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Act1-104 三つめの名

 イロコィが血を吐いていた。


 体を覆っていた鱗は完全に砕け散っている。その内側は言わずもがなだ。


 たぶん、もう助からない。もともとそのつもりで技を放った。


 ベルセリオスさんからの課題である「天属性での連撃」が、いま俺が使った技「天空撃」だった。


 本当は脚だけの連撃にするつもりだったけれど、今回は手も使ったし、最後は体当たりになったので「天空撃」だ。


 多少は加減したけれど、イロコィの強さが少し手に余るレベルになってしまったので、殺さない程度の加減まではできなかった。


 ギリギリ死なないかもしれないというところまでしか落とすことができなかった。


 イロコィは死の縁に立っている。


 それもほとんど死に脚を踏み入れてしまっている。


 もう助けることはできない。


 エリキサはいま手元にはない。作り出すことは難しくないけれど、少しばかり時間がかかるんだ。


 その時間、イロコィが生きているとは思えない。


 こんなことであれば、昨日試しに作ったエリキサを使わずにとっておけばよかった。


 イロコィはあまり好きじゃない。だからと言って死んでいいとは思っていない。


 だが、イロコィの奥の手が思った以上に戦闘力を上げてしまっていて、殺さずに制圧することはできなかった。


 これも俺の弱さが招いたことだ。


 どうして俺はこうも弱いのかな。


 もう少し、せめて目の前に映るすべてを守ってあげられるくらいに強ければよかったのだけど。


「イロコィ殿。まだ意識がありますか?」


 声を掛ける。だがイロコィはなにも言わない。時折血を吐くだけで、それ以上はなにもできなくなっているようだ。


「エリキサでも無理かな」


 部位の欠損をも治すエリキサでも、ほとんど死体になってしまっている者を助けることはできない。


 エリキサっていうのは極端な話、治癒力を極限まで上げて傷を癒すんだ。


 だが失った生命力まで取り戻すことはできない。


 エリキサを使って作る特別な薬とかがあれば、それもできるかもしれないが、俺にはその作り方はわからない。


「イロコィ殿。聞こえていますか?」


 下手に身体を揺さぶると、かえってまずいかもしれない。


 俺にできるのは呼びかけるだけだ。


 半端な強さなんて無意味だ。それは俺にもイロコィにも言える。


 俺がもっと強ければ、エリキサで治せる程度の怪我を負わす程度で済んだ。


 イロコィだってもっと弱ければ、ここまで怪我を負うこともなかった。


 お互いに強さが半端すぎたんだ。その結果がこれだ。


「俺はやっぱり弱いんだな」


 じじいにはぼろ負けして、イロコィは救えない。絶対に助けたい相手というわけじゃないけれど、死んでもいいと思っている相手でもなかった。


 だけど結果はどうだ。俺はイロコィを手に掛けた。


 そんなつもりはなかったって言い訳はしない。こうなることはわかっていた。それでもやるしかなかった。


 下手に長引けば、窮地に陥ったイロコィが、なにをするかわかったものじゃない。


 もし俺の部屋で眠っているアルトリアとシリウスに目を付けられてしまえば、俺は後悔する。


 もう後悔はしたくない。モーレを喪ったときのような後悔はもうごめんだ。


 だからこそ、やるしかなかった。イロコィとは意思の疎通もできなかった。


 話し合いはできないし、戦いを長引かせたくもない。止めるには、殺すしかなかった。


 殺したくはなかった。


 動けなくなる程度まで加減したかったのだけど、竜になったイロコィの体は、思ったよりも頑丈で行動不能にさせるためには、本気の数歩手前まで力を出さざるをえなかったんだ。


「苦しいですか?」


 もう一度だけ声をかける。イロコィが静かに頷いた。


 あたり前だ。硬い鱗が砕け散るほどの威力だった。


 それほどの攻撃を食らい続けて、まだ生きていることが奇跡のようなものだ。


 そろそろ声をかけても意味はないかもしれない。


 ジョンじいさんかデイビットさんが来てくれることを期待していたけれど、ダメだろうな。


 俺はアイテムボックスから魔鋼のナイフを取り出した。魔鋼のナイフに魔力を通す。天属性の力を込めると刀身が黄金に輝いていく。


「介錯ではわかりませんね。せめてもの手向けです。一瞬で楽にしてあげます。よろしいか?」


 イロコィを見やる。イロコィは目を向けてくれる。その目は澱んだものではなく、澄み切っていた。


「……お願いできますか?」


 イロコィが声を出す。声を出せたのか。いや力を振り絞って喋ったのか。


 どちらかはわからないが、イロコィの要望がわかった。


 ならば俺からはもうなにも言わない。いやひとつだけ聞いておくことがあるか。


「お父上とお兄さまに対して、なにか言い残されることは?」


「……なにも」


「ないのですか?」


「ええ。こうしてようやくわかりました。父や兄が言っていた意味を。たしかにあなたは、少女の皮を被った怪物でした。だが心優しき怪物なのでしょうね。ただの怪物であれば、とっくに私の身など食らっているでしょう。でもあなたはそうしない。それどころか、父や兄に最期を伝えようとしてくれている。ああ、愚かだった。こんな少女を、私などが相手できるわけがなかったのだ」


 怪物怪物とあまり言ってほしくはない。


 だがこれから鬼籍に入るイロコィに対して、無駄な言葉を言わせたくない。


 あまり好きではない奴だけど、その死までを無碍にする気はない。


 命の終わりを尊重したい。命を奪った俺が言うことではないのだろうけれど。


「私は優しくありませんよ。私は外道ですからね」


「ふふふ、あなたのような外道がいるのであれば、この世に住む者はみなが外道ですよ。私などその最たる者でしょうなぁ」


 イロコィが笑っていた。その笑顔はいつものイロコィのそれとは違っている。


 死ぬ間際だからこそ浮かべられるものなのだろう。おばあちゃんもこういう笑顔を浮かべていた。


「その外道たる私から言えることがひとつだけ」


「なんです?」


「あの少女には気をつけなさい」


 イロコィが俺の腕を掴む。その目もその表情も真剣そのものだった。


 彼が誰のことを言っているのかは、すでにわかっている。


 イロコィの言動がおかしくなったのを見て、重なってしまったんだ。あのときの冒険者の姿と。そしてわかった。「アリア」が誰のことなのかも。


「あれは魔性の女だ。いまはあなたのことを大切にしているかもしれないが、いつ本性を現すかもわからない」


「……そうでしょうね」


 アルトリアはきっとそういう子だ。あの子がなにを考えているのかは、俺にはわからない。だけどそれでも俺は──。


「でも無理なんですよ」


「なぜ?」


「……私、いや、俺は魅了の魔眼であの子に好意を抱かせられていた。だけどエリキサでその効力は失いました。だけどダメですね。好きだったと思っていた頃の記憶が足かせになってしまっている」


 エリキサは魅了の魔眼の効力を消してくれた。


 だが、それでも俺の中には、消えたはずだったアルトリアへの想いが残っていた。


 その想いは一度失った想いよりも大きく成長しようとうごめいている。


 想いという名の縄。その縄に俺はがんじがらめになろうとしている。防ぐ手立てはなにもない。


「……愚かな方ですね、あなたは」


「ええ、まったくです」


「だが、そういう少女に負けたというのは、こうしてみるとなかなかに悪くないな。それもすべてはあなたの魅力なのでしょうかね?」


「どうでしょうかね?」


「……ひとつだけアドバイスです。百年ほどしか生きてはいませんが、それでもあなたよりも生きた時間は長い。だからこそのアドバイスです」


 イロコィは震える手で人差し指を立てた。身体が徐々に震えていく。死がもう間際まで迫っている。


「ありがたく頂戴します」


「惚れさせなさい」


「は?」


「あの女があなたの心を奪ったと言うのであれば、今度はあなたがそれをすればいい。困難でしょうが、あなたならできると思いますよ。なにせ私も見惚れてしまいましたからね」


 言われた言葉にちょっと躊躇った。いきなりなにを言い出すんだろう。特に最後の言葉はちょっと引く。


「引かれてしまったかな。まぁ、無理もないか。ただ事実ですよ」


「そう言われましても」


「ふふふ、なにもあなたを女性として好きになったわけじゃない。あなたのどこまでもまっすぐな瞳が、その瞳に籠った強い決意が私を魅了したのです。あの瞳はとても美しかった。その瞳で彼女を見つめ続けなさい。なにがあっても。なにが起きても。彼女だけを見つめ続ければいい。敵をも魅了させたその瞳で、彼女を魅了できるかどうか。そういう勝負をすればいい。少なくともなにもしないいまよりかは、まだ建設的でしょう?」


 たしかにその通りではある。


 いまのままでは、利用されるだけだ。ならそうならないようにするためには、排除するか取り込むしかなかった。


 俺にはアルトリアを排除することはできない。


 なら残る手は取り込むことだけだった。アルトリアが俺を利用しようとしているのかは、まだわからない。


 ただアルトリアが俺に魅了の魔眼をかけていただろうことは、まず間違いない。


 そしてそれが俺だけではなく、イロコィやあの冒険者にも及んでいたこともまた。


「そうですね。そういう勝負も悪くはないか」


「あなたがその気になってくれれば、私も多少は溜飲が下がるなぁ。ふふふ、「アイリス」があなたに惚れるのが早いか、あなたが彼女に陥落されるのが早いか、見物ですなぁ」


「アイリス?」


 誰のことを言っているのだろうか。それとも「アリア」に続く、また別の偽名なのだろうか。


「誰と言われても。あなたの秘書はアイリスでしょう?」


「俺の秘書はアルトリアですよ」


「そうなのですか? 私に近づいてきたときは、アイリスと名乗っていました。まぁ、髪を切っていましたから、すぐには同じ人物とは思えませんでしたが」


「え?」


 髪を切っていた。なにを言っているんだろうか。アルトリアの髪は長い。腰くらいまである。その髪はいまも同じだ。なのにイロコィはなにを言っているんだろうか。


「アルトリアの髪は」


 長いままだ。


 そう言おうとしたが、それよりも早くイロコィが再び血を吐いた。


 それは黒々としたもので、イロコィの命が、残っていた命の結晶のように見えた。


「とにかく気を付けて。あのサキュバスに気を付けなさい」


 イロコィが体を震わせていく。


 今度はサキュバスだと。どうなっているんだ。


 アルトリアは吸血鬼との人魔族であって、サキュバスじゃない。


 理解が追い付かない。いったいなにがどうなっているのか。俺が混乱していると、遠くから声が聞こえてくる。


「イロコィ!」


 ジョンじいさんとデイビットさんが、駆け寄ってくる。


 汗だくになって駆け寄ってくるふたりに場所を空ける。


 ふたりは俺が空けた場所に駆け込み、すでに死に体となっているイロコィを抱きかかえた。


「やっと来てくれましたね、父上、兄さん」


 その言葉でイロコィがいままでふたりを待っていたということがわかった。


 どうりで遺言はいらないと言うはずだよ。直接言おうとしていたのだから、俺に言うわけがない。


 恨み言でも言われそうだな。まぁ、無理もないか。


「カレン殿を恨まないでください」


 言われた言葉をすぐに理解することはできなかった。イロコィを見ると笑っていた。その笑顔はいままで見てきたイロコィの笑顔とはまるで違っている。


「私はどうやら操られていたようです。普段の私ではこんな大それたマネはできない。それをするように促された。操られていたからです。相手の名はアイリス。「サキュバスのアイリス」です。恨むのであれば、アイリスを恨んでください。カレン殿はこうして私を正気にさせてくれた恩人です。だから」


「わかった。だからもうなにも言うでない!」


 ジョン爺さんが泣いている。デイビットさんはイロコィの手を包み込みながら、声もなく涙を流している。イロコィは笑っている。満足そうに笑っていた。


「もうひとつお願いがあるのです」


「なんだ? 言ってみよ」


「……ドルーサ商会の力を、カレン殿のために使ってくださいませんか? 彼女は父上が話してくれた「英雄」のようだ。その在りようと彼女の在りようはよく似ている。だから手助けをしてあげてください。彼女が「英雄」になってくれれば、それが私の生きた証になる」


「わかった。全力を尽くす。だから、もう」


「ああ、よかった」


 イロコィがまぶたを閉じた。デイビットさんが包み込んでいたイロコィの手から力が抜けていく。


 俺がまぶたを閉じるのとデイビットさんが叫ぶのは同時になった。


 その日をもって、ドルーサ商会の会長の息子はひとりだけになったんだ。

次回で第一章ラストです。

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