Act4-86 怒りと困惑
化け物は二十メートルくらいはある巨大な醜悪な外見をしていた。
二又に別れた上半身とぶよぶよとした皮が弛みきった下半身。片方の上半身は、下半身同様にぶよぶよだった。顔に当たる部分にあるのは、えらく大きな耳と鼻、そして大きく裂けた口が印象的だった。
だが、それ以上に印象的だったのはもう片方の上半身だった。下半身とは違い、ぶよぶよとしているわけじゃない。上半身はかなり巨大化しているけど、人間の体だった。その体の顔はとても見覚えがあるものだった。
「ラスティ、所長?」
そう、もう片方の上半身にある顔は、ラスティ所長だった。
今回の戦における目標となったその人が巨大な化け物と化していた。
「カルディアぁぁぁーっ!」
ラスティ所長が叫び声をあげる。
人間の顔ともう一方の顔が叫ぶ声は、二重に聞こえていた。その見目と相まって、とてもおぞましい。
「カルディアぁぁぁー!」
ラスティ所長は、叫び終わるとすぐにカルディアの名を口にしている。
おそらくはカルディアを探しているのかもしれない。
でも、カルディアはラスティ所長が破壊した洞窟に、アイリスの拠点に入っていたわけだから──。
「カルディアは?カルディアはどうなって」
声が震えている。あの崩落に巻き込まれたのであれば、最悪の場合は。いやそんなわけがない。カルディアは笑っていたんだ。大丈夫だって言っていたんだ。だからきっと大丈夫なはずなんだ。
それでも崩落したアイリスの拠点から這い出てくる人影はなかった。
出てきたのはアイリスと一緒に突入した部隊だけだ。
ほかの部隊がどうなったのかは考えるまでもない。
そもそもアイリスの兵たちだって巻き込まれたはずだ。自分の兵を捨て駒にしたということなのだろうか?
それにほかの部隊と同じくカルディアも巻き込まれたと──。
「あ、「旦那様」」
アルトリアがなにかを指差すと同時に瓦礫が融解した。
蒼い炎によってがれきが燃え尽きていく。そのがれきのなかからゆっくりとカルディアが立ち上がっていた。
立ち上がったカルディアはボロボロだった。着ていた服は所々が破け、肌が見えている。
服から覗く素肌は血に染まっていた。血に染まっていない部分を探す方が難しいくらいに、いまのカルディアは満身創痍の体になっている。
「蒼炎」を纏いながら、どうにか立っているという体だ。どう考えても戦えるようには見えなかった。
「見つけたぞ、カルディア!」
ラスティ所長がカルディアを見つけてしまう。その表情は喜色に満ち溢れていた。
巨大化した脚で廃墟と化したアイリスの拠点を踏みつける。
カルディアはとっさに横に飛んでラスティ所長の脚から逃れていた。
でも本当にどうにかって感じだ。なにせ横に飛んで避けたはいいけれど、風圧に押されてあらぬ方向へと飛ばされてしまっているんだ。
そうして飛ばされてしまっても、カルディアは立ち上がっていた。
「カルディア、下がれ!」
このままじゃカルディアは殺される。俺の最愛の人ってわけじゃない。それでもカルディアは俺の嫁だった。大切な人なんだ。その人をみすみす見殺しにできるわけがなかった。
「死ねぇ、カルディア!」
けれど俺の声はラスティ所長の声によって掻き消されてしまう。
ラスティ所長の脚がカルディアに迫っていた。カルディアはまた避けた。
けれどやはり風圧によって飛ばされてしまう。避けてもこれじゃ傷を受けるだけだ。かと言って避けなければ踏みつぶされるだけだった。
死と引き換えに体を痛めつけられる。でもそれもいつまでもできるわけじゃない。
それでもカルディアには避けることしかできない。
ラスティ所長もわかっている。
まるで嬲るようにカルディアを踏みつけていく。
いや踏みつけた足の風圧で飛ばすという遊びを何度も繰り返している。
そう、これは遊びだ。カルディアは遊ばれている。
ラスティ所長はその気になれば、いつでもカルディアを殺すことができる。
でもあえてそうしていないんだ。それはカルディア自身が一番わかっていることだ。
それでもカルディアはラスティ所長の思惑通りに避けることしかできない。
「ふ、ふははは、これが「蒼炎」を受け継いだ者か! 始祖を思わせる「蒼炎」の使い手か! 片腹痛いぞ、カルディアぁぁぁーっ!」
ラスティ所長は笑っている。笑いながら、何度も何度も踏みつけて遊んでいる。甚振ることで、カルディアの反応を見て楽しんでいる。
「あの野郎っ!」
言動すべてに腹が立つ。カルディアがあんたになにをしたんだよ? あんたの方がカルディアの幸せを壊してばかりだろうに。なのになんでカルディアをこんな目に遭わせるんだ? こんな目に遭わせて楽しんでいるんだよ? 意味がわからない。そしてなによりも気に食わない。
「ラスティぃぃぃ!」
腹の底から声をあげた。ラスティ所長、いやラスティが俺を見つめている。いま気づいたというように、いやどうでもいいものを見るような目で俺を見つめていた。
「カルディアにそれ以上傷を付けたらただじゃおかないぞ!」
「ふ、ふははは、ただじゃおかない? 虫けらがなにを抜かすか! 貴様などただの一撃で十分だ」
「やれるものならやってみろ!」
ラスティに向かって跳び上がろうとしたが、アルトリアが腕を離してくれなかった。
「アルトリア!? なにして」
「「旦那さま」はここにいないとダメです。だって「旦那さま」は私の「旦那さま」ですから」
そう言ってアルトリアは俺の腕に抱き着いた。なんでこんなときに意味のわからないことを言っているんだよ。そもそもこんなことをしている場合じゃないだろうに!
「離せ、アルトリア。いまはそんな余裕は」
「ダメです。それにいいじゃないですか」
「は?」
アルトリアがまた意味のわからないことを言い出した。なにを言っているんだろうか? というかなにを言いたいんだ、この子は? 本気で意味がわからない。そんな俺の疑問を他所にアルトリアは言い切った。
「あんな雌犬がいくら死のうとなんの問題もありません。だって「旦那さま」にとっての女は私で十分ですから」
そうアルトリアは笑った。冗談ではなく、本気で言っている。はっきりと理解できてしまう。
「なにを言っているんだよ。なにを言い出すんだよ、アルトリア!?」
なんでそんなひどいことを言うんだ。そんなひどいことを言うなんてらしくないよ。そんなのは俺の知っているアルトリアじゃないだろうに!
「あの雌犬が踏みつぶされるまでを一緒に観ていましょうと言っているんですが?」
なにを言っているんですか、とアルトリアは不思議そうに首を傾げている。
言葉の意味をすぐに理解することができなかった。できないでいるうちに、ラスティの脚が向かって来ていた。
まっすぐに俺へと向かってくる。まずいと思ったけれど、アルトリアは腕を離してくれない。アルトリアごと抱えて飛ぶしかないのか。そう思った、そのとき。
「カレン!」
カルディアの声が聞こえてきたんだ。




