Sal2-58 証明とはじめまして
砂埃が晴れた先には、とってもきれいな人がいた。
銀色の髪と紅い瞳のとってもすごい美人さん。
その場にいるだけでも目を奪われてしまうほどなのに、いまはより一層目を奪われてしまっていた。
日の光によって銀色の髪が淡く輝いているというのもある。
目尻に浮かぶ涙が、紅い瞳と反射して、まるで宝石のように輝いているということもある。
でも、それ以上に──。
「『ママ』」
──会えたことが嬉しかったから。
久しぶりにママに会えたことが嬉しかった。
それこそ涙が止まらなくなるほどに。
「……プロキオン」
ママは私の名前を呼んでくれた。
少し前みたいに。
パパとママのところにいた頃のように、私の名前を呼んでくれた。
すっかりと変わってしまった私を、以前の私とは別人のようになってしまった私を、いままで通りの「プロキオン」と呼んでくれた。
それだけのことが堪らなく嬉しくて、気付いたら私はママに抱きついていた。
抱きつくと、ママのぬくもりが伝わった。
いつも感じていたぬくもり。
手を繋げば伝わってきていたもの。
抱きしめて貰えば伝わってきていたもの。
一緒のベッドで寝ていると、じんわりと私を暖めてくれたもの。
懐かしいぬくもりに、私は自然と涙を流していた。
ママは「プロキオン」と何度も私を呼びながら、強く、強く抱きしめてくれていた。
その際にさらりとママのきれいな髪が私の頬に触れていた。
髪の色は私とママは同じだけど、髪の質感は私なんかとは比べようもないくらいにママの髪は柔らかい。
触れればふわりとしていて、いつまでも触れられているほどに柔からかく、それでいてきめ細やかな髪は、まるで銀色の糸のよう。
そう、それこそこの世のものとは思えないほどにきれいで、とてもいい匂いがする髪。
同じなのは髪の色だけじゃなく、瞳の色も同じ。
私もママも同じ紅い瞳をしているらしいけれど、私にしてみれば、全然違っている。
「ベヒリア」にいた頃、おばあちゃん陛下のお城で見せてもらった宝石よりも、ルビーやガーネットっていう宝石よりも、ママの瞳ははるかに光り輝いてきれいだもの。
ママ的には私の瞳の方がって言うんだろうけれど、私にしてみれば私なんかじゃママのきれいな瞳には全然及ばない。
たしかに色合い的に言えば、私も紅色で、パパからは宝石みたいだと言われていた。
でも、宝石は宝石でも私のそれはせいぜいガーネットだと思う。
ガーネットもルビーと同じ紅い色をしているけれど、少しくすんだ、いや、少し黒っぽい。私の目も紅ではあるけれど、ほんの少し黒みがあるように思えるから、私の瞳はガーネットなんだ。
でも、ママは違う。
ママの瞳はとても澄み切っている。澄み切った紅い瞳は、色石と呼ばれる、色を持った宝石たちの中でも、紅系統の最高峰であるルビーを思わせる。
それくらいママの瞳はきれいなんだ。
私なんかとは比べようもないくらいに、とってもきれいな瞳をしている。
その瞳が私と会えたことで涙に濡れていた。
ママの濡れた瞳は、不謹慎なんだけど、いつも以上にすっごくきれいだった。
目尻から涙が零れ落ちるたびに、まるで瞳から宝石が零れ落ちているかのようだった。
瞳から零れ落ちた涙はすぐに色合いを失い、透明なものへと変わってしまう。
でも、その透明な涙はとてもきれいだった。
それこそ、宝石の中でも最高峰であるダイアモンドみたいに。
つくづく。
そう、本当につくづく思う。
あぁ、ママは本当にとってもすごい美人さんだって。
とってもすごい美人さんなママに抱きしめられて、私はこの数週間の中で一番幸せな気分だった。
大好きなママに会えて、大好きなママに抱きしめられて、大好きなママに名前を呼んで貰える。
私にとってこれ以上に幸せなことはほとんどない。
あるとすれば、それは大好きなパパに同じことをして貰うことだけだと思う。
そう、大好きなパパに──。
「アンジュ!」
──パパの声が聞こえた。
ううん、パパの声だけど、パパじゃない。
私の大っ嫌いなあいつの声。
私とママからパパを奪い取ったあいつの声だ。
「……香恋さん、みんな」
ママが私ではなく、あいつを見た。
いままでママの瞳に映っていたのは私だけだったのに、いまはあいつが代わりに映ってしまっている。
嫌だと思った。
すごく、すごく嫌だった。
ママを奪われたみたいで、すごく嫌だった。
「『やっぱりだ』」
「プロキオン?」
「『やっぱり、おまえは私から大切なものを全部奪い取るんだ!』」
牙を剥きながら、あいつを睨み付ける。
あいつは私に睨み付けられても、平然そうにしていた。
むかつく。
腹が立って仕方がない。
あんな奴──
「『殺してやる!』」
──絶対に許さない、と私はママの腕の中から飛び出した。
ママが「プロキオン、待って!」と私を呼び止めるも、いまだけはママを無視した。
すごく胸が痛い。
ママにひどいことをして、すごく胸が痛かった。
それでも、私はあいつを許せない。
パパを裏切って、パパの体を奪い取ったくせに、のうのうとすごしている。
許せない。
許しておけない。
なによりも、ママの体からわずかにだけど、あいつの臭いがした。
いつか見た夢のように、あいつはママにひどいことをしているんだ。
誰よりもきれいなママを穢した。
許せない。
許せることじゃない。
私はまっすぐにあいつに向かって行った。
あいつは私を見据えながら、パパの剣を構えようとして──。
「プロキオンおねーちゃん! いいかげんにするの!」
──その寸前でベティに止められてしまった。
ベティはなぜかあいつを庇うように、私とあいつの間に体を滑り込ませたんだ。
それもルリ様と一緒に。
「『べ、ベティ、なんで』」
「なんで、はこっちのセリフなの!」
急ブレーキを掛けながら、振り上げていた右手をとっさに引っ込めると、ベティは鼻を鳴らしながら怒り心頭という表情で私を睨んでいた。
「どーして、プロキオンおねーちゃんはいつもそーなの!?」
「『そ、そうってなにさ?』」
「おもいこんだら、いっちょくせんすぎるっていっているの! おとーさんはプロキオンおねーちゃんのそーゆーところはいいところだっていっていたけれど、ベティからみたら、いまのプロキオンおねーちゃんは、おねーさまうえにやつあたりしているようにしかみえないの!」
「『や、八つ当たりなんかじゃない! だって、そいつはパパを騙して──』」
「プロキオンおねーちゃんにとって、おとーさんはそんなかんたんにだまされちゃう、おバカさんなの?」
ベティの言葉に私は一瞬あ然とした。でも、すぐに怒りが沸き起こった。
だって、ベティはパパをバカと言ったんだ。私の、私たちの大好きなパパをバカ扱いするなんて許せない。
「『ベティ、言っていいことと悪いことがあるんだよ? パパをバカなんて』」
「おとーさんをおバカさんにしているのは、プロキオンおねーちゃんだっていっているの!」
「『私が、パパを?』」
なにを言うかと思えば。私がパパをバカ扱いしているなんてあるわけがない。
パパは頭のいい人だ。私が尊敬し、私にとってママと同じくらいに大好きな人。その大好きなパパを私がバカ扱いするなんてあるわけがなかった。
「『ふざけたことを言わないで! 私がパパを貶すなんて』」
「だって、プロキオンおねーちゃんがいったんだよ? おねーさまうえはおとーさんをだましたんだって。つまり、おとーさんはおねーさまうえにだまされてもとーぜんのひとだって、プロキオンおねーちゃんはいっているの!」
ベティの言葉に私は呆然となった。
反論したいのに、反論できないほどの衝撃に襲われていた。
パパがあいつに騙された、という私の言葉は、たしかにベティの言う通り、パパがあいつに騙されている程度の人だって言っているようにも聞こえるものだった。
実際は違っていても、そういう風に聞こえることは否定できないことだった。
「『ち、違う。違うんだよ、ベティ! お姉ちゃんはそんな風に』」
「ベティにはそういっているようにしかきこえないの。プロキオンおねーちゃんは、ときどきすごくいじわるさんになるけれど、でも、ベティとおんなじで、おとーさんのことがだいすきだっておもっていたの。でも、おとーさんをすぐにだまされるおバカさんだっておもっているなんて」
キッと潤んだ瞳でベティは私は睨み付けた。
違う、違うんだよ、と言ってもベティは私を睨み付けている。
どうして?
どうして私が睨み付けられなければならないのか。
わからなかった。
「『違う、違うの、ベティ。お姉ちゃんは、お姉ちゃんは、ただ、ただ……』」
それ以上先の言葉が出てこなかった。
どう言えばベティの勘違いをただせるのかがわからなかった。
私は決してパパをバカになんてしていない。
でも、私の言い分はたしかにベティの言うようにも聞こえてしまう。
そうじゃない、と言うことは簡単だけど、なら、どういうことなのかと説明することは難しい。
だって、それは「悪魔の証明」じみたことだから。
あるものを「ある」と証明することは簡単でも、ないものを「ない」と証明することは、この世のすべてを網羅しないとできない。つまりは事実上不可能と言ってもいいことだから。
その観点に当てはめると、私がパパをバカにしていないと証明することは、この世界で悪い奴に騙された人たちの言動とすべて比較しないといけないから。
逆に、パパをバカにしていることを証明するのは、とても簡単だ。
だって、私はパパがあいつに騙されていると思っている。
その時点で、パパはあいつに騙されるような「かわいそうな人だ」と思っているってことだもの。
つまりは、パパをバカにしていると言っているようなものだもの。
ベティの言い分を否定することはできる。でも、その証明をすることは私にはできない。
だから、続く言葉が見つからなかった。
何度も、何度も「ただ」と言うことしかできなかった。
そんな私をベティはじっと睨み付けている。
妹にそんな目で見られるのはすごく堪えた。胸が痛くて堪らなかった。
それこそいまにも泣いてしまいそうになるほどに、胸が痛くて堪らなかった。
どうすればいいのか。
どうしたらいいのか。
もうわからなかった。
「……はぁ、本当にこういうところもシリウスお姉ちゃんにそっくりなんだね。プロキオンお姉ちゃんは」
どうしたらいいのか。どうすればいいのか。なにもわからなくなっていると、ルリ様が不思議なことを言い出した。
「『ルリ様?』
普段ならプロキオンと呼び捨てにするのに、ルリ様はなぜかプロキオンお姉ちゃんと呼んでいた。
いったいどういうことだろうと思っていると、ルリ様は静かにお辞儀をしたんだ。
「こうして会うのは初めまして、だね。私の名前はカティ。いつもはおばあちゃんの、ルリおばあちゃんの中で眠っている、ベティのお姉ちゃんで、プロキオンお姉ちゃんの妹だよ」
ルリ様、いや、カティはそう言って笑ってくれたんだ。




