Act4‐32 罪の形
本日三話目です。
アルトリアは笑っていた。
いつものように笑っている。でもそのいつものというのは、ここ最近ではあまり見ることのなかったものだ。
そうここ最近、特に希望を抱いた日からアルトリアはあんな風に笑うことがなくなっていた。そしてトドメとばかりにレアを抱いたことでよりそれが顕著になっていた。
アルトリアをどう思っているのかは、俺自身よくわからない。たしかに一度は求婚したことさえあったよ。結婚しようと言ったことはあった。
でもそれは俺の本来の気持ちじゃなかった。無理やり植え付けられてしまった気持ち。つまりは偽物の想い。でもその想いを向けられてもアルトリアは嬉しかったんだと思う。
俺自身エリキサを服用するまでは、その想いが本物だと疑ってもいなかった。
もしあのとき、エリキサを服用しなかったら、こうして希望が来てくれていても俺はアルトリアを選んでいたのかな? それとも希望への想いを取り戻していたのかな?
たらればを語っても意味がないことはわかっている。それでも思わずにはいられない。俺はどうしていたのかなと思わずにはいられない。
「……ねぇ、香恋」
「うん?」
「アルトリアを抱いてあげたら?」
「え?」
言われた意味をすぐに理解することはできなかった。
希望は寛容ではあるけれど、俺に浮気をしろと薦めることは一度もなかったし、言うこともなかった。
でもいま希望ははっきりとアルトリアを抱けと言った。
アルトリアと浮気をしろと言ったんだ。その言葉をすぐに理解することはできなかった。そもそもなんでそんなことをいきなり言い出すんだろうか。希望らしくないよ。
「なんでいきなり」
「いきなりじゃないよ。前々から思っていたんだ。私ばっかりいい想いをしていいのかなって。香恋に大切されていいのかな、ってずっと考えていたんだ」
「それは」
当然のことだと言うのは簡単だった。
でもそれを言っても希望はきっと納得してくれない。
だって希望はもう決めてしまっているのだから。俺がアルトリアを抱いても我慢しようと決めてしまっている。ううん、親友であるアルトリアに思い出を作ってあげたいと思ってしまっている。
「香恋が私を愛してくれているのは知っている。抱くのは私だけでいいと思ってくれているのも知っている。でもさ、現実的に考えて私だけっていうのは無理かなって思う。というか不公平になるんじゃないかなって思っている。そもそもレアさんだってあんたは抱いているんだから、私だけって言うのであれば、まだ筋は通っているけれど、レアさんに手を出した時点で通すべき筋はもうなくなっているじゃない」
否定はできなかった。レアを抱いたあの日から、いつかはこういう日が来るかもしれないとは思っていた。
でもそれはあくまでも希望に振られてしまうっていうことだった。レアを抱いたのに一番好きなのは希望だというのは、どう考えても浮気男の言い分でしかない。……俺は女だけどね。
とにかく俺がしていることは褒められたことではないのはわかっていた。最低な行為だと自覚している。自覚したうえで俺はレアを抱いた。
ううん、レアどころかプーレさえも抱こうとしていた。
毒を食らわば皿までとは言うけれど、それでも通すべき筋はあるはずなのに。
その筋さえも俺は通そうとしていない。いや通すべき筋さえも俺にはなくなってしまっている。
たしかに希望の言う通りだ。あれこれと考えるのではなく、心の赴くままに行動してもいいんじゃないかなって思う。そう心の赴くままに。アルトリアを抱いてもいいんじゃないかなって思う。
でもアルトリアを抱くということは、アルトリアの純潔を奪うってことだ。
すでにプーレの純潔を奪おうとした俺がなにを言うのかって思うけれど、それでもそういうものは本当に大切な人に捧げてほしいと思う。
俺みたいな最低な人間に捧げる必要はない。
たとえアルトリアがどんなに俺を想ってくれていたとしても、俺はアルトリアの気持ちに応えるつもりはもうないんだ。
それはプーレだって。いやプーレだけじゃない。カルディアやレアの気持ちにだって応えるつもりはない。俺は希望だけでいい。そう思っている。思っているのに俺はレアを抱いた。
その時点で純愛だの操を立てるだのと言えなくなっているんだ。なのにこれからは希望だけを抱く?
どの面をさげてそんなことを抜かしているんだ、俺は。
「……香恋がすごく苦しんでいることはわかっているよ。あなたがどんなに優しいのかも私は知っている。その気持ちがどんなにまっすぐなのかも知っている。だって私はこの十五年間、あなたからの想いを感じなかったことはないもの。あなたの愛に私は包まれていた。だからわかるよ。香恋がいまどんなに苦しんでいるのか。どんなに悩んでいるのか。私は誰よりもわかっている」
「……希望」
「だからこそ。だからこそ、もういいよって言ってあげたいの。もういいんだよ? 無理に私だけに筋を通そうとしなくてもいいの。あなたが誰を抱いても私の気持ちは変わらない。あなたがどんなに私を愛してくれているのかを知っているから。だって誰を抱いたとしても、最後は戻って来てくれるって知っているもの。あなたが私を一番大切にしてくれているのを知っている。あなたに一番愛されていることを知っている。だからいいんだ。もういいの。無理をしないで。香恋は香恋の赴くままにしていいよ」
希望が笑った。その笑顔は諦観と悲しみ、それ以上の俺への想いがこもっていた。
俺自身がいままで為してしまったこと、罪の形がいまの希望の笑顔には現れていた。
「……ごめん、希望。俺は」
「謝らないで。私は気にしていないよ。だってあなたを誰よりも愛しているし、あなたからも誰よりも愛されていることを知っているから。だから私のことは気にしないで。私のことを気にするくらいなら、アルトリアを幸せにしてあげて? アルトリアに幸せをあげて。……私がなにを言ってもきっといまのアルトリアには届かないだろうから」
アルトリアの最近の様子を振り返る限り、希望からの言葉が届かないことは明らかだ。
俺が希望を抱く前であれば、まだお互いに同じ立ち位置であったころは、いまみたいに正妻だということを主張することは、そこまではなかった。
でもいまは正妻ということを主張している。正妻という立場にしがみつこうとしている。
自身に与えられることのない立場を、必死につかみ取ろうとしている。その姿はあまりにも哀れだった。
「でも、俺が実際にアルトリアを抱いて、その理由をアルトリアが知ったら」
「……嫌われちゃうだろうね。もしくは恨まれちゃうかなぁ。それでも思うんだ。いまのままアルトリアを放ってはいられない、って」
「……いいのかな?」
「うん。いいよ。だから抱いてあげて。私は平気だから」
希望は笑っていた。笑いながらほろりと涙を流している。その涙が、その笑顔が、その想いが俺の胸に深々と突き刺さっていく。
どうすればいいのかはわからない。わからないけれど、俺は──。
「……心の準備ができたら抱くよ。アルトリアを」
「うん、お願いするね、私の──」
「大好きな「旦那さま」」
泣きながら笑う希望。その笑顔に俺は胸を打たれた。
ひどく痛む胸をひそかに押さえながら、なにも知らずに笑い続けるアルトリアを見つめた。
希望の許可は出ていますけど、どちらにしろ香恋は業が深いですね。
続きは十二時になります。




