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Sal2-57 涙と再会と

 もうもうと砂埃が舞っていた。


 舞い散る砂埃はまるで薄茶色のカーテンのように、目の前を覆い隠している。


 覆い隠されたカーテンの向こうでは、うっすらとしたシルエットが見えていた。


 背丈はだいたいフブキちゃんと同じくらい。


 頭上にはぴょこんと飛び出た立ち耳があった。


 それらはフブキちゃんも同じ。


 でも、フブキちゃんと違うのは、背中に見える尻尾の数。


 フブキちゃんの尻尾は複数あるのに、砂埃の先にいる彼女の尻尾はひとつだけ。


 フブキちゃんではない別人であることは間違いない。


 というか、フブキちゃんはみんなと一緒に地下にいるから、いま目の前にいるわけがなかった。


 そしてなによりも──。


「『ママ?』」


 ──声が違っている。


 フブキちゃんの声とは違う声。


 その声を忘れることなんて、決してない。


 かつては、最初に会ったときは舌っ足らずな声だった。


 いまも幼さの残る声ではあるけれど、最初に会ったときよりも大人びて、成長してはいる。


 それでもまだまだ子供の範疇を超えないもの。


 その声を私が聞き間違えるわけがなかった。


 だって、その声は私のかわいい娘の声。


 あの人と私の間の娘で、ベティが「お姉ちゃん」と慕う子の声。


 いなくなってしまったときと同じで、二重に聞こえる声だけど、それでもあの子の声であることには変わらない。


 ううん、あの子であることには変わりはない。


 つーっと涙が伝っていく。


 砂埃が入ったわけじゃない。


 そんなもので涙なんて出ない。


 この涙はそんなものじゃなかった。


 ずっと、ずっと会いたかった。


 ずっと、ずっと声が聞きたかった。


 なによりも、ずっと抱きしめてあげたかった。


 ひとりにして、ごめんね、と言ってあげたかった。


 ママなのに、あなたを見捨ててしまってごめんね、って謝りたかった。


 でも、それらの想いがそう簡単に叶うわけじゃないことは私が一番わかっていた。


 だから、心の奥底に閉じこめていた。


 閉じ込めるしかなかった。


 その想いが、砂埃とともに私の中で舞い上がっていく。


 女神となって、私の感情は希薄となった。


 正確には、感情が沸き起こっても、持続することがなくなってしまった。


 でも、いまは違う。


 持続するはずのない感情が、嬉しさと悲しみ、喜びと怒り。それらのものが順々に沸き上がっては消えていく。


 それらが止めどなく溢れて、私の胸を貫いていた。


 涙が止まらない。


 次々に零れ落ちていた。


 涙を滴らせながら、砂埃を、なかなか晴れてくれない砂埃の先にいる、あの子を見つめていた。


 砂埃が晴れた先には、間違いなくあの子がいる。

 私の大事なかわいい愛娘がいた。


 居ても立ってもいられないと思いながらも、もしかしたらというありえないことを、別人かもしれないとか、「ルシフェニア」の策略かもしれないとか考えてしまっていた。


 あの子本人なのか、それともなのか。


 どちらなのかはわからない。


 私個人としては、あの子であることは間違いないと思っているし、私の感覚でもあの子であることを断定している。


 だけど、「ルシフェニア」にはスカイディアがいる。


 この世界の民が信奉する本来の母神がいる。


 神という立場では同じであっても、新神である私と「母神」と謳われるスカイディアでは同格というわけではない。


 スカイディアであれば、私の感覚を搔い潜って偽物のあの子を用意できるだろう。もしくはあの子の声に似せた罠を用意できるはず。


 砂埃が晴れない限り、目の前にいるのがあの子であるという確証を得ることはできなかった。


 そんなものなんていらない、と私の心は叫んでいるけれど、念には念を入れたかった。


 本当にあの子なのかと確かめたかった。


 そうしているあえて待っていると、もうもうと立ちこめていた砂埃は少しずつ、少しずつ晴れていった。


 砂埃が晴れるたびに、その向こう側にいるあの子の姿がはっきりと浮かびあがっていった。


 まず見えたのは体。


 いなくなってしまったときと同じ、要所要所を厚い毛に覆われた体。


 私が抱きしめていたときとはまるで違う姿ではあるけれど、あの子のものだというのはわかっていた。


 次に見えたのは、澄んだ紅い瞳。


 いまの姿になったときとは同じ紅でも、まるで血のようにさえ感じられた。


 おどろおどろしい真っ赤な血のような瞳だったのが、いまはすっかりと落ち着いて澄み切った紅になっている。


「『……がぅ』」


 そして最後に見えたのが、ようやく見えたのがその顔。


 いまの姿になっても変わらなかった顔。普段は澄まし顔となっているのに、私とあの人の前では年相応の笑顔を浮かべてくれる、かわいい顔。


 あぁ、間違いない。


 間違っていなかった。


 涙がより一層溢れていく。


 涙を溢れさせながら、私はあの子の名前を呼んだんだ。


「……プロキオン」


 久しぶりに呼ぶことができた娘の名前。


 あの人がいた頃とは、プロキオンの姿は変わってしまっている。


 それでも、たしかにプロキオンだった。


 私のかわいい、かわいい愛娘だった。


「プロキオン!」


 腰掛けていた階段から立ち上がると、プロキオンは紅い瞳を涙で歪ませると、「『ママ!』」と叫んで私の腕の中に飛びこんできた。


 その勢いはたたらを踏んでしまうほどに強く激しかった。


 それこそ、ベティの全力の「ドォン」に負けないくらいの勢い。


 だけど、それがどうしたのって思う。


 大事なのはあの子を抱きしめてあげること。


 別れたとき、ずっと後悔していた。


 どうして私はあの子のそばにいなかったんだろう、って。


 あの人にすべてを押しつけてしまっていた。


 私はあの子のママなのに、ママとしてするべきことをしていなかった。


 それがなによりも悔しくて悲しくて、辛かった。

 あの悔しさと悲しみと辛さに比べたら、この程度の衝撃なんてことはない。


 それに──。


「『ママ、ママ、ママぁっ!』」


 ──腕の中で泣き続けるプロキオンを見たら、どんなことだってへっちゃらだった。


 娘の涙を拭うこと以上に、娘を抱きしめてあげること以上に優先することなんてなにもないのだから。


「うん、ママはここにいるよ。あなたのすぐ目の前にいるよ」


 泣きじゃくって、私の胸に顔を埋めるプロキオンを強く、強く抱きしめる。


 プロキオンは鼻をすぴすぴと鳴らしながら、次々に涙を零していく。


 そんなプロキオンをより強く抱きしめる。


「『ママ、あいたかった。会いたかったよぉ』」


「……うん、ママも会いたかったよ。プロキオンにずっと、ずっと会いたかった。あなたをずっと抱きしめてあげたかった」


 涙が溢れる。止めどもなく溢れる涙を拭うことはしなかった。


 いや、拭っている暇がなかった。


 拭っている暇があるのであれば、プロキオンを抱きしめてあげたかった。プロキオンのぬくもりを感じていたかった。


 この子がもういならくならないように、腕の中に閉じ込めていたかった。


「『……ママ、痛いよぉ』」


「ごめん、ね。加減できないんだ」


「『……もう、ママったら仕方がないんだから』」


 プロキオンがおかしそうに笑っている。その笑顔が堪らなく愛おしかった。


 愛おしい笑顔を眺めながら、私は「お帰りなさい」と言おうとした、そのとき。


「アンジュ!」


 お店の裏口のドアが勢いよく開き、中からみんなを連れた香恋さんが現れたんだ。


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