私のお腹をぺたりと触れた。続いてお腹に耳を当てる。


「……赤ちゃん、いるの?」


「冗談だよ」


 恐る恐ると尋ねるシリウスちゃんがとてもかわいかった。思わず、冗談だと言ってしまうくらいに。


 ……本当だったら嬉しいけども、さすがにまだ子供は作れない。そう、いまはまだ。最終的には宿らせてもらうつもりだけども、それはまだ先の話だもの。


「レアまま!」


「ふふふ、ごめんね」


 元気がなかったのが嘘みたいにすっかりとおかんむりになってしまう。ふふふ、やっぱりシリウスちゃんは元気があってこそね。


「でも、いつかは赤ちゃんが宿ると思う。それがレアままかどうかはわからないけど、いつかはシリウスちゃんがお姉ちゃんになるときが来るの。それまでにはいつものシリウスちゃんに戻ってほしいな」


 笑いかけるとシリウスちゃんは「わぅ」とだけ鳴いた。毛並みのいい尻尾が力なく振られている。でもいまはそれでいいの。無理をしてほしいなんて私たちは誰も思ってはいないのだから。


 だからゆっくりと、でも力強く成長してほしい。そのためであれば、私はいくらでも踏み台になりましょう。それが私の「まま」としてのあり方なのだから。


 遠くから矢が的に刺さる音が聞こえる。徐々に間隔が短くなっている。


 少しずつでいい。少しずつでいいから前に進んでほしい。この音のように少しずつでいいから、ゆっくりでいいから成長してほしい。


 そんな祈りを込めながら、かわいい愛娘を私は優しく抱き締めた。

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