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Sal1-40 土轟王の決断

 書類に囲まれた部屋だった。


 大きな執務机の上には、山のように書類が積まれていた。


 書類の山は左右に別れていて、右は処理済み、左が未処理のものになっているようで、部屋の主は左から右へと書類を次から次へと置いていた。


 その手元に湯気のない紅茶を置きながら、インクを滲ませたペンを操り、次から次へと未処理の書類を決済されていた。


「我が君」


「ん? ……あぁ。ごめんよ」


「いえ。お気になさらずに」


 部屋の主こと土轟王様は、ヨルムさんに声を掛けられたことで、紅茶が冷めていることに気付いたようだった。


 土轟王様は申し訳なさそうに謝っておられたけれど、ヨルムさんは気にされていないようで、冷めた紅茶の代わりに、別のカップで淹れた紅茶を置かれた。


 新しい紅茶を土轟王様は受けとると、「すまないね」と謝りながら、ゆっくりと啜られていた。


 手にしていたペンを置き、「ふぅ」と溜め息を吐きながらヨルムさんの紅茶に舌鼓を打たれていた。


「……うん。すまないね。すっかりと遅くなってしまったが、事情を説明して貰える?」


 ソーサーとカップの両方を持ちながら、土轟王様はようやく私たちにと視線を向けられた。


 まだ書類仕事は終わられていないようだけれど、書類仕事よりも優先した方がいいと考えられたようね。


「いえ、お気になさらずに。むしろ、謝るのであれば、こちらですよ。お忙しい中、時間を用意していただいたのですから」


「香恋さんの言うとおりです。お仕事中にお邪魔したことをお詫びします」


 私とアンジュは揃って頭を下げていた。


 頭を下げているのは私たちだけではなく、執務室の応接用のテーブルで左右に別れて、私たちの反対側に座っているタマモとマドカちゃんも同じだった。


 ちなみに、ルクレティアは今回ベティとフブキちゃんの面倒を見て貰っているので欠席しているわ。


 加えて、あまり大人数で土轟王様のところに押しかけるのも失礼だし、人数を絞った結果でもあるのだけども。


 本来なら私とアンジュも必要ではない。もっと言えば、タマモとマドカちゃんのふたりだけで十分と言えば十分だけど、今後のことを考えると、私とアンジュも向かうべきだと思ったのよ。


 結果、四人という少人数と言えば少人数かなぁと思う人数での訪問になってしまったうえに、先に夕飯を終えていたことで、少し遅めの時間帯になってしまったのだけど。


 でも、土轟王様はまるで気にされていないように振る舞ってくださったわ。


 ヨルムさんも「よくお越しくださいました」と笑っておられたし。


 ……その理由は、まぁ、その、うん。お察しと言うべきかしらね。


 はっきりと言えば、うん。


 執務室の脇には土轟王様用であろう、仮眠用のベッドが置かれているんだけど、そのベッドの上には氷結王様と聖風王様が顔を真っ赤にして眠っているのよね。


 よく見れば、執務室の中にはいくつもの酒壺が転がっているし、おふたりもそれぞれに酒瓶を手にして眠っているわ。


 実際、執務室に入ったときは、お酒臭かった。


 土轟王様も少し、いや、だいぶお疲れのようで、大きく溜め息を吐かれていたし。


 曰く、「……やっと寝てくれた」と漏らされていたのが、なんとも哀愁を感じさせてくれたわ。


 土轟王様もぶっ飛んでいるところはあるけれど、やはり「四竜王」陛下方の中で、もっともお若いからなのか、意外と苦労人気質なのよね。


 その土轟王様とは対照的に、「四竜王」陛下方の中で年長である氷結王様と聖風王様はというと、まぁ、現状を見ればお察しというところかしらね?


 タマモも執務室に入るときは、緊張していたのだけど、惨状を見るやいなや、頭を痛そうに抑えていたのがとても印象的だったわね。


「……おじいさま」とよろけながら、深い溜め息を吐くタマモからも、哀愁を感じたほどよ。


 そんなタマモにマドカちゃんは「……姉様」とお労しそうに見ていたのもまた印象的だったわね。


 それから少し経っていま。


 部屋の中を漂っていた酒気はすっかりと抜けていた。


 いまはヨルムさんの淹れてくれている紅茶の芳しい香りと、土轟王様のペンのインクの匂いが執務室の中で漂っている。


 その芳しい香りとともに、ティーカップに注がれていた紅茶を土轟王様はゆっくりと、でも美味しそうに啜られていく。


「──ふぅん? それで僕のところにいま来たんだ」


 ふぅと息を吐きながら、土轟王様はソーサーの上にカップを置くと、いま執務室に来た理由についてを納得してくださった。


「マドレーヌくん、いや、マドカくんがいるわけがよくわかったよ」


「やれやれ」と肩を竦められながら、土轟王様は、「仕方がないなぁ」と言わんばかりの態度を取られていた。


 まぁ、土轟王様にとっては、そうとしか言いようがないことよね。


 うちの母さんのやらかしによって、土轟王様にも負担が掛かっているのだから当然よねぇ。


 マドカちゃんも「あ、あははは」と笑っているし。


「でも、まぁ、僕としては戦力が増えることはありがたいと思っているよ。……ただ、まさか、そういう戦力とは思っていなかったんだが」


 小さく土轟王様が漏らされた言葉は、私たちにははっきりと聞こえていた。


 当の本人であるマドカちゃんも、はっきりと聞こえたのか、若干慌てているようで、ちらちらと私とアンジュを見ている。


「マドカちゃんが神だからですか?」


「……へ?」


「そういえば、マドカちゃんもタマモさんと同じで、獣神なの?」


「え? えっと、たしか、剣の獣神だったかな、と」


「剣の獣神ね。うん、マドカちゃんにはぴったりだね」


「たしかにね。……でも、剣の獣神かぁ。うちの母さんが考えそうな肩書きだわ」


「あ、あははは。でも、お義母さんらしいんじゃない?」


「……まぁ、そう言われればそうなのよねぇ」


 ふぅと今度は私が大きな溜め息を吐いてしまったわ。


 獣神はまだわかるのよね。


 でも、剣の獣神ってなによ?


 なんで獣の神が剣を使うのよと言いたいわ、マジで。


 ……どうせ、うちの母さんのことだから、適当にそれっぽい名前を付けたたけなんでしょうけどね。


 とはいえ、「ならなんて付ければいいのよ」と問われたら、返事のしようがないわけですけど。


「……あ、あの? 香恋様も、アンジュ様も、いつから」


「ん? 着替えてからだよ?」


「私もね。正確に言えば、アンジュの反応を見て気付いたってところかしら?」


 マドカちゃんは私たちの話を聞いて、最初呆然としていた。いや、そのまま呆然としながらも、マドカちゃんは「いつから」と言ったの。


 どうにも気付かれていないと思っていたみたいね。


 さすがに私とアンジュを舐めすぎではあるけれど、成ったばかりの神様であるマドカちゃんでは、仕方がないのかもしれないわね。


「それだけ、で」


「うん、それだけで」


「そうね。それで気付いたわ」


「あ、あははは」


 マドカちゃんは先ほどとは違う意味で笑っていたわ。


「どうぞ、マドカ殿」


「は、はい。ありがとうございます、ヨルムさん」


 そんなマドカちゃんの元にヨルムさんが紅茶を置きながら──。


「ちなみに、私も一目で気付きましたぞ?」


 ──と仰られたわね。いきなりのヨルムさんの言葉にマドカちゃんは大いに慌てたの。


「よ、ヨルムさんもですか?」


「ええ。というか、その様に神気をだだ漏れにさせておいでですと、一定以上の実力を持っていればすぐに」


「……」


 開いた口が塞がらないという言葉があるけれど、いまのマドカちゃんほど、その言葉が似合う状況というのもないでしょうねと思ったわ。


 具体的にはあえて言いません。年頃の乙女としてははしたないし、それにかわいそうだし。


 武士の情けというところよ。


「まぁ、とにかく。これでこっちの陣営に神が三柱も付いたということだね。まぁ、ご息女とは違い、ほぼほぼ知られていない神だから、恩恵は薄いだろうけれど、それでも神の数で勝っていることには変わらない」


 武士の情けを発動していると、土轟王様が手を組みながら、冷静にこちらの陣営についての所見を口にされていく。


 所見を私たちは頷きながら、静かに聞いていた。


「……そろそろ動くべきかな。トワくんとカナタくん! いるかい!?」


「「ここに」」


 土轟王様が声を上げられると、ドアが開き、廊下の向こう側からトワさんとカナタが執務室にと入ってきたの。


「左将軍カナタ」


「右将軍トワ」


「「お呼びとあり参上しました」」


 相変わらずの揃いの軍服を身につけられて、トワさんとカナタは声を揃えて土轟王様へと跪いていた。


「ご苦労様。さて、呼んだのはそろそろ動こうと思ったからだ。明日の早朝、全軍を招集してほしい」


「……ついにですわね」


「あぁ。ついに時が来た」


「うん。ようやくその時が来たよ。全軍にそのままのことを伝えてくれるかい?」


「「承知しました」」


 ふたりは揃って頷かれると、部屋をそのままでようとされたのだけど──。


「では、マドレーヌ様、また後ほどですわね」


「あちらでは、妹が世話になったようだね。今後ともよろしく頼むよ」


「へ? あ、は、はい?」


 ──マドカちゃんに挨拶をしてふたりは廊下へと出て行ったの。


 当のマドカちゃんはあ然としていたのだけど、タマモが耳打ちをしてふたりの正体を教え、マドカちゃんは「え、ええぇぇ!?」と驚いたの。


 無理もないわよねぇと思いながら、私たちはマドカちゃんの驚く様子を眺めていったの。

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