Act3-44 言い訳の結果
「とりあえず、少し落ち着こうよ。言っていることがみんなおかしいよ?」
希望は呆れているみたいだった。
それが俺に対してなのか、それとも俺の話を聞かずにぶっ飛んだことばかり言うアルトリアに対してなのかな? たぶん両方かな?
というか、この言い方だと俺を被害者と思ってなくない?
俺は被害者だよ? 純然たる被害者さんですよ!?
なにせレアとそういうことをしたわけじゃないのに、浮気と言われてしまっているだもん。俺は浮気なんて──。
「キスした時点ですでに浮気だと思うけどね?」
アルトリアではなく、希望が言った。
ちょっぴり怒っている風ですね。
……ま、まぁ、キスはたしかに浮気に入るかもしれないよね、うん。
俺だって希望が誰かとキスをしたら、って聞かされたら。希望が誰かと、俺以外の誰かと──。
「だ、誰だぁぁぁ、うちの嫁の唇を奪った馬のほ、げふっ」
叫ぶと同時に希望に頭を叩かれてしまう。地味に痛いです。
希望は完全に呆れた顔をして、いつ私があんた以外の誰かとキスをしたって言ったかな、と言ってくれたよ。
……うん、たしかに言っていないよね。だって俺の想像だもん。
というか想定の方が近いかな? 実際希望はひと言もそういうことは言っていなかったし。
早とちりしすぎちゃったぜ。
「早とちりってレベルじゃないと思うけど」
希望はため息を吐きつつ、なぜかレアとは逆側の腕に抱き着いてきた。
お、おぅ、レアほどではないけれど、この圧倒的なボリュームはさすがです。
さすがは我が嫁です。やっぱり俺って勝ち組だね。
「……レアさんと、そういうことをしていないんだよね?」
希望はちょっとだけ辛そうな顔をしている。
ざ、罪悪感が半端ない。でもこれから俺はこれ以上の罪悪感を味わうんだよな。だって俺は──。
「嫁にするって言っていただけましたよ」
レアが事実を言ってしまう。アルトリアのこめかみに青筋が浮かぶ。
ヤバい、完全にぶち切れている。の、希望は? 希望はどういう反応を。
恐る恐ると希望を見やると、希望は唇をぎゅっと噛んでいた。
「の、希望。違う。違うんだよ!?」
なにがどう違うのか。自分でもなにを言いたいのかわからない。わからないけど、誤解を解きたかった。
そうだ、誤解だよ。誤解なんだよ。たしかにレアを、レアさんを嫁にするとは言った。レアさんに対する気持ちだってあるよ。
だけど、それはレアさんを助けたかったからであって、希望から鞍替えするといっているわけじゃない。
だから誤解なわけであって──。
「なにが違うの?」
希望が顔を俯かせている。明らかに怒っている。怒っているけど、なにか様子がおかしいような?
いや、怒っていれば、誰だって様子がおかしくなるのは当然か。
とりあえず、落ち着かせないと。そうだ、落ち着かせればきっと話を聞いてくれるはずで──。
「希望。まずは落ち着いて」
「落ち着く?」
希望が顔を上げる。静かな顔をしていた。怒っている風には見えない。
声だって落ち着いていた。いつもとなにも変わらない希望がそこにいる。
そう、いつもの希望のはずなのに──。
「ノゾ、ミ?」
アルトリアの困惑した声が聞こえてくる。
いや、怯えていると言った方が正しいか。
アルトリアの顔はひどく緊張しているみたいだ。
レアもいつものような軽口は言わない。
人差し指を唇に当てて、なにか考えている。
現状を打破するためなのか、それともまるで関係ないことなのか、判断がつかない。
「ねえ、香恋」
希望の声。平静な声。いつもの穏やかな希望の声、のはずなのに──。
「な、なに?」
体が震えた。いつもとなにも変わらないはずなのに、いまの希望はすごく怖かった。
「言い訳をしないで、ちゃんと答えて。本当に私を愛しているのであれば、ちゃんと言って?」
希望が笑う。はにかむように笑っている。笑っているはずなのに、どうしてか──。
「レアさんを嫁にすると言ったのは本当? 嫁にすると言ったから抱いたの? それとも抱いて相性がよかったから? 香恋の好みだから? 香恋はレアさんみたいな人が好きだから? 私じゃ満足できないから、レアさんに手を出したの? 答えて、香恋」
一息に希望は言った。抑揚がないわけじゃない。
かと言って、ひとつひとつを口にするたびに怒りを露にしているわけじゃない。
「答えてよ、香恋」
希望はいつもとなにも変わらない。
変わらないまま、平静なままで言いきっていた。
いまだっていつもとなにも変わらない。変わらないはずなのに、すごく怖かった。
「違う」
「なにが?」
「違うんだよ、これは違うんだ!」
気づいたら叫んでいた。
なにに対して違うと叫ぶのか、自分でもわからないまま、俺は叫ぶことしかしなかった。
「なにが違うの?」
「誤解、誤解なんだよ! 俺はなにもしていない! 希望を裏切ることはなにも!」
「レアさんにキスしたんでしょう? それでもなにもしていないの?」
「違わないけど、でも、希望を裏切る気はなかったんだ! 信じてよ、俺は希望を裏切る気なんか──」
自分でもなにを言っているんだと思う。なにを都合のいいことを言っているのかと思う。
それでも俺は言わずにはいられない。自分でも最低だと思う言い訳を口にしていく。
そんな俺に希望は、徐々に顔を俯かせて、唇を噛んでから──。
「香恋の、バカっ!」
ぱしんと俺の頬を叩いて、レアの私室を出て行ってしまった。
私室を出る際に見えた希望は、希望の顏は泣き顔だった。
涙を流していた。泣きながら希望は出て行ってしまった。胸にぽっかりと穴が開いた気分だった。
「……「旦那さま」、ノゾミちゃんを追いかけてくださいまし」
レアの声。レアのぬくもりが離れた。レアはいつものように笑っている。
笑っているけれど、いままでとは違っていた。
本気で俺のことを想ってくれている笑顔。それこそ希望やアルトリアと同じくらいに。
「……追いかけても話を聞いて」
「くれますよ。だってあなたが一番好きな人じゃない。だから聞いてくれます。あなたが好きなあの子を信じてあげてください。たとえ自分を信じられなくても、あの子を想うその気持ちを信じてあげればいい」
レアはまた笑った。少し前とは違い、寂しそうに笑っていた。
その笑顔が俺の胸を抉る。けれど一番俺の心を抉っていたのは──。
『香恋の、バカっ!』
泣きながら俺の頬を叩いて出て行った希望だ。
どうして俺はちゃんと言わなかったのかな?
どうして言い訳をしようとしていたんだろうか?
どうして繕おうとしてしまったんだろう?
ちゃんと言えば、ちゃんと誠意をもって話せば、きっと希望であれば理解してくれたと思う。
納得まではできなかったとしても、理解まではしてくれていたはずだったのに。
頬に触れる。じんわりと広がっていく痛み。泣きたくなるくらいに痛い。
でもそれが希望の想い。希望が俺に向けてくれている想いの強さ。
わかっていたはずだったのに。希望が誰よりも寂しがりやで脆い子だってことを、俺は知っていたはずだったのに。なんで真っ先に希望に言わなかったんだろうか?
どうして言い繕ってばかりで本当の気持ちを、レアを受け入れたことの理由を希望に話さなかったんだろう?
希望ならわかってくれると思っていたのかもしれない。
気持ちが繋がり合っているからこそ、理解してくれるって自分勝手な気持ちをあいつに押し付けてしまっていたのかもしれない。
そんなのは、ただの浮気男の言い分みたいなものだというのに。
でもそういう意味であれば、俺も同類か。
俺は女だけど、やってしまったことは浮気だものね。
さすがにレアを抱くまではしなかったけれど、キスはした。それこそ何度も何度もしてしまっていた。
たとえどんな理由がそこにあろうとも、一般的に見たら俺がしたことは浮気にしかすぎない。
理由も話さずに理解してもらえるなんて、俺はバカじゃないのか。
いや大バカか。だからこそ希望を泣かせてしまった。
でもまだ間に合うよね?
ううん、間に合わせてみせる。
たとえどこにいても希望を見つけて、話を聞いてもらうんだ。
それがいま俺の為すべきことだった。
「……行ってくるよ」
「はい、行ってらっしゃい、「旦那さま」」
レアが顔を近づけてきた。言ったそばからと思ったけれど、レアは俺の前髪を掻き上げて、額にキスをするだけだった。
「いまあなたにキスをする資格があるのは、ノゾミちゃんですからね。私はその後でいいのです。つまり二号さんでいいんですから」
さらりと自分が希望の次に位置するとレアは言ってくれた。その言葉にアルトリアは過敏に反応してくれた。
「なにを言っているんですか!? ノゾミの次ということは、三号さんですよ!? なにせ正妻は私であって、二号さんがノゾミなわけで──むぎゅ」
「はいはい。余計なことを言うお口はチャックしましょうねぇ~」
言い募るアルトリアの頬を片手で掴み、そのままアルトリアを持ち上げるレア。
あかん、うちの二号さんマジ怖いです。
これは完全に上下関係ができてしまいそうな。
いや俺はなにも見ていない。見ていないんだ。
そう自分に言い聞かせながら、希望が出て行った入り口へと向かう。
「希望を連れ戻してくるよ」
それだけ言って俺は駆けだした。後ろからレアの頑張ってという声とアルトリアのくぐもった声が聞こえていた。
言い訳というか、ただ信じてと違うとしか香恋は言っていませんが、まぁそれでも見苦しいことをしていたのは事実ですので、希望が怒るのもある意味では当然かなと。




