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Sal2-16 ややこしい関係

 音がなかった。


 物音だけではなく、声さえもほとんど聞こえないほどに、静寂に包まれていた。


 せいぜい聞こえるのは、時計の針が刻む音と調理中の音、そして調理したメニューを咀嚼する音くらい。


 それ以外の音はほとんどなかった。


 昨日までとはまるで違っていた。


 昨日までは騒々しいという言葉でさえも足りないほどに、メイド喫茶の中は騒然としていた。


 が、今日の店内はひどく静かなものになっている。


 そうなった理由は誰の目から見ても明らかだった。


「……姉様」


 私の隣で調理中だった円香が、明らかに困った様子で私を見つめていた。


 うん、円香が言いたいことはわかる。


 実によくわかる。


 だけど、私に言われても困るんだよね。


 円香も私に言っても意味がないことくらいはわかっている。


 わかっていても、あえて言うしかないという状況だった。


「……うーん。難しい、かも」


「ですが」


「いや、言いたい意味はわかるんだけどさ、逆にどうしろと?」


「それはそうなんですけど」


「まぁ、息苦しいなぁというのはわかるんだけどねぇ」


 ぼそぼそと隣り合いながら、現状についての話を進めるも、なんの解決策にも繋がってはいない。


 むしろ、私と円香が話し合いをしたところで、なんの意味もないんだよね。


 せいぜい、私たちが背後で動く程度くらいかな


 が、私たちが動いたところで現状がどうにかなるとは到底思えないんだよね。


 それだけ今回の一件は、根が深い問題となっている。


「──会計は銀貨一枚と銅貨五十枚です」


「銀貨二枚で」


「畏まりました。お釣りの銅貨五十枚です。ありがとうございました」


 淡々とした香恋の声が聞こえた。今日の香恋は会計担当となっていて、淡々と業務を遂行している。


「ヴェルド」時代では、レンさんは専ら会計を担当していたので、その中にいた香恋もまた会計に関しては精通していたみたいで、会計はスムーズに行われている。


 普段から他人に対して笑顔を浮かべることが少ない香恋だけど、今日はいつにも増して笑顔がない。


 でも、まぁ会計に関してはきっちりとして貰った方が客としてはありがたいだろうから、笑顔がないのはそこまで問題とは言えない。


 そりゃあ客商売だから、笑顔があった方がいいんだろうけれど、誰に対しても笑顔を浮かべるのはそれはそれで大変だからね。


 作り笑いでもいいという話は聞くけれど、個人的には作り笑いでも、淡々とした作業であっても、結果的に会計が間違っていなければそれでいいと思う。


 客商売だからと言って、毎回笑顔を浮かべろというのは正直なぁと思う。


 それに香恋はあくまでも会計担当でしかないうえに、メイドさんでもないんだ。


 なら笑顔を浮かべる必要はない。


 ちなみに香恋の制服は、誰の趣味なのか燕尾服だった。


 曰く「メイド服よりも燕尾服が似合う」と言うことだったので、香恋は問答無用で燕尾服が制服となった。


 ……もっとも問答無用だったのは香恋だけではなく、私と円香も同じなわけなんだけど。


 私と円香もまた香恋同様に燕尾服が用意されていたクチだ。


 エレーンさん曰く、「背の高いおふたりであれば、メイド服よりも女性執事という方が似合っていますので」ということだった。


 おかげで私も円香も髪をシニヨンにした女性執事となっている。


 シニヨンヘアーの執事ってなんだよと言いたくなるけれど、まぁ、それはそれで一部の女性客からはわりと人気があるみたいで、いまもなにやらキラキラとした熱い視線が注がれている。


 それは香恋もまた同じで、淡々と会計を行う姿がクール系の執事という風に映るみたいで、一部の女性客が熱い視線を投げ掛けているね。


 とはいえ、基本はメイド喫茶であるこの店の大部分は男性客だ。


 女性客からの人気という想定外の相乗効果はあるものの、基本は男性客に媚びを売るのが業務となる。


 そこに女性執事が三人もいるのはどうかと思ったんだけど、意外とウケは悪くないみたい。


「女性執事もアリだな」


「メイドさんだけではなく、女性執事もいるとか、やはりこの店は最高だ」


 というのが昨日の客の声だったらしい。


 メイドさんだけではなく、女性執事も問題ないとか、この店の客層はわりと狂っているなとしか思えなかった。


 が、その狂っているお客さんでも、今日の店の雰囲気はなかなかに堪えるものがあるようだった。


 というのも、この店の一番の売りであるメイドさんに大問題が生じているんだよね。


 特に、昨日鮮烈にデビューした一番人気であるメイドさんがね。


「……お待たせいたしました。オムライスです」


「あと、コーヒーのせっとなの」


「あ、ありがとう。それで、あの」


「ごめんなさい、今日は喉の調子が悪いので。ベティ、お願いできる?」


「はーいなの。えっと、もえもえもえ~?」


「あ、うん。ありがとう。とっても嬉しい。というか、十分です」


「そうなの?」


「うん、そうだよ」


「そうなんだなぁ。わかったの」


 にぱぁとまるで向日葵が咲いたような、輝かんばかりの笑顔を浮かべるベティちゃん。その笑顔にオムライスのセットを頼んでいた男性客は胸を押さえてしまう。


 が、その男性客にアンジュさんがまるでブリザードを想わせるような冷たい視線を向けてしまう。


 その視線に男性客は瞬時に固まり、恐る恐るとアンジュさんを見上げた。


 アンジュさんは冷たい視線を投げ掛けながら「なにか?」と首を傾げた。


 男性客は「ナンデモナイデス」と答えるので精一杯になっていた。


「それではまた御用向きがありましたお呼びくださいませ」


「くださいませ~」


 アンジュさんとベティちゃんはカーテンシーを行ってから男性客から離れていく。


 氷のようなアンジュさんと太陽のようなベティちゃんという、昨日とはひと味どころではない違いを見せる一番人気コンビ。


 大半の男性客はいったい何事かと最初呆然としていた


 そう、呆然としていたのだけど──。


「アンジュ様の圧、いいなぁ」


 ──いまや、まずい扉を開けてしまっていた。


 言うなれば開けるべきではない扉を、彼らは次々に開けてしまっているんだよね。


 実際、いまの男性客もアンジュさんたちが立ち去ってから惚けたような顔をして、「あの圧、素晴らしい」と顔をぽっと染めているし。


 ……おかしいなぁ。


 私の認識だとメイド喫茶に通う人たちは、あくまでも普通のメイドさんが好きな人たちってだけで、変態さんではないはずなんだけど。


「……ここの客層は狂っていますね」


 ぼそりと円香が溜め息交じりに呟いた。


 うん、その気持ちはすごくわかる。


 めちゃくちゃにわかる。


 昨日は騒然としていた店内も、いまやアンジュさんが放つ圧で沈静化している。


 沈静化しているけれど、実態はより悪化しているんだよね。


 どうしてこうなったと思うよ。


 まぁ、理由は明らかなわけですが。


 視線をずらし、今日はキッチンに入っているエレーンを見やる。


 エレーンさんは今日はいくらかメイド服の胸元を緩ませていた。


 緩ませたせいで、首筋が露わになっているんだ。


 そう、昨日まではなかったであろうはずの虫刺されのような痕が刻みつけられた首筋が露わになってしまっているんだ。


 そしてこれはアンジュさんではなく、ベティちゃんが言っていたことだったんだけど、どうやら昨日の夜、香恋はアンジュさんとベティちゃんの部屋に戻らなかったみたい。


 一晩どこにいたのかは香恋は言わなかった。


 が、その代わりに、エレーンさんとの距離はやけに近くなっていた。


 その時点で、ベティちゃん以外の全員が昨夜香恋がどこにいたのかを察した。


 アンジュさんは少しだけ目を見開いていたけれど、その時点ではそこまでだった。


 だけど、エレーンさんが不意に胸元を緩め、件の虫刺されが露わになった瞬間、アンジュさんは明らかに顔を顰めたんだ。


 そこからアンジュさんから笑顔が消えた。

 

 そうして現在の物静かな店内へとなってしまったわけ。


 アンジュさんがふたりに対してどう想っているのかはわからない。


 当の香恋とエレーンさんもなにを考えているのかもわからない。


 わかるとすれば、現在の店内が修羅場と化していることくらいかな。


 その修羅場に対して、私たちはただ手を拱いて見ていることしかできないでいる。


「……どうしたもんかな」


 普通に考えれば、香恋が浮気をしたってことになるんだけど、実際は香恋こそが浮気相手であり、アンジュさんとエレーンさんが浮気をしたってことになる。


 実に。


 そう、実にややこしい関係だった。


「本当にどうしたもんかなぁ」


 あまりのややこしさに、もはや匙を投げたい気分だよ。


 だけど、状況的に私が間を取り持つしかないんだろうなぁ。


「参ったもんだ」


 想像に容易い将来に、私はひとり深い溜め息を吐いた。


 溜め息を吐きながら、ややこしい三角関係を織りなす三人に視線を向けたんだ。

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