Act2-29 秘書さんは大変ですね(Byカレン
ホテルに着いたときには、もう日付が変わっていた。
ロビーは閑散としていた。昼間のにぎやかさが嘘のようだ。
そんな閑散としたロビーでひとり黙々と書類とにらめっこをしている人がいた。
ハールさんとよく似ている美人さんだ。
ただハールさんとは対称的な白い髪をひとつにまとめて肩に流している。
インテリジェンスを感じさせる縁なし眼鏡の向こう側には薄いグレーの瞳があり、対称的とは言えないがハールさんとは明らかに違う色だ。
着ているのは同じくスーツっぽい服だけど、ハールさんはスカートだったけど、ファームさんはスラックスだ。できる女性って感じ。いわばクールビューティーだね。
「やぁやぁ、ファームちゃん。今宵も頑張っていますねぇ」
「こんばんは、総支配人。そちらの方々がハールの言っていた?」
「ええ、デラックススイートのお客様方ですよぉ」
「そうですか。ですが総支配人のお知り合いがいらっしゃるとは言え、宿泊費なしはさすがに困りますゆえ、次からは──」
「同じデラックススイートに追加一名お願いしますねぇ」
ファームさんの話をぶった切るように、ティアさんがエレーンを追加させると言った。
ファームさんは顔をひきつらせ、深いため息を吐いている。
ハールさんだけじゃなく、ファームさんも苦労しているようだ。
秘書さんという存在はみんな苦労する星のもとに生まれているのかな。
ハールさんたちを見ているとそう思えてならないよ。
俺も苦労させている側であることは、あえて気にしないことにした。
盛大なブーメランにしかならないのは、明らかだし。
「一応、理由をお聞かせいただけますか?」
「母神さまがカレンさんの従者として選ばれた天使さまですからね。お金なんていただけないですよぉ」
「……それを証明することは?」
「サラさまがお出でになられましたのでぇ」
「わかりました。サラさまがお出でになったということはその方も天使ということですからね。ですが、なんで倒れかけているんですか?」
ファームさんが首を傾げている。
なにせ当のエレーンはぐったりとしていて、ティアさんに肩を貸してもらいながらじゃないと歩くこともできないでいるからね。不思議がるのも無理もない。
「「心の回廊」を通った影響ですよぉ」
「あぁ、なるほど。しかし天使さまにもトラウマってあるんですね」
ファームさんがまた不思議がった。
まぁ天使さまにトラウマがあるとは普通思わないだろうから無理もないか。俺だって実際に言われて驚いたからな。
どんなに意外であっても、エレーンになにかしらのトラウマがあることは事実だ。
じゃなければ、アルトリアと同じように憔悴するわけもないだろうし。
憔悴しているということは、エレーンにもなにかしらのトラウマがあるという証拠だ。
天使である彼女がトラウマになるほどのことっていったいなんだろう。
聞いても教えてくれることはないだろうから、あえて聞こうとは思わない。
聞いたところで俺になにができるよって話でもあるし。
「まぁ、いろいろとあるんですよぉ。とりあえずこの天使さまもデラックススイートに宿泊されるということにしておいてくださいねぇ?」
「わかりました。母神さまの名前を出されてしまったら、断ることなんてできませんからね。ですが、今後は割引程度にしてくださいね? デラックススイートはうちの目玉なんですから。その目玉をただで使わせるのは、明らかに問題ですから」
「わかっていますよぉ。ティアさんはこう見えてもここの総支配人さんなんですからねぇ」
「……わかっているなら、もう少し私とハールの胃にも優しくしてもらえないですかね?」
ファームさんがお腹を押さえている。
あれは比喩ではなく、物理的に胃が痛いのかもしれない。
しかもファームさんだけではなく、ハールさんも同じみたいだし。
ティアさん、どれだけふたりに心労をかけているのかな。
怖くて聞けない。これを機に俺ももう少しアルトリアに心労をかけないようにしたいな。
うん、あくまでもしたいなってだけで、絶対に心労をかけないとは言わない。というか言えない。言えるわけがないでしょうに。
だって俺もティアさんと同じ穴の狢だもの。
さすがにティアさんほどではないと思いたいけれど、五十歩百歩って言葉もあるわけだから、あまりとやかく言える筋合いではないよね、たぶん。
「では、ファームちゃん。ティアさんはエレーンさんをお部屋に連れて行くので、また明日よろしくぅ」
ティアさんはファームさんに声をかけてから、この場を後にしようとした。
だがファームさんがティアさんの肩を掴んだ。
行かせてたまるかというファームさんの怨念を感じられるような鬼気迫る表情だった。
「ダメですよ? 総支配人。あなたにはまだやっていただくことがありますので」
「で、でもぉ、ティアさんは今日のお仕事はもう終えているわけでぇ」
「それは昨日の仕事ですよ? すでに日付は変わっていますので、新しく決裁していただく仕事があります」
「あ、朝になったらやりますから、執務室に置いといてくださいぃ」
「ダメです。そう言ってあなたはギリギリまでやらないじゃないですか。それに終わっているのは昨日の分だけで、それまでに溜まりに溜まった仕事は手付かずらしいじゃないですか! しかもすべて今日中に終わらせておかないといけない仕事ばかり! なんでもっと早く終わらせていないんですか!? 私数日前に聞きましたよね!? ちゃんと仕事は終わっていますかって! そのときあなたは「大丈夫ですよぉ」と言っていましたよね!? あれは嘘だったってことですよね!?」
ファームさんが叫ぶ。
ティアさんが小さな悲鳴を上げているけれど、ファームさんはお構いなしだった。
相当に頭に来てしまっているみたいだ。
話を聞く限りでは、ティアさんの自業自得というところだけど、どうやらかなり大切な仕事みたいだから、たぶんファームさんも手伝わされるんだろうな。
ああ、そうか。だからロビーで仕事をしていたのか。ティアさんを逃がさないために。
「だ、だってだってぇ、ティアさん書類仕事嫌いなんですものぉ」
「私だって書類仕事なんて嫌いですよ!? それでも仕事だからやらなきゃいけないから、やっているわけです! なのに嫌いだからやりたくないなんて通じるわけがないでしょう!? そもそもあなたはここのホテルのトップなんですから、嫌いだからなんて言っている余裕があるのであれば、さっさとやりなさい!」
ファームさんが再び叫ぶ。
まるで夏休みの宿題を最終日にまで残している子供とそんな子供を叱る親のような光景に見えるよ。
「だ、だけどぉ、ティアさんはエレーンさんをお部屋までお連れしないといけないわけでぇ」
「でしたら私も一緒に行きます。カレンさんでしたね? 私もご一緒しますが、よろしいですね?」
ファームさんが眼光鋭く俺を見つめてくれる。
思わす悲鳴を上げそうになったのは内緒だ。
だってファームさん、マジ怖いんだもの。この人には逆らってはいけない。そうしみじみと思うね
「構いません」
「か、カレンさん。そこは断るべきであってぇ」
「断る必要はないでしょう? さぁ、行きましょうか。総支配人はその後みっちりと仕事をしてもらいますからね?」
にっこりとファームさんが笑う。額に青筋が浮かんでいるのがはっきりと見えていた。
ティアさんは涙目になっている。
ご愁傷さまと思いながら、俺たちはシリウスとゴンさんが待つデラックススイートに戻った。
その後ティアさんがファームさんに首根っこを掴まれて引きずられる形で連行されてしまったのは、言うまでもないね。




