Act0-44 打算と想い
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「カレンちゃん、いる~?」
ため息を吐いたのと、ほぼ同時に部屋の扉がノックされた。返事をするよりも早く、扉が開き、モーレが部屋の中に入ってきた。ノックをしても、返事を聞かないと意味がないよと言いたいところだけど、いまさらだった。
ここに泊まって二週間、もうすでにモーレの中では、俺はお客さん扱いされなくなってしまっている。客である俺の部屋に、ノックはしても、返事なしに入ってくるのが、そのいい証拠だった。まぁ、いいけどね。俺も畏まられるよりかは、少し気安い方が楽だし。これが貴族さまや王族御用達の高級宿であれば、折檻ものなのだろうけれど、庶民的な宿では問題はないだろう。あくまでも客側が納得していればの話だが。そして俺はその納得をしている客なので、問題はなかった。
「ん~、いるよ~」
ごろりとベッドのうえで寝返りを打ちながら、モーレを見やる。モーレは嬉しそうに笑いながら、備え付けの椅子を、ベッドの前まで運ぶと、お行儀よく腰掛けた。いまから聞く「お話」が楽しみなのか、目に見えない尻尾がぶんぶんと振られている。うん、モーレは仔犬系だなぁとしみじみと思いつつ、上半身を起こし、モーレと向かい合う。モーレは目をきらきらと輝かせながら、俺を見つめている。本当、餌を前にした仔犬のようだ。
いままで俺にとって、犬というとケルちゃんが真っ先に思い浮かんでいたのだが、あんなマッシブな体型をしたチワワはいまや論外と言っていいだろう。っていうか、あれって本当にチワワなのか。ケルベロスとかオルタロスの幼体とかじゃないのか。
もし仮に幼体ですと言われても、俺は驚かない自信があるよ。どこの世界に、自分よりも体の大きな土佐犬を、一発でのしてしまうチワワがいると言うのだろうか。まだそういう存在の幼体と言われた方が信じられるよ。
もっとも、さすがに幼体はありえないだろうけど。だってケルベロスやオルタロスって言うと、カッコいい犬って感じがする。もっと言えば、イケメン系の犬のはずだ。それがチワワ顔っていうのはさすがにありえないだろう。いくらこの世界が俺のいままでファンタシーの常識をぶち壊す世界だとしても、そこまではぶち壊さないだろう。いやぶち壊さないでいただきたい。
「カレンちゃん? どうしたの?」
モーレが首を傾げていた。いけない、いけない。ありえない体型をしているチワワのせいで、モーレとの約束を無為にするところだった。ケルちゃんのことは、いまは置いておこう。ケルちゃんには悪いが、いまはケルちゃんのことはどうでもいい。それよりもいまは、この世界でも「母さんの話」を広めたかった。
「なんでもないよ。さて、それじゃあ、今日の「勇者と八人の仲間たち」は、勇者の剣です」
胸を張ってタイトルを口にすると、モーレは「おお」と言って、手を叩く。すごく嬉しそうだ。でも一番嬉しいのは俺だった。「勇者と八人の仲間たち」は、俺の母さんである鈴木空美が作った絵本のタイトルであり、俺が一番好きな絵本だった。
俺の母さんは、絵本作家だったらしい。そこそこ有名な人だったらしく、絵本のコーナーに行けば、いまでも母さんの絵本が置かれている。
もっとも、十五年以上も新作は出ていないから、そろそろ絵本のコーナーからも消えていくのだろうけど。でも絵本のコーナーからは消えたとしても、俺の頭の中には母さんの作った絵本は、ずっと残っているし、家には母さんが作った絵本の初版が、シリーズごとに数冊ずつあった。さすがに初版は貴重なので、めったに読むことはない。読んでもせいぜい重版されたものくらいだ。
母さんのことを俺はよく知らない。けれど母さんの作った絵本であれば、俺は世界中の誰よりも知っているという自負がある。それこそすべての絵本を暗唱できるくらいには。というか、それくらいしか俺と母さんを結びつかせるものがなかったので、自然に憶えてしまった、というだけのことなのだけど。でもその自然に憶えてしまった母さんの絵本が、いまはとても大きな意味を持っている。
「勇者さまの剣は、とても黒く、そしてとても堅い剣でした。その剣は、勇者さまが、勇者さまのお父さんから譲り受けた、とても大事なものでした」
絵本だから、内容は子供だましに近いところはある。でも、俺はそんな母さんの絵本がいまでも大好きだった。そしてその大好きな絵本を、人に聞かせられる。それは俺の精神衛生上、とても重要だった。なにせ地元では、俺の世代には母さんの絵本を知らない人が多かった。最低でも、弘明兄ちゃんくらいの、二十代前半の人じゃないと通じなかった。
おかげで子供の頃から、好きな絵本に関しては、誰とも話が合わない。おかげで子供の頃から、オタクだのなんだのと言われたものだ。
でも、ここでは違う。ここでは地球のおとぎ話や絵本自体が知られていない。つまりは、メジャーであるシンデレラや人魚姫と立場は同じだった。それを利用して、この世界で母さんの絵本を広めて、この世界におけるメジャーなおとぎ話にすることも可能だ。
この世界にも本を出版する会社があるみたいだから、いつかはそこと接触したい。そして母さんの絵本を広めて、その印税をいただく。親のすねかじりと言いたければ言えばいいさ。ギルドだけでは、稼ぎきれない可能性も十分にあるんだ。少しでも稼げる可能性があるのであれば、それに食らいつくのはあたり前のことだった。
加えて、もうひとつ理由がある。
「勇者さまの剣は、「七人の魔王」にも通じる。すごい武器でした」
母さんの絵本の世界は、不思議とこの世界と通じるところがあった。特にたびたび出て来る「七人の魔王」は、「七王」さんたちと重ねられる。ほかにも、ふたつの大陸と、ひとつの大きな島があったとか。人間と魔族が、それぞれの大陸に住んでいるとか。言われれば言われるほど、重なっていく。
それを踏まえて、俺はひとつの仮定を導き出した。母さん──鈴木空美は、地球出身者ではなく、この世界の出身だったんじゃないかと。
荒唐無稽な仮定ではあるけれど、絵本の内容に加えて、俺がこの世界に転移してきたとき、光の中でほほ笑む母さんを見たことが、その荒唐無稽な仮定を、可能性のある仮定へと押し上げていた。
もしかしたら母さんはこの世界から、逆に俺の世界に転移して、再びこの世界に戻ってきたんじゃないか。そう思うようになった。
まぁ、あくまでも仮定の話だ。ただ単にたまたま波長かなにかがあって、この世界のことを母さんが絵本にしたってだけのことなのかもしれない。むしろ偶然だったという可能性の方が高いだろう。
けれど、もし俺の仮定が事実であれば、母さんが本当にこの世界の出身者で、この世界に戻ってきているのであれば、俺は母さんと会えるかもしれない。会ってなにかしたいわけじゃない。ただ会いたい。会って話がしたい。それだけだった。
無駄な労力を費やすだけに終わるかもしれない。でも、少なくとも損にはならないはずだ。ならやるだけだ。意味がなくても、ほんのわずかな可能性があるのであれば、俺はそれに懸けたい。そして母さんと会ってみたい。そのためには、もっとこの話を広めなきゃならない。
この話を聞いた母さんが、俺に会いに来てくれるかもしれない。甘い考えだとは思うけれど、それでも構わない。俺は俺のやりたいようにやるだけだった。
「かくして勇者さまは──」
母さんの手掛かりになるかもしれないお話を語りながら、夜はゆっくりと更けていった。




