Act1-103 澄んだ空
PV51000突破しました。
いつもありがとうございます。
どうしてこうなった。
イロコィには現状を理解することができなかった。連れてきていたのは、ドルーサ商会の裏事を専門とする兵たちだった。いわば裏の力である。その実力はCランク冒険者にも匹敵する。
そう、その連れてきていた、荒事専門の連中、全員が気絶している。
自分ほどではないが、Cランクの魔物であれば、狩れる連中のはずなのに。
その連中は誰ひとりみずからの脚で大地に立てていない。
すべて地に顔を伏せていた。血まみれではあるが、誰も死んではいない。百人はいたであろう連中すべてが気絶していた。
目の前の女が瞬く間に、百人すべての意識を刈り取ったのだ。
全員の急所に一撃ずつ当て、意識を奪った。
ドルーサ商会の裏の力である荒事を専門とする者たちが、全員気絶させられてしまった。
自分には及ばなくても、Cランク冒険者ほどの実力はあるであろう連中が、一撃で倒されてしまった。
ありえない。まるで悪夢だ。
そしてそのありえないことをしたカレンは、あくびを掻いていた。
まるでいま起きたかのように。いままでは眠っていただけと言っているかのように。たやすく自分が連れていた戦力のほとんどを潰してくれた。
この女はいったいなんなんだろうか。連れてきた戦力を奪われて、呆然としながら、そう思った。
「裸の王さまだな。さて、どうすんの、イロコィ殿?」
カレンはじっと自分を見つめていた。
どうすると言われても、こうなった以上はやるしかない。
たとえカレンの言う通り、裸の王さまと化したところで、尻尾を巻いて逃げだすわけにはいかなかった。それでは、なんのためにここまで来たのかもわからない。
そう言えば、自分はなにをしにここに来たのだろうか。たしかなにかしらの用事があって──。
「ったく、朝っぱらから、人の秘書を人質として奪いに来るとか、冗談でも笑えねえってのに」
やれやれとカレンが肩を竦めていた。
秘書。そうだ。この女の秘書を人質にするために、自分は来た。
まだ年若いというのに、ずいぶんとそそる体をした女だった。
父との約束で、この女が今日までにエリキサを採取できていなければ、人質として奪うという約束をしている。
ああ、そうだ。自分はあの人魔族の女を奪いに来たのだ。
制服から覗く、白く美しい肌が朱に染まる様を見ていたい。どんな風に喘ぐのか、どんな風に自分を満足させてくれるのか、非情に楽しみだ。
だから来た。父が来る前に、自分の手で奪い、そして誰も知らぬ場所に閉じ込める。
そうすれば、あの女は自分のものになる。
そうだ。そのためにここに来た。
人魔族の女は、この女にとってずいぶんと大切な存在のようだが、その大切な女を壊してやろう。
壊れるまで犯してやる。ああ、楽しみだ。楽しみだ。
「女をよこせ」
「は?」
「人魔族の女を、おまえの女をよこせぇ!」
叫ぶ。自然とよだれを垂れさせながら、目の前の女に掴みかかる。不思議と恐怖はなかった。目の前にいるのは、圧倒的な強者。父をも超えるほどの強者だろう。
父であっても百人もの兵を、それぞれを一撃で昏倒させ、息ひとつ乱さずに平然としているなんてことはできない。あの父であってもそんなことはできない。それをこの女をたやすく行った。
その時点で父をも超える強者であることは窺い知れた。
だが、それがどうした。この女を殺しさえすれば、あの人魔族の女は自分のものだ。
そうだ。自分のものであれば、どんなことをしてもいいはずだ。
人が賑わうギルドのロビーで犯してもいいだろう。
この女の死骸の隣で犯されたら、あの人魔族の女はどんな顔をするだろうか。
見たい。いますぐに見たい。そのためには、この女は生きていてはいけない。殺さなければならない。
「死ね。死ねぇ、カレン!」
右手の爪を伸ばし、女に向かって斬りかかる。
だが、手首ごと掴まれてしまう。ならば左手を。そう思ったときには、やはり左手を掴まれた。振り払おうにも、女の手はびくともしなかった。
「……悪いな。あの子は奪わせない」
カレンがまっすぐに自分を見つめる。その目は悲壮な決意を感じさせられるものだった。だが、それがなんだ。自分はこの女を殺して──。
「イロコィ殿。あんたも被害者なのかな?」
カレンがなにかを呟いた。なにをと思ったときには、カレンが一歩踏み込み、膝蹴りを放ってきた。放たれた膝蹴りが腹部に突き刺さる。
胃の中のものが逆流する。
とっさに堪えたが、そのときにはカレンの右手が、右の掌が顎を打ち上げていた。血と吐瀉物が宙を舞った。
その宙にカレンがいた。鋭い瞳が自分を射抜いている。
小さな悲鳴が漏れた。同時にカレンの右の踵が頭に打ちおろされ、地面が目の前に迫った。
とっさに手を出すこともできず、そのまま倒れ伏す。口の中に残っていた血と吐瀉物に顔が塗れていく。
屈辱。その単語だけが脳裏をよぎっている。
父の息子である自分が、兄を蹴落とし、ドルーサ商会の会長になるべき自分が、こんな屈辱に遭わされている。
連れてきた連中は役に立つこともなく、無様を晒している。その仲間入りを自分もしていた。
こんなことがあっていいのだろうか。自分はドルーサ商会の次期会長になるのだ。
そうだ。自分は会長になれる。「彼女」が言ったのだ。
だからこそ、あの人魔族の女を手に入れる。
カレンを、竜王に気に入られているカレンを殺し、その女を奪うことで、自分が本当の強者であることを知らしめるために。
能力では兄に負けてはいない。むしろ兄に勝ってさえいるはずだ。
なによりも自分は兄よりも冷酷になれる。
兄は優しすぎる。だからこそ組織の長には向かない。
組織の長に向くのは、自分のような冷酷になれる者だけだ。
父がそうであるように、自分も冷酷になれる。
だからこそ、ドルーサ商会の会長には自分こそが相応しい。そう「彼女」が言ってくれた。
だからこんなところで、次期会長たる自分が無様を晒すわけにはいかない!
「私は、おまえを殺す!」
叫びながら、竜の血を解き放つ。竜人のみがもつ特殊な力。「竜体化」と呼ばれる能力。その名の通り、体を竜に変える力。少なくとも戦闘能力は十倍以上になる。
竜人のときであれば、敵わなかった。だが、竜と化せば、この女などに恐れることは──。
「俺はこんなところで死ぬわけにはいかないんだよ、悪いな」
カレンが姿を消した。目の前にいたはずだったのに、カレンはどこにもいない。
どこに隠れた。そう思ったときには、腹部に衝撃が走った。身体がふわりと浮く。
「とっておきだ。手向けにやるよ」
カレンの声。なにをと思ったときには、カレンの両手両脚が金色の光に覆われていた。
そうして始まったのは、無数の連撃だった。拳と蹴りの両方を使った連撃により、体が徐々に宙へと浮いていく。そのたびにカレンもまた宙へと浮いていく。
一撃ごとに体が壊れていく。竜と化したこの体が、一撃ごとに壊されていく。
ありえないことだ。そのありないことが現実に起きていた。そのうえ、これでも手加減されているであろうことが理解できていた。
空を駆け上がるようにして、カレンが自分を宙に舞わせていく。
その動きは自分ではなにひとつ見えなかった。
攻撃を受けているということくらいはわかる。
だが、わかるのはそれだけ。カレンが放つ攻撃に纏う光の正体も、その細く、小さな体で竜と化した自分の体を砕ける理由もわからない。
そもそもなぜ竜人でも、有翼族でもなければ、ただの人族でしかないはずの少女が空にいるのだろうか。空を駆け上がって行けるのだろうか。
それは有翼族や竜人である自分たちだけが、人という種族の中でも翼を持つものだけが得られる特権のはず。その特権をどうして目の前の少女は、翼もなく得られているのだろうか。
理解できない。なにもかもが理解できない。理解できないまま、カレンが再び姿を消した。
「空に散れ」
頭上から声が聞こえた。顔を上げると、金色の光を全身に纏ったカレンが突っ込んできていた。
抗うこともできず、まともに食らい、地面にと叩き落とされた。力はもう入らない。目に映るのは、澄んだ青空だけだった。
敵)これぞ、俺様の真の力よ! この状態になった俺さまの戦闘力は十倍以上に跳ね上がる!
とかいう敵はたいてい瞬殺されるお約束←しみじみ




