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Act3‐12 ずれる想い

 まず挨拶に向かうことにしたのは、ククルさんのところだった。


 というか、お世話になった人の大半がいるのは、ククルさんの冒険者ギルドだった。


「星の小人亭」がいまでも営業をしていれば、挨拶回りに向かえたけれど、もう「星の小人亭」は営業していない。


 アルーサさんたちは「竜の王国」でギルドの執行部として活躍しているし、おかみさんたちは密やかに処刑された。


 モーレは俺の目の前で死んでいる。


 「星の小人亭」を運営する人はもう誰もいない。


 実際、金貨十枚を稼いだあとの日々で何度も「星の小人亭」の前を通ったけれど、看板は取り外され、扉と窓には釘が打ちつけられていた。


 扉には「星の小人亭」の営業許可を取り消したという張り紙が貼られていた。


 理由までは書かれていなかったが、道行く人たちが口にする噂では、「星の小人亭」が実は奴隷売買に手を染める犯罪組織だったということになっていた。


 ただそれを事実だと知っている人はいない。


 あくまでもそんな噂が真しなやかに流れていた。


 あれから二か月近く経ったいまでもその噂が流れているのかはわからない。


 もしかしたらいまでは別の噂が流れているのかもしれない。


 どちらにせよ、俺には知る由もないことだった。いや知る気になれないことだった。


「星の小人亭」は城からだとギルドに向かう途中にあるけれど、あえて遠回りをしてギルドに向かった。


 遠回りをすれば「星の小人亭」には向かわずにすむ。


 最終的には「星の小人亭」には向かうけれど、それはいまじゃなかった。


 まずはククルさんやクーさんたちに挨拶をする。その際には希望とシリウスを嫁と娘として紹介する。


 たぶん驚かれるだろうけれど、あそこのギルドの人たちであれば祝福してくれると思う。


 ただ希望を紹介したのであれば、アルトリアも紹介しておかないとあとでややこしいことになりそうな気がしてならない。


 こういうことにはアルトリアは結構目ざといから、ちゃんとしておかないと後で怒られてしまう。


 でも今日のところは希望とシリウスだけでいい。


 アルトリアは戻ってきたら、紹介しておこう。


 まぁ、戻ってくるまで「蛇の王国」で滞在するとは限らないんだけど。


 一応はアルトリアも紹介するつもりだけど、それはまた別の機会になるかな。


「潮風が気持ちいいね」


 希望が隣を歩きながら、髪をかき上げていた。


 希望の茶色の髪が風によって靡かれていた。


 素直にきれいだと思う。やっぱり俺にはもったいないくらいにきれいだとしみじみと思うよ。


「わぅわぅ、潮風気持ちいい」


 シリウスも無邪気に笑っている。ちなみにシリウスは俺と希望の間にいる。


 俺と希望と手を繋ぎながら歩いていた。


 客観的に見たら、俺たち三人ってどういう風に見えているのかな。


 俺としては家族に見られていればいいなとは思う。


 家族は家族でも姉妹に見られていたら、ちょっぴり傷つくけど。


 でも、俺と希望は結婚していないんだよね。


 この世界では同性婚も一般的になっているみたいだけど、多くはない。少し珍しい程度らしい。


 日本ほど排他的ではないのは、救いと言えば救いなのかな。


 でも、最終的にはその日本に帰るのが俺と希望の目的だった。


 問題があるとすれば、シリウスをどうするかってことだ。


 シリウスは俺の娘だ。希望やアルトリアにとっても娘だ。


 その娘を置いて行くのはどうかなと思う。


 仮にシリウスを連れて帰る場合、シリウスには基本的には人化の術を使わずに、珍しい毛並みの犬として過ごしてもらわなきゃいけない。


 犬として過ごしてもらえれば、地球でもシリウスは生きていける。


 たまには人化の術を使わせてあげられることもあるだろうけど、基本的には犬という体で過ごしてもらうことになる。


 でも、シリウスを連れて帰る場合、問題になるのがアルトリアだった。


 シリウスはアルトリアをまま上と呼んで慕っている。アルトリアもシリウスを娘を溺愛していた。


 そんなアルトリアからシリウスを取り上げる。あまりしたくはない。


 というかそんなことをすれば、アルトリアが壊れてしまう。


 だからシリウスを連れて帰るのは現実的じゃなかった。


 となると希望とふたりで帰ることになるのだけど──。


「希望はさ」


「なに?」


「本当に帰りたい?」


 この話をするのは、実際には初めてだった。俺が帰りたいのなら希望も帰りたいだろうと思っていたから。


 でも、希望は帰りたそうな素振りは見せていない。


 むしろ帰れなくてもいいと言っているように見えた。


 考えてみれば、希望としては別に帰れなくても問題はないんだ。


 なにせ、この世界では俺と結婚できる。それどころか子供も作れるみたいだし。


 ……どう作るのかは置いておくとして。


 あとこの世界では希望がいじめを受けることはない。


 希望は美人だ。いや美人すぎる子だ。美人すぎるからこそ、謂れのないいじめを受けてしまう。


 この世界でもそれは同じだけど、この世界であれば、どんな手段を用いてでも俺が助けてあげられる。


 ラースさんやエンヴィーさんという権力者が味方にいるんだ。


 なにがあっても希望を守れる状況は作れるんだ。


 だから希望にとっては、この世界で骨を埋めてもなんの問題もない。


 唯一の気がかりは、おじさんとおばさん、希望のご両親のことくらいだ。


 娘としては親の老後の面倒を見てあげたいだろうし、死に目に立ち会いだろう。


 俺だってそうだ。


 親父やじいちゃんの最期には立ち会いたい。


 いままでありがとうって見送ってあげたい。


 でも逆に言えば、俺にとっても気がかりはそれくらいってことだ。


 強いて言えば、立ち食いステーキの会員証の有効期限くらいだけど、元の世界に絶対に帰らなきゃいけない理由にはなりえない。


 こうして振り返ってみると、俺が絶対に帰らなきゃいけない理由は、親父とじいちゃんのためってだけだ。


 でも、いままでは絶対に帰らなきゃいけないって思っていた。


 その理由はたぶん希望なんだ。


 帰らなきゃってだけ考えていたけど、その理由はいま思えば、希望のためだった。


 希望は美人すぎた。


 だから男にも女にも余計なちょっかいを出されてしまう子だ。


 そんな希望を守れるのは、俺だけだった。


 だから希望を守るために帰らなきゃいけなかった。


 泣き虫な希望を。大切な幼なじみを。誰よりも愛しい人を守りたかった。


 だから帰らなきゃいけなかった。


 でも、希望はいまここにいる。


 俺の隣を歩いてくれている。


 絶対に帰らなきゃいけない理由が薄くなってしまった。


「香恋が帰るなら帰るよ」


 希望は笑っていた。帰りたいとは言わなかった。


 それが希望の答えなんだ。


 俺が帰ると言わなきゃ帰らない。


 たぶん、もうこの世界に骨を埋める覚悟さえもできているんだろう。


 実際ネット小説では、異世界に転移したら基本的には、元の世界に帰ることはできない。


 できるようになる作品もあると言えばあるけれど、だいたいは転移した世界で面白おかしく過ごしていくという内容のものが多い。


 というのもだいたいの作品では主人公はみんなチートな能力をもっているからだ。


 元の世界では決して得ることのできなかった全能感。


 その力を振るうことが、その力を以て現実ではたどり着けなかったところにたどり着くことができる。


 いわば作者の願望を実現するための舞台こそが異世界だった。だからこそその異世界から戻る方法は基本的にはない。願望を実現するための舞台からわざわざ降りようとする人なんているわけがないからね。


 でもこれは現実だ。


 夢のある小説ではない。


 現実の話。


 そして現実の話が小説のような状況になってしまっている。


 だからこそ希望は帰りたがらない。


 ここが理想の世界だと思っているからこそ、辛いだけの現実から目を背けようとしている。


 なら俺はどうなんだろう? 


 俺ははたしてこの世界を理想の世界と思っているのかな? 


 それともただの地獄のような世界として見ているのかな?


 わからない。自分のことなのに、まるでわからなかった。わかるとすれば──。


「帰りたくてもすぐには帰れないさ。もうしばらくはこの世界にいなきゃいけないからね」


「そうだね。じゃあ、もう少しだけいまのままでもいいよね?」


 希望が嬉しそうに笑った。


 現実逃避ではなく、希望にとっての現実がこの世界になりつつある。


 それがはっきりとわかる笑顔だった。


 俺はどうすればいいんだろう? 


 希望の願いを、この世界にい続けたいと願う彼女の想いを尊重するべきなのか、それとも俺のわがままに希望まで巻き込むべきなのか。


 わからない。いまはなにもわからない。


 ただ考えるのをやめようとは思わない。


 考えるのをやめてしまえば、そんなのはもう死んでいるのも同然だから。


 生きながらに死ぬ。


 決して俺にそれは許されない。


 モーレの命を背負った俺には許されることじゃないんだ。でも──。


「もう少しだけ」


 そうもう少しだけ、結論を出すのを先延ばしにしてもいいのかもしれない。


 すぐそばにある光景を、娘と嫁に囲まれた日々をもう少しだけ味わってもいいかもしれない。


 幸せそうに笑うふたりを見つめながら、そう思わずにはいられなかった。


 たとえいつかはこの光景が壊れてしまうものだとしても、いまだけはこの幸せな日々に浸っていたい。そう思わずにはいられなかった。

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