Sal2-29 糸口
ずいぶんときれいな街だった。
人が多く往来していた。往来に合わせているのか、数多くの商店が軒を連ねている。
軒先に置かれた商品は、どれもこれも質のいいものばかり。
たとえば、食料品を扱う店であれば、店頭に並んでいるものは、今日の一押しの商品がずらりと並んでいた。
野菜であれば、採れたてのものを洗ったばかりなのか、表面には雫が浮かんでおり、実に新鮮そうな見た目をしている。
肉や魚介も新鮮そうな色合いをしている。特に魚介はいまにも飛び跳ねそうなほどに、まだ息があるようにさえ感じられる。
食料品以外の店でも、やはり品質に自信ありと豪語するように、これみよがしに店頭に並んでいる。
さすがに食料品のように所狭しに置かれてはいないし、同じ店頭でも軒下ではなく、店内のガラスのケース内にしっかりと保管されていた。
それらのものは食料品とは比べようもないほどの高値となっていた。高値であるがゆえの防犯対策ということなのだろう。
『すごいものですねぇ、姉様』
『そうだな。我らの拠点もそれなりに繁栄しているが、やはり魔物と人族では繁栄の仕方がまるで異なっている』
『ええ、まさに別世界です』
妹分のティアリとともに、私は街を練り歩いていた。
エレーン殿から臨時の休暇をいただいたのだが、これと言って趣味のない私はせっかくの休暇を持て余していた。
そこにティアリが「街に行きましょう」と誘ってくれたので、こうしてティアリとともに街中を練り歩くことにしたのだ。
ただし、普通に練り歩くのでは芸がないということで、少々特別な方法で練り歩いているわけなのだが──。
「あ、かわいい子たちがいる!」
──少々困ったことになってもいる。
いまも私とティアリが練り歩いていると、小さな女の子が顔を輝かせて私たちに駆け寄ってきたのだ。
『今度は女の子ですねぇ』
『……なぁ、ティアリ? まだやらないとダメか?』
『当たり前です』
『だがなぁ』
『姉様は子供の夢を壊すおつもりですか?』
『……それを言うなよ』
『ならば、やることはひとつですよ、姉様』
『……わかっているよ。はぁ』
私が溜め息を吐くのと同時に、件の女の子が私たちのそばに駆け寄るやいなや、その両腕で私たちを抱きしめてきたのだ。
「わぁ、かわいい~! もふもふでいい匂いもするぅ~! パパ、ママ~、私この子たちが欲しい!」
少女はそう言うと背後にいる両親にねだったのだ。
両親は困ったような顔をしている。
「ん~。たしかにかわいい子たちではあるんだがなぁ」
「毛並みもきれいだし、たしかにいい匂いもするけれど……あ、やっぱり。首輪が付いているわね」
「どこかのお家で飼われている子たちか。ん~、今ごろ飼い主さんたちが探しているだろうねぇ」
「でしょうねぇ。だから、残念だけど、うちでは飼えないわ」
「そんなぁ~」
少女は両親の言葉にがくりと肩を落としていた。その際、私とティアリも少女の動きに合わせて揺られていた。
「残念だけど、この子たちにはこの子たちの家族がいるんだ。その家族と離ればなれにさせるのはかわいそうだろう?」
「そうよ。残念だけど、うちの子にはできないの。離してあげてちょうだい」
「う、うぅ~。わかったよぉ。ごめんね、ワンちゃんたち」
少女は涙目になりながら、私たちを地面に下ろしてくれた。
地面に下ろされてすぐに私たちは、少女のそばから離れていく。
「ばいばーい」
少女は私たちに向かって名残惜しむように手を振っていた。
ティアリはその声に合わせるようにふるりと尻尾を振った。私も追従するように尻尾を一度だけ振った。
少女は「うぅ~」と名残惜しむ顔をしていたが、両親に手を引かれて、雑踏へと消えていった。
少女が雑踏に消えるタイミングで、私とティアリは大通りから路地へと曲がっていった。
路地に曲がってすぐ私たちは、近くの民家の屋根へと跳び上がり、擬態を解いた。
「……はぁ、これで何度目だ?」
「そうですねぇ。十数回目というところですかね?」
「……いたいけな子供を傷付けているようで、気が引けてきたよ」
「なにをいまさら。姉様とて、私の提案を最初は面白いと受けられたではありませんか」
「だがなぁ」
「まぁ、実地調査も含めておりますから、致し方のない犠牲ですよ。犠牲と言ってもなんの痛痒もない方法ですから」
「精神的に痛めつけているようにしか私には思えないんだがな?」
「わずかな心の傷程度であれば、すぐに塞がりますよ」
「……おまえ、こういうことにわりとドライだよな」
「姉様が少々ウェッティすぎるかと」
「……否定はできんな」
「でしょう?」
むふぅと鼻息を荒くするティアリ。その受け答えに若干イラッと来たので、ティアリの頬を思いっきり抓ってやった。
ティアリは「痛いです、姉様」と涙目になったが、そんなもん知らんわ。
「それで、まだやるのか?」
「ええ。人の目線では限られたものしか見えませんからね。であれば、私と姉様だけの方法と目線を試すのはありだと思いますし」
「……まぁ、実際に有用ではあるからなぁ」
はぁ、と溜め息を吐きながら、ティアリの言うことに頷いた。
実際、人の目線では見られるものは限られる。
私とティアリは人から見れば、大層な美人と映るようだが、いくら美人であっても許されないことはある。
たとえば立ち入り禁止区域に侵入することとかな。
そればかりはどれほど見目が麗しかろうが、即刻不審者として扱われることになる。
だが、ティアリの提示した方法であれば、なんの問題もなくなる。
運がよければ、機密情報なども得られる可能性がある。
もっとも、そのための弊害が先ほどの少女だった。
あの子にとって、少し前の私たちは、彼女が最後に言い残した「ワンちゃん」でしかないのだ。
そう、私とティアリは、少し前まで仔犬となっていた。
ティアリが念のためにと用意していた首輪を付けてな。
私たちは「人化の術」を用いて人の姿となっている。
だが、実態は狼の魔物である。
本来の姿は狼なのだ。
その狼が人の姿に化けているのが、私たちなわけだが、その人の姿もその気になれば、年齢の上げ下げは自由自在に行える。
そう、年齢を自由自在に上下できるのだ。そしてそれは人の姿だけではない。逆もまた然りだ。
要は本来の狼の姿でも、見た目の年齢を上下できるわけだ。
そして狼の魔物と言えど、幼少時は仔犬とさほど変わらない。まぁ、もともと近縁種ではあるから無理もない。
その近縁種ゆえの特徴を、ティアリは見事に突いているわけだ。
おかげで私たちが街を練り歩いても、これと言って問題が起こってはいない。
それどころか、街中の至るところを練り歩いても「なんだ犬か」としか思われていないのだ。
人の姿であるよりも、仔犬の姿である方が人の警戒を解きやすいということだ。
その分、私の尊厳はご臨終状態であるし、良心も非常に痛んでいるわけだが。
「……だが、その甲斐はあったかな?」
「ええ。まさにですね」
私の尊厳をご臨終させ、良心をこれでもかと痛めつけてくれたティアリの案だったが、功を奏してくれた。
というのも、「エルシディア」は二階層に別れた街なようなのだ。
街中のいたるところに、地下へと続く階段や謎の扉があったのだ。
それも巧妙に隠すようにしてだ。
たとえば、住宅街の一角には、それぞれの家の窓から監視できるうえに、周囲からはわからないようにして隠された扉があった。扉に近付くと明らかに閉所とは思えない反響音があった。
たとえば、路地の一角。いくつも角を曲がってようやくたどり着けるような奥まった場所に、数人の兵士が警備する階段が、地下へと続いているであろう階段があった。
他にも似たような扉や階段は街中の至るところにあり、その扉や階段を監視ないし警備するように民家や兵士の姿があった。
それらの扉や階段が独立したものと考えるのは無理がある。
どう考えても、それらの扉や階段は「エルシディア」の地下へと。おそらくは本来の「エルシディア」の姿へと繋がっているはずだ。
「……さて、どうしたものかな」
「さすがに仔犬の姿でも、扉の向こう側には行くことや階段を降りることもできませんでしたからね」
「うん。さすがに我らだけでは手が足りんな。今夜あたりにも報告をするとしようか」
「そうですね。一応地理関係も纏めましょうか?」
「そうだな。拠点に戻りながら、行うことにしよう」
「では、また仔犬に戻りますか」
「……そう、だな。あまり目立たんしな」
「ですです」
ティアリは笑っていた。
笑っているが、その笑みは私にはまるで悪魔のようにしか思えなかったよ。
だが、ティアリのおかげで糸口が見つかったかもしれない。
そう思えば、これも致し方のない犠牲であろう。
「では、帰りましょうか、姉様」
「あぁ、そうだな」
ティアリの言葉に頷きながら、私たちは再び仔犬の姿に戻ると、慎重に眼下を見やり、誰も通りかかっていないことを確認して、屋根から降り立った。
屋根から降り立つとまた仔犬のふりをしながら、私たちはゆっくりと拠点への帰路に着いたのだった。




