Act4-75 吹きすさぶ風の中で
アルトリアと一緒に「円空の間」から離れると、俺たちはそのまま中庭の方へと向かった。というのもディアナさんがオススメだと教えてくれたんだ。
「恋人にはオススメの場所だよ。今度はカルディアと一緒に行っておくれ、婿殿」
ディアナさんは笑っていた。笑っていたけれど、ちょっぴり笑顔が怖かったです。アルトリアを誘ってしまったことがお気に召さなかったみたいです。
「行ってらっしゃい、香恋」
そんなディアナさんとは対照的に希望は笑っていた。
シリウスを後ろから抱っこしつつ、手を振っていたもの。
個人的にはヤキモチを妬かれると嬉しかったのだけど、希望は一切そういう素振りを見せてはくれなかった。あれが正妻の余裕というものなのかなと思ったよ。
そんな希望の態度にアルトリアはなにか言いたげな表情を浮かべていたけれど、すぐにふふんと鼻を鳴らして言った。
「いまに見ていなさい、ノゾミ! これから私の猛反撃が始まるのです!」
「楽しみにしているね」
「あぁぁぁぁ、その余裕たっぷりな笑顔がむかつきますぅぅぅ!」
地団駄を踏むアルトリアと余裕を一切崩さない希望。正妻とそうでない者の差が如実に表れていた瞬間だったね。
とにかく余裕たっぷりな希望に見送られる形で俺たちは、「焔」の中庭へと向かった。正確には中庭にある一角へと、ディアナさんがオススメしてくれた場所へと向かった。
「うわぁ、すごいですねぇ」
隣に立つアルトリアが目を見開いていた。俺も目を見張ったよ。
だってそこには満開の桜が咲いていたんだ。桜はとても大きく、そしてきれいだった。しだれ桜ではなく、通常の桜だ。ソメイヨシノ等の一般的な桜の木だった。
木自体は結構な古木ではあるけれど、まだまだ元気があるようだ。そのうえ花はきれいなピンク色をしている。
地球、とくに俺が住んでいた地域の桜はピンクでもかなり色が薄い。白と言ってもいいくらいに薄い色をしている桜が多かった。
でもこの桜は完全なピンク色だ。日本でも昔はピンク色の花が咲いていたみたいだけど、いまや濃いピンク色に咲く桜は珍しいくらいだ。
そんなピンク色に咲く桜をこうして異世界で見ることになるとは、人生っていうのはわからないものだよ。
「ホムラニア、か」
桜の前には看板が立っており、簡単な説明が書かれていた。
内容はざっくりと言えば、この旅館の由来となったのは、このホムラニアがこの地に咲いていたからだったみたい。だからこそ旅館を「焔」にしたと書かれていた。
「きれいですね」
アルトリアが頬を染めながら桜を見つめている。風によって花びらが散り、その花びらがアルトリアの白髪をきれいに彩っていた。
ピンク色の吹雪の中に立つアルトリアはとても絵になっていた。
数か月前までの俺であれば、きっといまのアルトリアを見て胸を高鳴らせていたんだろうね。
それくらいにいまのアルトリアはかわいかった。でもいまの俺は、当時の俺じゃない。アルトリアに魅了の魔眼を使われていた頃の俺ではないんだ。
「そうだね」
生返事をしながら、桜を見上げる。当時の俺の気持ちはいまでも思い出すことはできる。正確にはアルトリアをどれだけ愛していたのかを憶えている。
でもそれだけなんだ。憶えているだけ。いまも愛しているというわけではないんだ。嫌いではないんだ。
むしろアルトリアは好ましい子だ。働き者でしっかりとしていて、シリウスに甘い子煩悩で、スタイルだって悪くない。まぁ、なにかあればすぐに浮気者とか言って吸血してくる子だけど。
それでも俺はアルトリアを好ましいとは思っていた。
でも好ましいからと言って愛せるというわけじゃない。裏切られたからというわけじゃない。
たしかにそれも理由のひとつではある。でもそれ以上に俺は希望が好きなんだ。
ずっと、ずっと前から俺は希望が好きだった。そのことに俺はずっと気づいていなかった。
だからこそ日本に帰りたいという理由も、どうしてあんなにも帰りたいと思っていたのかもわかっていなかった。
でもいまはわかる。俺は希望に会いたかったんだ。
希望の隣に、俺の居場所に帰りたかったんだ。だからこそ日本に戻りたかった。
なにがなんでも星金貨一千枚を集めようと思っていた。俺のいるべき場所へと帰るために。
でもそんな俺がアルトリアを愛した。それはアルトリアが何度も魅了の魔眼を使ったからだ。アルトリア本人がそれを認めるようなことを言ってくれた。
悲しかった。一度は愛した相手に裏切られてしまったことは、ひどく悲しかった。それを知ってから俺の心はアルトリアから離れた。
一度離れた距離はもう戻らない。いやどう戻せばいいのかがわからなかった。
そしてその離れた距離を、ぽっかりと開いた穴を希望は埋めてくれた。
アルトリアがいた場所は、もう希望の居場所だ。いやもともと希望だけの場所だったんだ。その場所をアルトリアが一時的に奪っただけ。つまりは元通りになっただけだった。
「「旦那さま」、さっきのお話なのですが、あの雌犬も抱かれたというのは本当のことでしょうか?」
アルトリアが遠慮がちに聞いてきた。遠慮がちであるはずなのに、その言い方はとても辛辣だった。
なにせカルディアを雌犬呼ばわりだ。ディアナさんが聞いたらぶれ切れそうなことを言ってくれたよ。
シリウスの教育に悪いとか言っておきながら、自分が一番教育に悪いことをしている。そのことにアルトリアは気づいているのだろうか?
「……雌犬はやめてくれな」
「ですが」
「カルディアも俺の嫁だよ。嫁同士なのだから仲良くしてやってくれよ」
「しかし序列は大事ですよ? 正妻たる私に盾突こうなんて」
憤慨気味にアルトリアは言っている。正妻ね。その座は希望のものだってプーレが何度も言っていた。
俺自身そう思っている。でもアルトリアは自分こそが正妻だと憚らない。まるでそう言わないと自分を支えることができないと言っているかのように思えてならなかった。
「……俺は嫁同士で序列を作るのはあまり好きじゃないよ。みんな平等。いいね?」
「……「旦那さま」が仰るのであれば」
頬を膨らましつつも、カルディアは頷いた。納得はしていないのだろうけれど、いまはどうでもいい。
いま大事なのは誰が正妻なのかってことじゃない。俺が聞きたいのはただひとつだけだ。
「なぁ、アルトリア」
「はい?」
「……君がアイリスなのか? それとも君はアイリスを知っているのか?」
そう、アイリスの正体が誰なのかはわからない。でもイロコィはアルトリアを見て、アイリスと言っていた。
つまりはアイリスとアルトリアはとてもよく似ているってことだ。それこそ同一人物だと思うくらいには。
みんなの前ではアルトリアも言いづらいだろうから、こうして連れ出した。
いまはふたりっきりだ。だからこそ言えないことも言えるはずだ。いや言わせてみせる。
「答えてくれ、アルトリア。君が、イロコィを操ったサキュバスのアイリスなのか? それともそのアイリスを君は知っているのか?」
アルトリアは答えない。答えないまま笑っている。吹きすさぶ風に乗る桜の花びらに包まれながら、アルトリアはただ笑っていた。




