Act3-67 散りゆくもの
祭りの喧騒から離れていく。
祭りの会場である広場の外にも人は溢れていた。いつもであれば、すでに店じまいをしているはずの屋台も、今日は営業している。
レアが行きつけのプクレのおじさんの屋台も、ほかの屋台同様に営業をしている。
営業しているけれど、今日はちょっとばかり様子が違う。
おじさんとは別に店員さんがいた。青い髪のきれいな女の子だ。見た目はアルトリアよりも年下に見える。十二、三歳くらいの子だ。
「こんばんは」
おじさんに声をかける。憶えていないかなと思ったけれど、おじさんは陽気に返事をしてくれた。
「お、あのときの子か。陛下、じゃなくて、あのお姉さんは元気かい?」
憶えていないとは思ったのだけど、意外なことにおじさんは俺のことを憶えていてくれていたみたいだ。
レアと一緒にいたからだとは思うけれど、それでも俺みたいなちんちくりんのことを憶えてくれていたのは素直に嬉しい。
「元気すぎて困るくらい、ですかね。おじさんも知っての通りですが」
「がははは、なんのことだかわからんなぁ。まぁ、あの調子であれば平常に戻ってくださったみたいだし、一安心だな」
おじさんは笑っている。でもどこか様子がおかしいようにも見える。なんというか、心残りはないと顔に書いてあるような? 気のせいかな。
「えっと?」
「なんでもないさ、気にするなよ。さて、今日はなにをお求めかな?」
「そう、ですね。じゃあこの前と同じベリロクリームをひとつ」
「あいよ。これが最後のベリロクリームだ」
そう言っておじさんが手渡してくれたプクレは、ふたつあった。両方ともベリロクリームだけど、なんでふたつなんだろう?
「えっと、なぜふたつ?」
「うん? これからあのお姉さんと逢引きなんだろう? 一緒ではないみたいだが、これから会いに行くって言うのであれば、手ぶらはまずいだろう。だから、これはおっちゃんからのサービスだ。代金はひとつ分でいいぞ」
にこにこと笑うおじさん。相変らずよく笑う人だけど、やっぱりちょっと様子がおかしいような気がする。
まぁ、様子がおかしいのは百歩譲っていいとしても、なぜこれからレアと会いに行くのがわかったのかな?
「なんでそれを?」
「それはだな」
「陛下がさきほど挨拶に来てくださったのです。だから知っているのですよ」
それまで黙っていた女の子が言った。やや舌足らずな喋り方が見た目と合わさって余計にかわいく見える。
「こら、プーレ! 下手なことを言うんじゃない!」
「あぅ! お父さん、痛いのです!」
おじさんが女の子──プーレにゲンコツを落とした。プーレは痛そうに頭を押さえて、涙目でおじさんを睨んでいる。
どうやら親子みたいだ。うん、親子だよね? それにしてはあまりにも似なさすぎているけれど、そこは気にしない方がいいのかな?
「おじさん、ご結婚なさっていたんですね」
「意外かい?」
「いや意外ってわけじゃなくて、なんというかこの仕事一筋って感じがしていたので」
「がははは、俺はそこまで真面目じゃないさ。こう見えても結構遊んでいたんだぞ? 昔はそれこそ言い寄ってくる女が山のように」
「なぜ見栄を張っているのですか。お母さんが言うには、カッコはつけるけれど、女性に声をかけることさえもできないヘタレで、声をかけてもしどろもどろになってまともに相手さえもされない。そのうえお母さんにベタレ惚れかつ頭の上がらなかったと聞いているですよ?」
「こ、こら! 余計なことを言うんじゃない!」
ごちんとプーレの頭におじさんがゲンコツを再び落とした。
プーレが頭を押さえて蹲る。一度目は不用意なことを言ったからだけど、いまのは単純に照れ隠しのため。哀れだね、プーレ。
「ぷ、プーレの頭は殴るためのものじゃないです! 美味しいプクレを作るにはどうすればいいのかを考えるためのものですよ!?」
「なにを抜かすか! おまえみたいな半人前がどうして美味いプクレを作れるってんだ!?」
「むむむ、いまに見ていやがれです! そのうち雲の上にも聞こえるくらいのプクレ作りの名人になって、見返してあげるんですからね!」
「おぉ、楽しみにしてやろうじゃないか、このバカ娘が!」
「雲の上でほえ面をかかせてあげるですよ、このクソ親父!」
プーレとおじさんがにらみ合う。仲のいい親子だね。喧嘩するほど仲がいいって言うし。
ただ、雲の上っていう言葉はどういう意味なのかな? プーレが二度も言ったけれど、なにか不穏さを感じるのだけど、常連でもない俺なんかに事情なんて話してくれるわけがないよな。
「仲がいいところは悪いんですが、これ代金です」
おじさんとプーレの前に代金である銅貨五枚を置いた。たしかベリロクリームも同じ値段だったはずだ。
「おう、毎度! 今後ともよろしく頼むぞ。このバカ娘が粗相をするとは思うが、長い目で見守っていてやってくれ」
がははは、とプーレの頭を大きな手で撫でながら、おじさんは豪快に笑っている。プーレは嫌そうにしている。しているけれど、かすかに体を震わせていた。
もしかしたらとは思ったけれど、どうやら確定みたいだ。なにができるのかはわからない。わからないけれど、なにもしないというわけにはいられない。
「あの、おじさん」
「……陛下のことをよろしく頼んます。できれば、もっと長くあの方を見守っていて差し上げたかったが、俺にはもう無理のようだからな。陛下にはもうお別れをしたよ。だからいいんだ。あんたはなにも気にしなくていい。できることならば、この子の面倒を看てやってくれると嬉しいがな」
おじさんは笑っていた。その笑顔はもう諦めてしまった人のものだった。たぶん、もう無駄だった。なにを言ってももう届かない。
「……できるかぎりのことを」
「ああ、頼んだぜ」
おじさんが笑う。プーレは顔を俯かせて体を震わせていた。なにを言えばいいのか、なにを言ったらいいのか、わからなかった。
「おっと、陛下をお待たせするのも悪いな。さぁさぁ、行ってくんな。陛下をあまりお待たせしないでやってくれよ」
「……そうですね。行ってきます」
「ああ」
おじさんが手を振った。以前と同じだと思っていたけれど、よく見ると少し細くなったように思える。いや細くなのは腕だけじゃない。全体的に少し細くなったようだ。
ダイエットしただけであれば、まだ笑えた。でもおじさんの口調からして、そうじゃないことは明らかで。でもそんなおじさんにいまの俺がなにを言えばいいのかな。
なにも言えるわけがない。言えるわけがなかった。
俺はただ黙っておじさんのもとを離れる。手にあるのはふたつのプクレ。
レアが言っていたおじさんとおじさんのお父さんが作ったオリジナル。
以前も食べたものだったけど、今日のも美味しかった。ただどこかしょっぱい気がする。いや涙の味がする。
たぶん、プーレがおじさんに見守られながら作ったんだろう。しょっぱさがなかったとしても、前に食べたものよりも少しだけ味が落ちる。
それがプーレとおじさんの力量の差なんだと思う。でも違いはわずかなものだ。
まだ幼いプーレでも、ここまでのプクレを作った。おじさんは半人前と言っているけれど、あと数年もすればおじさんよりも、美味しいプクレが作れるようになるかもしれない。
でもそれまでにおじさんは、プーレのそばにいてくれるかはわからない。レアにお別れを言ったと言っていた。それはつまりもう長くはないってことなのだから。
引っ越しをするってだけなら笑えたよ。でも、きっとそうじゃない。この世界はそんな優しい世界じゃないから。だからきっと──。
「なにもできないよなぁ。俺って」
プクレをかじりながら、レアの待つ秘密基地にへと向かった。
歩くごとに減っていくプクレは、やっぱりちょっとだけしょっぱかった。




