Act3-57 決戦開始
十二月の祭り開始です。
まずは一話目です。
ムガルさん視点になります。
日が高くなっていく。
日が高くなるにつれて、決闘の舞台である冒険者ギルド前の広場には観客兼審査員たちが集まってくる。
その観客たちの視線を浴びつつも、決闘の準備は済ませてある。あとは時間が来ればいいだけのこと。
その時間ももうそろそろだった。だが相手はまだやってこない。無理もない。すべて台無しにしてやったのだから、来られるわけもなかった。
相手の料理はカレーというものだった。
見た目は黄色いスープだったが、その味がどれほどなのかは、試作の香りをかいで痛感した。
胃を刺激され、よだれが口内に溜まった。いままで潰してきた店には一度たりとも感じえなかったもの。ゆえに危険だった。なにがなんでも今日この場で出させるわけにはいかなかった。
その結果がいまにある。なかなかに困難ではあったが、カレーを潰すことには成功したようだ。
ここまでくれば、自分の勝ちは揺らぐことはない。あとは時間が過ぎるのを待てば、自分の勝ちだ。
そうなれば、蛇王を抱ける。あの美女を抱ける。まるで夢のようではないか。
だが現実だ。自分は現実で蛇王を抱く。誰よりも欲した女を抱ける。まさに夢のような──。
「お待たせしました!」
声が響いた。聞こえてくるはずのない声がなぜか聞こえてきた。
「おぉ、ご亭主殿たち!」
冒険者ギルドの変態のひとりが叫んだ。
変態ではあるが、Cランク冒険者のなかでも、腕利きのひとりらしい。
実力があると変態になるのか、変態だからこそ実力があるのかは悩ましいが、いまはどうでもいい。
「待たせましたね、ムガルさん」
男勝りの少女が、不敵な笑みを浮かべていた。
手には桶のようなものがある。その桶には濡らしたナプキンが掛けられている。なにかを蒸らしているのだろうか? 少なくとも自分は見たことがない。嫌な予感がする。
「ふむ、来たのかね。男勝りの少女よ。なかなか来ないから、逃げ出したのかと」
「逃げ出す? あんたを合法的にぶっ潰せると言うのに?」
男勝りの少女のこめかみに、青筋が浮かぶ。
どうやら妨害されたことを本気で怒っているみたいだ。
無理もない。せっかく作った料理をめちゃくちゃな味にされれば──。
「ゴミをありがとうございます」
男勝りの少女は笑っている。怒りに染まった笑みだが、それよりも言われた意味がわからない。
「さて?」
「とぼけますか。まぁいい。いまに見ていろよ」
男勝りの少女は、鋭い視線を投げ掛けながら、屋台へと向かっていく。
背筋が震える。いまのはもしや殺意というものだろうか? いくらなんでも大げさすぎるだろうに。
たかが適当な調味料を入れられたくらいで。とはいえ、素人が適当に調味料を入れてかき混ぜれば、たしかにゴミにはなるかもしれない。
食べられないくらいになれば、それはゴミだ。矜持に反するが、こればかりは致し方がなかった。
ただ、それにしても怒りが強すぎる気はするが、まぁいいだろう。
「一丁前なことを言うのは、私に勝ててから」
「そのつもりですよ」
肉付きのいい女が、男勝りの少女の後ろから現れた。
肉付きのいい女は、長い包丁を手にしていた。
それでなにをするつもりなのだろうか?
まさか、自分を刺すつもりなのだろうか。
まさか、味をめちゃくちゃにした程度でそこまで恨まれたというのか!?
ありえない。しかし肉付きのいい女の目は、とても剣呑だ。
殺されるのか?
背筋が寒くなる。しかし肉付きのいい女は、自分の様子など完全に無視して近づき、そして──。
「ぎたぎたに叩き潰す!」
憤慨しながら、そう言って立ち去っていく。
言葉は荒っぽいのに、表情はとても穏やかだった。
それがかえって怖い。男勝りの少女も体をびくりと震わせていた。
どうやら男勝りの少女も肉付きのいい女には勝てないようだ。
たいていの家庭では嫁が強くなるのが一般的だから無理もないのだろうけれど、それでもわずかにだが、男勝りの少女に同情したくなる。
だがそれはそれとしてだ。なぜ自分はここまで敵意をむき出しにされなければならないのだろうか。
たしかに妨害はした。だがここまで敵意をむき出しにすることか?
ここまでされる謂れなどない。いったい、なにをしたのかと言いたい。
味をおかしくした以外はなにもしていないはずなのに、なぜここまで──。
「わぅ!」
「はぅっ!?」
犬の鳴き声が聞こえたと思ったら、脛を蹴られていた。
地味に痛い。脚を押さえながら、犬を睨み付けようとしたが、目の前にいたのは美幼女だった。
勝ち気そうな顔立ちではあるが、将来は有望そうだ。十何年後が楽しみである。
「おまえ、きらい!」
将来有望そうな美幼女は、指を指すと反対側の脛を蹴ってきた。さっきと同じ痛みだった。
犯人はこいつか!
そう思ったときには、美幼女はそそくさと男勝りの少女と肉付きのいい女のもとに向かっていた。追いかけたいが、脚が痛くて動けない。
「ぱぱ上、やり返してきたよ!」
「こらこら、ダメだろう、シリウス」
男勝りの少女の腰に抱きつきながら、美幼女は得意気に笑っている。ぱぱ上という言葉に疑問はあるが、美幼女の行動を叱ることにはなんの疑問もない。
いくらなんでもいきなり人の脛を蹴るのはダメだろう。きっと男勝りの少女も、そのことを──。
「蹴るのであれば、膝の裏だよ。そうすれば、大抵の人は倒れるから」
そっちか!?
そっちを叱るのか!?
そこはいきなり攻撃を仕掛けたことを怒るべきであり、攻撃を仕掛けた部位が違うことを叱るべきではない!
それとも自分が知らない間に、決闘を仕掛けてきた相手の膝の裏を蹴るのが、礼儀になったとでもいうのだろうか?
「わぅ、わかった!」
美幼女は頷くと、なぜか駆け戻ってくる。なにか用事でもあるのだろうか?
「な、なにか──」
「わぅわぅ!」
「はぅっ!?」
駆け戻ってきた美幼女に声をかけようとした。いや声を掛けはしたが、言葉になるまえに膝の裏を蹴られてしまう。
ちょっと待て。たしかに男勝りの少女は、膝の裏を蹴れと言ったが、それはいまこの場で実際に蹴ってこいという意味ではないだろうに。
だが美幼女は実際に行ってくれた。なぜ即座に行動してしまうのか、この美幼女は。
おかげで顔から倒れてしまった。周囲にいた観客たちが笑い声をあげている。
「わぅ! 悪い奴はせーばいなの!」
胸を張って美幼女は尻尾を振りながら、男勝りの少女の元へと戻っていく。
そばには肉付きのいい女もいる。ふたりは笑いながら、美幼女を迎えていた。
「よし、よくやったぞ、シリウス!」
「偉いよ、シリウスちゃん」
「わぅわぅ!」
美幼女は男勝りの少女に抱き着きながら、嬉しそうに尻尾を振っている。
いまの光景だけを見ると、仲のいい家族の一幕というところなのだが、自分という被害者を出しておいて、その言動はどう考えてもおかしいだろうに。
しかしだ。それもいまのうちだけだ。
勝負が始まったら、目にものを見せてやる。相手の切り札は潰した。
となればあとはこちらが勝つだけだ。高級食材をこれでもかと使った一品を、至高の一品を見せてやる。
それで自分の勝ちだ。この暴行の借りはきっちりと返させてもらおう。
蛇王を抱いた次に、肉付きのいい女を男勝りの少女のまえで犯してやる。そうでもなければ、この怒りと屈辱は収まらない。
「いまに見ておれよ」
怒りに燃えつつ、目の前の家族を睨み付けていると、不意に空が暗くなった。見上げると大きな蛇腹が見えた。
「おお、コアルスさまだ」
誰かが蛇腹の正体。いや、誰の蛇腹であるかを口にした。そのとたんに観客たちが跪いていく。自分も跪いていた。コアルス。蛇王エンヴィーの右腕とも言われる存在。そのコアルスが現れたということはだ。
「我が愛おしき民たちよ、顔をあげなさい」
穏やかな声。しかし強制力を感じさせる声。その声に体が勝手に反応していく。顔をあげるとコアルスの頭の上にこの国の王である蛇王エンヴィーの姿があった。
「此度の決闘、私が取りしきります。双方、異議はありますか?」
蛇王は自分と男勝りの少女たちを見やる。男勝りの少女たちはありませんと言う。自分にも異議はなかった。
「よろしい。では、時間となった。決闘を開始とする。偉大なる母神の子として、恥じぬ戦いを見せてください」
そう言って蛇王はコアルスの頭の上から飛び降りた。そう、飛び降りたのだが、なぜか男勝りの少女の頭上に飛び降りていた。
蛇王は嬉しそうに笑っているが、男勝りの少女は引きつった笑顔を浮かべていた。がすぐにため息混じりに蛇王を抱き留めた。蛇王は頬を赤らめて嬉しそうに笑っている。
「……エンヴィーさま。お戯れは」
「ふふふ、あなたなら抱き留めてくれると思いましたからね」
そう言って男勝りの少女にしなだれかかりながら、蛇王はあろうことか男勝りの少女の頬に口づけた。
観客たちが騒ぐが、蛇王はまるで気にしていない。
代りに頭上からコアルスの「この王さま、本当にもうやだ」という悲痛な声が聞こえてくる。あまり気にしない方がいいだろう。
「決闘はじめ」
蛇王の代りにため息混じりのコアルスが宣言した。蛇王はふてくされた顔をしつつ、名残惜しそうに男勝りの少女から離れていく。
決闘前から精神的なダメージを負わされてしまったが、これで負けてなるものか。この勝負に勝つのは自分であって──。
「おや、あれは?」
例の変態のひとりが興味深げに言う。なにか興味の惹くものでもあるのかと振り返ると、男勝りの少女が持ってきていた桶。
その桶にかぶせられていたナプキンがどかされるとそこには、小麦とは違う、真っ白な穀物が湯気を立てていた。
続きは三時になります。




