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Act3-68 「母」の想い

 おじさんの屋台から離れ、まっすぐにレアの待つ秘密基地へと向かう。


 港の方でも大騒ぎをしているみたいだけど、倉庫街のほうは静かだった。港はまだしも、倉庫街で騒ごうなんて人は早々いないようだ。


 加えて、祭りだからか倉庫街には余計に人がいない。普段から夜は人がいないところだけど、今日は輪をかけて人の姿を見かけない。


 おかげで倉庫街を歩いていても、誰にも咎められることもない。まっすぐに倉庫街を進み、一番奥にある王族専用の倉庫。レアが改装した秘密基地にとたどり着いた。そして秘密基地の前には──。


「お待ちしておりました。カレンちゃんさま」


「コアルスさん?」


 そこにはコアルスさんがいた。


 なんでここにコアルスさんがいるのかな? コアルスさんもここは知らないはずなのに。


「なぜここに?」


「エンヴィーさまに連れてこられました。自分は中にいるから、入れてあげてほしいと言われましてね」


 ため息混じりにコアルスさんは、扉に触れた。この扉は、王族以外には反応しないはず。そう思ったのだけど、扉はレアが触れたときのように、青く輝くとひとりでに開いた。


「……別に王族じゃなければ、開かないわけではございません。単純に登録者であれば開くというだけのことです」


 コアルスさんは、中に入った。そのあとに続いて中に入る。


 中は相変わらずのトレーラーハウスじみている。以前に来たときから一週間くらいしか立っていないのだから、変わっているわけもない。


 でも、以前とは少し違うところもあった。


「片付けられている?」


 以前は乱雑としていたはずの秘密基地の中は、きれいに片付けられていた。


 読みかけの本や、テーブルの上に散乱としていたコップや皿はそれぞれの棚の中に仕舞われている。


 シリウスが昼寝していたソファーも、汚れてはいなかったけど、ちょっとだけくたびれていたのが、新品に変えられていた。


 ほかにも「片付けられない女」の典型としか言えない、散乱としていた物の数々がすべてきれいに仕舞われている。


 まるで城の中のレアの私室のようになっている。


 ここがレアの秘密基地だとは、ぱっと見ただけではわからない。


 城の中にある別の私室だと言われても、納得してしまいそうなほど、秘密基地の内部は様変わりしていた。


「これはいったい?」


「……旅に出るという話でしたよ」


「旅?」


「ええ。旅に出るから、しばらくは留守をすると仰っておりました」


 コアルスさんがまたため息を吐いた。


 旅ね。なんとなくだけど、俺に着いて行くと言っているのかもしれないね。


 レアってば、典型的な奔放すぎる王様なんだね。コアルスさんも本当に大変だよ。


「まさか、その手伝いで?」


「そのまさかですよ」


 やれやれと肩を竦めるコアルスさん。本当にうちの嫁がすみません!


「でも、そうなると今後はここでサボることができなくなるんですね」


 コアルスさんとしては、喜ばしいことなのだろうけど、今後は真っ先にここを疑われるわけで──。


「以前から知っていましたよ、ここのことは。いえ、ここを教えたのは、「あの子」をここに連れて来たのは、他ならぬ私ですから」


「「あの子」って」


 普段のコアルスさんらしからぬ呼び方だ。


 普段はレアのことをちゃんとさま付けするはずのコアルスさんがまさかの「あの子」呼び。


 でも、雑魚トカゲさんと戦う前の話を聞く限りは、誰に似たのかというコアルスさんの言葉を踏まえる限り、コアルスさんはレアの親御さんのことを知っているみたいだった。


 少なくともコアルスさん自身に似ているといっていたわけではなかった。


 俺の目から見て、コアルスさんはレアほど不器用ではないもの。


 だからきっとあれはレアの親御さんのこと。つまりは先代の蛇王のことだろう。


 先代頃から仕えていたとすれば、コアルスさんにとってはレアは娘みたいなものかもしれない。そういう意味ではレアをあの子呼びしても問題は──。


「ここは代々の蛇王が引き継ぐのです。あの子も、レヴィアも母親からここを引き継ぎました」


「レヴィア?」


「あの子の本当の名前ですよ。いまはほとんど名乗ることはありませんがね」


 コアルスさんは窓の外を眺めていた。その眼差しはどこか遠い。遠い昔のことを思い出しているのかもしれない。先代が生きていたころのことなのかな。


「レヴィアは、かわいそうな子でした。生まれが生まれだからでしょうね。あの子の母親は、先代はあの子の存在をひた隠しにしていました。生まれつき病弱だということにして、あの子を部屋から出すことはほとんどなかった。ここはそのときにあの子が過ごしていた部屋でした。いまは仕事をサボるために使っているみたいですが」

 

 コアルスさんがおかしそうに笑う。その笑顔も、その言葉も本当にレアを大切にしていることがわかるものだ。


 レアはコアルスさんに苦労ばかりかけているけど、もしかしたらあれはレアなりにコアルスさんに甘えているだけなのかもしれない。コアルスさんも文句を言いつつも、レアの面倒を見ているのは、きっと──。


「ねぇ、カレンさん」


「なんですか?」


 コアルスさんの呼び方が、俺の呼び方が変わった。


 ちゃんさまといういつもの呼び方ではなく、さんという呼び方。


 まるで母親が娘婿となる人へと向けるもののようだった。


 コアルスさんの雰囲気もそれに合わせるかのように変わっている。


 いままでは従者という立場でしかなったのが、いまのコアルスさんは娘を想う母親のような。とても優しくて穏やかな雰囲気をまとっている。


「あの子を、レヴィアを幸せにしてあげてちょうだい。私にはあの子を幸せにすることなんてできないし、する資格もないの。あの子をここに閉じ込め、そして捨てた私には、あの子を愛していると口にする資格はない。命がけで産んだ娘なのに、私はあの子に母親らしいことを、なにひとつもしてあげられなかった。そんな私があの子の幸せを祈るなんてできるわけもない。でもね。それでも私はあの子の母親なの。命がけであの子を産み落とした母親なのよ。だからお願いします。あの子を、レヴィアを幸せにしてあげてちょうだい」


 コアルスさんが深々と頭を下げている。まさか、本当にコアルスさんがお母さんなのか? 


 レアの前の、先代の蛇王なのかな? 


 だってその言葉は、本当の母親じゃないと言えない。でもならなんでコアルスさんはレアの従者なんて──。


「──と先代は最期に仰いました。レアさまがご結婚なさるときには、相手にそう頼んでほしいと私に言われておりました。そしてレアさまの幸せを願うというのは私も同じです。どうかレアさまを幸せにしてあげてくださいませ」


 コアルスさんは一礼をした。つまりいまのは、先代の、レアのお母さんからの言葉をそのまま口にしただけということなのかな? 


 それにしては、ただ言葉を口にしただけにしては、あまりにも気持ちが入りすぎていた。それこそ本当にコアルスさんこそが──。


「それでは、私はここで失礼いたします」


「え、ちょっとコアルスさん?」


「あまり長居をすると、レアさまに怒られますゆえ。あとはお願いいたします」


 コアルスさんは俺の困惑を完全に無視して、扉をくぐってしまう。


 声をかけることは簡単だったけど、コアルスさんの背中は、なにを聞かれても答えないと物語っている。


 意外と頑固なところは、レアにそっくりだった。


 育ての親だからなのか、それとも産みの親であるからなのか。


 コアルスさんが答えてくれないことには、俺に知る由はない。ただ──。


「絶対なんて言うつもりはないです。それを口にするほどに俺は強くないし、長生きもできない。だけど、この命ある限り、レアを幸せにします。レアにたくさんの笑顔を浮かべさせます。それだけはあなたにお約束します。「お義母さん」」


 我ながらきざったらしいセリフではあったけれど、紛れもなく俺の本心からの言葉だ。


 コアルスさんが口にした言葉だって、コアルスさん自身のものなのか、それとも先代蛇王の言葉なのかはわからない。


 でもこの人が口にした言葉には、たしかな想いが、レアへと向けた偽りじゃない愛情がこもっていた。


 そんな本心の言葉には、本心で返す。それが俺ができる、いまの俺がこの人へと向けられる唯一無二の言葉だった。


「……幸せにしてあげてちょうだい」


 コアルスさんが振り返った。振り返ったコアルスさんが見せる笑顔は、レアが浮かべる笑顔ととてもよく似ていた。


 レアの笑顔とコアルスさんの笑顔が重なり合う。それはまるで。そう、まるで本当の──。


「あとはお願いいたします」


 それだけ言ってコアルスさんは、秘密基地から出て行ってしまう。


 背負い続けてきたものを、大切に背負い、守ってきたものを託すことができたというかのように、その背中はとても晴れやかなものだった。

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