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1988/2045

Sal2-14 開かないドア

 時計がゆっくりと時を刻んでいる。


 時を刻むたびに、針は静かな音を立てていて、その音が刻まれる中で私はベティと一緒に過ごしていた。


「──こうしてお姫様の冒険は終わりました。冒険から帰ったお姫様は、旅の間に得られたお宝や経験を元に、王国をよりよく導いていったのでした。めでたし、めでたし」


「おひめさま、すごかったの」


「そうだね。凄く頑張っていたもんね」


「うん!」


 ベティは目をきらきらと輝かせながら、私の隣にちょこんと腰掛けていた。


 その目がいままで向いていたのは、私が持っていた絵本。アリシア陛下からベティ向けにと用意して貰っていた絵本のうちの一冊で、ベティが一番好きな絵本だね。


 一番好きだからかな? ベティは自分でも読むことはあるけれど、私に読み聞かせをねだることもそれなりにある。


 自分でも読めるけれど、私に読み聞かせをしてほしいみたいで、定期的に私に絵本を渡してくれる。


 この絵本を読むのはいったい何度目になるかな、とは思うけれど、読み聞かせをするたびに、ベティは目をきらきらと輝かせてくれる。


 初めて聞いたときとなんら変わらない反応を、いつも見せてくれる。


 実にベティらしい反応だと思う。


 ベティらしい反応を見るのは私も好きだから、この絵本を読むことはそこまで苦ではない。……定期的に読み聞かせをするから、私としては読み飽きてはいるけれど、ベティの反応を見るのが好きだからあまり気にはしていない。


 加えて、ベティの感想が毎回異なるのも、この絵本を読み聞かせるのが苦にならない理由と言えば理由だった。


 ……まぁ、感想というには、「すごかったの」としか言っていないんだけど、この子。


 だけど、その「すごかったの」は毎回別の意味だった。


 今回の「すごかったの」は、私が言った通り、作中のお姫様が波乱すぎる展開の中でも、必死に頑張り続けた姿を「すごかったの」と称したんだよね。


 以前であれば、たしか「諦めることなく、前に進み続けた姿勢に対して」だったかな?


 そんな感じでいままでの「すごかったの」という感想は、毎回異なっているんだよね。


 もっとも、「すごかったの」だけでそこまで把握できる私も私なんだろうけれど。


 何度かルクレの前で読み聞かせたしたことがあったんだけど、そのときもベティの「すごかったの」の一言でその理由を私が把握していたのを見て、ルクレはあ然としていたもの。


「……なんで一言だけでそこまでわかるの?」


 目をぱちくりと何度も瞬かせて、ルクレは理解できないと顔に書いていた。


 が、ベティは「ばぅ?」と不思議そうに首を傾げるだけだったね。


 うん、ルクレの言いたいこともわからなくもない。


 普通、「すごかったの」の一言だけで、ベティの言いたい意味を把握するなんてできないもんね。


 少なくとも、以前の私であればできなかっただろうね。


 でも、いまの私ならできるんだよね。ベティの言いたい意味を察することができるの。


 推理力とか、理解力とかではなく、単純な力業だけども。


 ……はい、素直に言います。


 私がベティの一言に込められた意味がわかるのは、単純にベティの心を読んでいるからです。


 あ、でも、いつも読んでいるわけじゃないよ?

 

 あくまでも絵本を読み聞かせるときだけだよ?


 それ以外のときは、心を読むことはしませんし、読まないからとベティにも言ってあるもの。


 そう、私がベティの心を読んでいることに関しては、ベティには伝えてある。


 最初は心の中を読まれるのは、ベティでも嫌がるかなと思ったのだけど、当のベティはあまり気にしていないようだった。


 むしろ、「ままにいろいろとしってもらえたら、ベティはうれしいの」と笑っていたね。


 ベティの言う「いろいろ」がどんなものなのかは、すぐにわかったよ。


 ベティがいままで抱いてきた想いや、楽しかった思い出、そして忘れられない辛い過去、そのすべてを私は絵本を読み聞かせしながら、共有してきたんだ。


 この子のすべてを知らないと気がすまないとは思わない。


 だけど、ベティのいままでがどんなものなのかを知り、私はそれまで以上にこの子を愛おしく感じられた。


 そして、ベティがこの絵本を好きな理由も、なんとなくわかった。


 ベティは、絵本の主人公であるお姫様に感情移入していたんだよ。


 ベティとお姫様の境遇はわりと近しい。


 ベティもお姫様も、故郷を失っていた。大切な家族を喪っていた。


 それでもなお、ふたりは前に進み続けようとする。


 辛い現実を前に、決して俯くことなく前に進み続けるふたり。


 物語では、お姫様は最後の最後に失った故郷を取りもどすことができるし、たぶん幸せになれたのだと思う。


 感情移入、いや、自身を投影していたお姫様が最後に報われるのであれば、自分もきっと報われるとベティは心の中で思っている。


 だからこそ、ベティはこの絵本が好きなんだ。


 いつかきっと報われる日が来ることを待ち続けているんだ。


 ……そんな日なんて来るかどうかもわからないというのにね。


 お姫様が報われるのは、あくまでも物語という前提あってこそ。


 現実で報われることなんて、そうそうあるわけがないのだから。


 それは私が神様になってより痛感したこと。


 神様と一言に言えども、それぞれに司る権能ってものがある。


 その権能内で叶えられるものであれば、いくらでも叶えることはできる。


 だけど、その願いが権能を超えたり、そもそも権能から遠く離れたものであれば、神様と言えど願いを叶えることはできない。


 願いを叶える側である神様でさえ、自分の力が及ぶ範囲内でしか願いを叶えることはできない。


 物語のお姫様の願いを叶えることは一柱の神様だけでは無理だった。


 それこそ何柱もの神様が、それこそ力を持つ神様が何柱もいてようやく叶えられるくらい。


 都合のいい物語でさえそうなのだから、現実で考えれば、そう簡単に報われることなどありえない。


 ベティ自身が報われることは、そうそう起こりえるわけがない。


 たとえ、私がどれほどベティを愛していても、どれほどまでにベティの将来が輝かしくあってほしいと願っても、ベティが願う通りにはいかない。それが現実というものだから。


「ねぇ、まま?」


「……なぁに、ベティ?」


 ベティがいつか直面するであろう現実という壁。そのことに心苦しく感じていると、ベティが私をじっと見上げていた。


 絵本を読んであげたときは、寝る直前まで目をきらきらとさせているのに、今日に限ってはもう目はきらきらとしていない。


 ただ、まっすぐに私を射貫くように見つめていた。


 珍しいなぁと思いながら、「どうしたの?」と再度尋ねると、ベティは私を見つめながら言ったんだ。


「ままは、おねえさまうえをどうおもっているの?」


「……え?」


 ベティが口にしたのは、思わぬ一言だった。


 まさか、ベティが口にするとは思っていなかったもの。


 いきなりすぎる一言に私は、「急にどうしたの?」とまた尋ねていた。


「おひめさまは、おうじさまとであえたの。きっとずっとなかよしさんでいるとおもうの」


「……うん、そうだね」


 たしかに物語の途中でお姫様は隣国の王子様と出会い、交友を持てていた。


 ラストには王子様とどうなったのかまでは書かれていなかった。


 だけど、普通に考えれば、あのまま仲を深めていったんだろう。


 そのまま結婚したかどうかはわからないけれど、順調にいけば結婚したとは思うけどね。


「ままにとっての、おうじさまはおとーさん、だよね?」


「……そう、だね。うん。間違っていないよ」


 こてんと首を傾げながらベティは言う。その言葉に間違いはない。私にとっての「王子様」がいるとすれば、あの人以外にはいない。


 だけど、なんで香恋さんがそこに関係があるのかがよくわからなかった。


「……ベティ? どうして香恋さんのことを?」


「おひめさまには、おうじさまだけじゃないの。きしさんもいたの」


「……騎士さん、か」


「うん。おとーさんがままのおうじさまなら、おねえさまうえは、ままにとってのきしさんだとベティはおもうの」


「それは」


 否定できないと思った。


 たしかに、お姫様にはずっと付き添ってくれた騎士がいた。


 最初から最後までずっとそばにいてくれた騎士がいた。


 だけど、お話の中で、お姫様は王子様に惹かれているような描写があった。


 ラストには書かれていなかったけれど、お姫様と王子様が順調にいけば結ばれたことは間違いない。


 ずっとそばにいた騎士ではなく、王子様がお姫様の意中の人となった。


 作中の騎士と香恋さんとでは関わりが違う。


 そもそも、作中の騎士のように香恋さんは、ずっと私に寄り添ってくれていたわけじゃない。


 だけど、王子様であるあの人がいなくなってからは、香恋さんは私と一緒にいてくれている。


 まるでずっと寄り添い続けてくれた騎士のようにだ。


 その有り様はたしかにベティの言う通り、作中の騎士のようだと思う。


「……ベティはね。おうじさまときしさんなら、きしさんにしあわせになってほしいの。おひめさまとおうじさまがおにあいなのはしっているよ。だけど、おうじさまとおひめさまだけがしあわせだと、きしさんがかわいそうだとおもうの」


「……かわいそう、か」


「うん。おねえさまうえが、ままにとってのきしさんかどうかはわからないの。だけど、ままがおひめさまで、おねえさまうえがきしさんなら、きしさんをしあわせにできるのは、おひめさまだけなの」


 ベティの言葉に私はなにも返事ができなかった。


 私と香恋さんの関係がどういうものなのかを、この子は完全に理解してはいない。


 だけど、いまのままでは香恋さんが幸せになることはない。


 そのことをこの子は哀れんでいる。


 香恋さんが知れば怒りはしないだろうけれど、きっと複雑そうな顔をするだろうね。


 その香恋さんはいない。


 エレーンちゃんに話があると言われて、会議室に残ってから、まだ私たちの部屋に戻ってきてはいなかった。


 私たちが部屋に戻ってから二時間近くは経っているのに、部屋のドアが開く気配はいまのところなかった。


 それだけ長い話なのか、それともなにかしらの事情でもあるのか、私にはわからなかった。


「……ばぅ、ごめんね、まま」


「え? なんで謝るの?」


「……まま、すごくかなしそうなかおしているもん」


「悲しそうな顔? 私が?」


「うん。いまにもないちゃいそうなの」


 肩を落としてしょんぼりとするベティ。その仕草はかわいらしいのだけど、言われている意味がいまいちわからなかった。


 私がいまにも泣いてしまいそうなんて言われても、私は泣きたくなるほどに悲しくなんかない。

 

 だけど、ベティから見たいまの私はそういう風に見えてしまうのだろう。


「ベティはね。むずかしいことはわかんないの。だけど、いまのままだとままもおねえさまうえもないちゃいそうになることはわかるの」


「……そんなことは」


「あるもん。だって、ベティはままもおねえさまうえもだいすきだから。だからわかるの。ふたりとも、ずっとむりをしているってわかるの」


「……無理なんて」


「していない、っていえる?」


 純粋な目が私を見つめた。その目に私は口を閉ざすことしかできなかった・


「あのね、まま」


「……うん」


「おねえさまうえともっとおはなししてあげてほしいの。さっきもいったけれど、おねえさまうえをしあわせにできるのは、きっとままだけなの」


「……そう、だね。帰ってきたらお話するよ」


「ばぅん。じゃあ、ベティはもうおねんねするの! ままとおねえさまうえのじゃまはしないの!」


 むふぅと鼻息を荒くしてベティは腰掛けていたベッドに横たわった。


 そこまで気にしなくてもいいのになと思うけれど、その気遣いはありがたかった。


「……うん、わかった。ありがとうね、ベティ」


「ばぅ、きにしなくていいの。じゃあ、おやすみなさい、まま」


「うん。おやすみ、ベティ」


 横になったベティにシーツを掛けてあげると、ベティはまぶたを閉じた。そっとベティの髪を撫でつけると、ベティはすぐに寝息を立て始める。


 いつも寝付きはいい方だけど、今日はより一層寝付きがいい。


 初めてのお仕事で疲れてしまっていたのかもしれない。


 そのうえで、私と香恋さんの関係について言うべきことを言ってくれた。


 本当にベティには頭が上がらないね。


「……ありがとう、ベティ」


 お礼を口にしつつ、私はベティの頬にキスをした。


 おやすみの前にキスはいつもおでこにしてあげているのだけど、今日は頬。いつもとは違う場所だけど、ベティはむにゃむにゃと口元を動かしつつも、どこか幸せそうに笑っていた。


 その笑顔に胸の中が温かくなるのを感じながら、私は改めて部屋のドアを見やる。


 いまのところドアが開く様子はない。


「いつ帰ってくるかな?」


 帰ってきて話をする。


 そう決めてはいるけれど、実際にどんな話をするべきなのかはわからない。


「まぁ、最初から核心を突くこともないか」


 時間ならあるのだから、最初から核心を突く必要はない。


 少しずつ。


 少しずつ話をしていけばいい。


 そう思いながら、私は部屋のドアが開くのを待ち続けた。


 だけど、結局その日の晩、ドアが開くことは一度もなく、香恋さんが戻ってくることはなかったんだ。

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