Act3-9 貞操の危機なんてなんのその
「う、うぅぅぅ~」
香恋が私の胸に顔を埋めて泣いている。
泣きじゃくる香恋はすごくかわいい。
かわいいのだけど、いまはそんんなことを言っている場合じゃない。
「あらあら、ちょっとやりすぎましたかね?」
エンヴィーさんがニコニコと笑っている。
香恋をここまで追い込んだのに、言動が軽すぎません?
エンヴィーさんにとっては、ただのお遊びであっても香恋にとってはそうじゃなかったというのに。
「ちょっとどころじゃないですよ。大丈夫、香恋?」
香恋の頭を撫でつつ、エンヴィーさんを見やる。エンヴィーさんはのほほんとしながら、お風呂に浸かっている。かく言う私もその隣で湯船に入らせてもらっているけれど。
本音を言えば、お風呂になんて入っている場合じゃなかったのだけど、エンヴィーさんが──。
「ノゾミちゃん、お風呂場に来たのであれば、それ相応の恰好をしないとダメじゃないですか」
いつのまにか背後に立ち、あっと言う間に服を脱がしてくれたからね。
同時に香恋が鼻血を出しました。
私の裸なんて見慣れているはずなのだけど、香恋曰く状況が違うから興奮したとかわけのわからないことを言ってくれましたよ。
でもまだこの時点では、香恋も泣いていなかった。
鼻血を出して湯船から出ていたけれど、あくまでも湯船から出た程度だった。でも──。
「ん~、やっぱり生やしちゃいましょうか? 香恋ちゃん、中身は男の子みたいなものですし。それに体つきもあまり女の子らしくないから、かえって似合うかもですよ?」
エンヴィーさんの言葉に香恋はものの見事に傷ついてしまったんだ。
たしかに香恋は中身が男の子だけど立派な女の子なわけで、その女の子を男の子みたいと言ってしまったら、傷つかないわけがない。
その結果、私の胸に顔を埋めて泣いているわけですよ。
たしかにエンヴィーさんの言う通り、香恋の中身はほぼ男の子だよ。実際、うちのお父さんからは──。
「香恋ちゃん、早く希望を嫁に貰って、孫の顔を見せてくれな」
なんてバカなことを言われてしまうくらいに、香恋はほぼ男の子同然の扱いをされていた。
小学校の頃は一度もスカート姿なんて見たことなかったし。
いや小学校どころか、中学生になるまで、香恋が女の子らしい恰好をしているところなんて、一度も見たことがなかったよ、私は。
だから中学の制服でスカート姿の香恋を見たときは、一瞬目を疑い、つい言ってしまった。
「香恋が女装している!」
女装どころか、もともと女の子なのだから、女の子の恰好をするのは当然のこと。
だから香恋がスカート姿になってもなんの問題もなかった。
なかったのだけど、やっぱり私の中では香恋=中身は男の子という方程式が出来上がっていたからかな。
ついつい制服姿の香恋を見て女装していると思ってしまったんだよね。その結果、香恋は泣きました。
「お、俺は女だもん! 希望のばかぁ!」
そう言って私の胸に顔を埋めて、ぽかぽかと殴ってくる香恋はすごくかわいかった。
でも殴られた痛みを相殺できるわけではなかったから、地味に痛かったよ。
そしていまあのときと同じ状況に香恋は陥っていた。
普段から男の子っぽいくせして、こういうときはちゃんと女の子であることを強調しようとするのだから、そういうところは素直にかわいいと思う。
普段から女の子らしいところを見せれば、香恋がかわいいってことをみんなにもわかってもらえるのだけど、当時の私は泣いている香恋を誰にも見せたくなかった。
当時はその理由がわからなかったけれど、いまはわかる。
だっていまの香恋を見たら、誰だって香恋のことを好きになっちゃうよ。
実際私はいますごく胸がキュンキュンしているもの。
泣いている香恋めちゃくちゃかわいいって思っている。
それこそエンヴィーさんにさえ見せたくないくらいに。
ひとり占めにしたいくらいにいまの香恋を誰にも見せたくないって思っちゃっているんだよね。
「ふふふ、カレンちゃんってば。かわいいですねぇ。普段は凛々しいというか、わりとイケメンなところがある子なのに。いまは年相応、いえいくらか幼く見えてかわいいですねぇ。お姉さん、カレンちゃんを食べちゃいたいですねぇ」
エンヴィーさんがぺろりと唇を舐める。
それが本気か冗談かによって私の対応は変わるんだけど、エンヴィーさんのいまの発言は果たして冗談なのか、それとも本気なのかな。いまいち判断がつきません。
「え、エンヴィーさんのばかぁ! 俺は女だもん! イケメンじゃないもん!」
香恋が私の胸から顔をあげて、エンヴィーさんを睨み付ける。
涙目になった香恋に睨まれたエンヴィーさんは呆けたような顔をした。
呆けた際にぷっつーんって音が聞こえたような気がしたのだけど、たぶん気のせいだよね?
気のせいだといいなと願っていたけれど、エンヴィーさんは無言かつゆっくりと私たちに近づいてきた。
怒っているのかなと思ったけれど、エンヴィーさんは怒っていない。
むしろ笑っている。笑っているのだけど──。
「……カレンちゃん、かわいすぎです。お姉さん、理性飛びましたよ?」
エンヴィーさんの目に明らかなハートマークが見えた。
マジで貞操の危機じゃないかな、これ?
「え、エンヴィーさん、落ち着いてください! 香恋は女の子であって」
「大丈夫ですよ? 私は女の子でもイケますから」
とんでもないカミングアウトだった。
なにが大丈夫なの? それのどこが大丈夫なの?
かえって不安感を煽られてしまったよ!? 安心できる要素が皆無になったよ!?
でもそんな私の不安をよそにエンヴィーさんは止まることもなく、お湯を掻きわけて近づいてくる。目が怖いです。
「ふふふ、この際です。ノゾミちゃんも食べちゃいましょうか? 安心してください。カレンちゃんにあげるものは残してあげますからね」
にっこりと笑うエンヴィーさんを見て、貞操の危機にあるのは香恋だけじゃなく、私もであることにようやく気づけました。
というか、ここが虎口だったのか。まずい。明らかにまずい!
「カレンちゃんには女の子を満足させる方法を。ノゾミちゃんにはそうですねぇ。相手に自信をつけさせるやり方を教えてあげますね」
エンヴィーさんが口角を上げて笑う。
弧を描いて笑うエンヴィーさんの姿に背筋がぞくりと震えてしまったよ。
そんな私の姿にエンヴィーさんの頬に赤みがさしていく。
「ああ、もうかわいい。かわいいなぁ。ふたりともかわいすぎて、もうダメ。食べちゃおう。うん、食べて私のものにしてあげますね。ふふふ、私好みのかわいい子にしてあげちゃいますね」
言いながら完全に悦に浸っているエンヴィーさん。
うん、これはダメな奴ですね。なにを言っても止まらない奴だね。
というか言動が完全にドエスだよ、この人。
「蛇王」の名前は伊達じゃないってところかな。もう言葉では止められそうにない。
かといって逃げ出そうにも逃げ出せる気がしない。
香恋とは違って、身体能力にはあまり自信がないんだよね。
だというのに香恋を抱きかかえて逃げ出せるわけがない。
それもここは明らかにエンヴィーさんの領域で、余計に逃げ出せる気がしなかった。
「ふふふ、ふたりそろって「大人」にしてあげますね」
ゆっくりと近づいてくるエンヴィーさん。
そんなエンヴィーさんに私はなすすべがなかった。
捕まったら喰われる。
それをはっきりと自覚しつつも、打つ手のない状況にあっという間に追い込まれてしまった。そんなときだった。
「お姉さま、失礼しますね」
扉がいきなり開いた。
見ればエルフ系の女の子? まぁ、たぶん私たちよりも年上であろう人がお風呂場に入ってきた。
エンヴィーさんの目がその人に向いた。
チャンス到来。
私は急いで香恋と一緒に湯船から飛び出し、代わりにエルフの女性をお風呂場へと押し込んだ。
ごめんなさい。そう言い残してお風呂場の扉を閉める。
エルフの女性は明らかに困惑していた。
でもその女性のすぐそばにエンヴィーさんが立っていて、そして──。
「仕方がないですねぇ。ククルで我慢しましょうか」
「え? ちょ、ちょっと? お、お姉さま!?」
エンヴィーさんが笑う。そしてククルさんって人が慌てる声をあげると同時に扉を閉め切った。
「お、お姉さま!? そ、そんなのは入らな、きゃー!?」
扉越しにククルさんの悲鳴が聞こえてきた。
ククルさんがどういう人なのかは全然知らないけれど、あなたのおかげで私たちは助かりました。
「ありがとうございます」
扉越しに敬礼をしながら、どうにか脱衣場にあった服に着替える。
着替え終わったころにようやく香恋が復活してくれた。
復活した香恋と一緒にエンヴィーさんの私室へ向かうと──。
「は、離してください! 「旦那さま」のお子を私も授かるんですからぁ!」
「だからいい加減に諦めろ、小娘!」
「いーやーでーす!」
アルトリアとコアルスさんがまだ言い争いをしていた。
どうしてそうなったのかはわからないけれど、コアルスさんはアルトリアを後ろから羽交い絞めにしていた。
骨肉の争いってこういうことを言うのかな。
私も香恋も疲れ切った顔をしながら、コアルスさんとアルトリアのやり取りを眺めた。
ちなみにその一時間後ぐったりとしたククルさんを小脇に抱えた、妙につやつやとしたエンヴィーさんが戻ってきたのだけど、それはまた別の話になるのかな?




