Sal1-32 久しぶりと初めまして
空から誰かが落ちてくる。
はじめはベティの言葉を信じられなかった。なにを言っているのだろうと思った。
でも、全員が試しにと空を見上げると、そこには豆粒くらいの大きさのなにかがいた。
その豆粒くらいのなにかは、言葉を発していた。
その言葉はあいにく小さすぎて聞こえなかった。
だけど、状況的に踏まえると、悲鳴であったことは間違いなくて、その時点で「誰かが落ちてくる」というベティの言葉が事実であったことがわかった。
私もアンジュも揃って救助のために飛び立とうとしていたが、それよりも速くタマモが動いていた。
階段を駆け上がるようにして、上空へと駆け上っていくタマモ。
普段のタマモらしからぬ姿だった。
私の知っているタマモであれば、こういうとき静観しているはずだった。
相手が誰なのかもわからない現状で、真っ先に救助に向かうなんてことは、私の知る普段の彼女であれば行うことはない。
むしろ、とっさに救助に向かった私たちを、救助するはずだった対象から守るために手を打っておこうとするのがタマモのはずだった。
でも、今回のタマモはその普段のタマモらしからぬ姿だった。
なによりもその表情が、違和感をより加速させていた。
タマモは笑っていた。
嬉しそうに笑っていたの。
でも、笑いながらも、申し訳なさそうでもあった。
笑っていたのはタマモだけではなく、その腕の中で泣きじゃくっていたはずのフブキちゃんもだ。
それまではルクレティアのヤンデ、もとい、態度の変化に恐怖していたフブキちゃん。
けれど、タマモとともに空に上がる際にちらりと見えた彼女の横顔はとても嬉しそうなものだったの。
どうしてそんな顔をしているのだろうと思いながら、天へと駆け上がる彼女たちの姿を眺めていると、ベティが「ばぅ?」と首を傾げたの。
「きつねさんなの」
「へ?」
「狐さん?」
「ばぅ。きつねさんのにおいがするの」
「それはタマモ様の匂いでは?」
「んーん。ちがうの。べつのきつねさんのにおいなの。フブキおねーちゃんともちがうの」
ベティは首を振りながら空を見上げた。
まん丸な瞳はまっすぐにタマモたちと、その先にいる要救助者へと向けられていた。
私たちのいるところからは、相変わらず姿は豆粒のようなものだったけれど、徐々に輪郭のようなものは見えていた。
「ん~? なんだか、タマモさんや香恋さんと似たような服を着ているね」
私たちの中で、一番身体能力に優れているアンジュが、目を凝らしながら要救助者の服装を口にする。
その頃には私もうっすらと救助者の服装が見えたの。
たしかに、私やタマモが着ている和服っぽい服装を救助者は身につけていた。
全体的に青をモチーフにした着物と丈がやや短い袴に、手には青い波動のようなものを纏った剣を持っているようだった。
そしてベティの言うように、救助者の耳には、タマモやフブキちゃんと同じ種類の耳が、狐の耳があった。
「……もしかして」
そこまで確認ができたことで、私もようやく空から落ちてきているのが誰なのかを理解できた。
理解できると、タマモの行動にも納得がいった。
というか、タマモの立場から考えれば当然かもしれないわね。
それはタマモの腕の中のフブキちゃんも同じ。
フブキちゃんがタマモの従者となった頃から、あの子とフブキちゃんは姉妹のように仲が良かったし。
その影響なのか、あの子とタマモも疑似の姉妹関係となった。
姉妹関係を結んでからというもの、あの子はそれまでのギャル的な口調を改めるようになった。
姉であるタマモに迷惑が及ばないようにするため、それまでの言動を省みて、以降の言動を改めたの。
その変化には誰もが驚いたけれど、当のタマモはあまり驚いていなかった。
むしろ、「姉様」と呼び慕うあの子をやけにかわいがるようになった。
その姿に希望も少しジェラシーというか、羨ましそうにしていたわね。
たぶん、当時の希望は、あの子がタマモを「姉様」と呼び慕う姿を見て、自分と重ねてしまっていたんだと思う。
「憧れの姉様」と触れ合えないことに、寂しさと羨望を同時に抱いていたみたい。それらが合わさって嫉妬をあの子にしていた。
そのまんまのことを、当時カレンは希望から言われていたし、希望は「タマちゃんは姉様じゃないってわかっているのに、どうにもやきもきするんだ」と落ち込んでいたわね。
……まぁ、実際のところはタマモこそが希望の憧れた姉様だったわけだから、嫉妬してしまうのも当然だったわけなんだけど。
希望から嫉妬を買いながらも、あの子は「ヴェルド」時代において「タマモの妹分」という立場を築いていった。
同時に、あの子が所属していた「一滴」も、私たち「フィオーレ」の妹分として正式に認知された。
まぁ、運営からは公式扱いされていたし、私たちも妹分という扱いだったけれど、タマモと姉妹関係になったことで、クラン間でも姉妹関係となったの。
その立役者こそが彼女──マドレーヌちゃんだった。
マドレーヌちゃんは、自由落下していたけれど、そこにフブキちゃんを連れたタマモが駆けつけて、無理矢理キャッチした。
フブキちゃんを片腕で抱き直し、もう片方の腕でマドレーヌちゃんを抱き留める。
本当に無茶をするものだと思うけれど、タマモは気にすることなく、マドレーヌちゃんを抱き留めていた。
その際、なにやら会話をしていたけれど、地上からは距離がありすぎていたから、なにを言っているのかは聞こえなかった。
でも、「頑張りますよー!」という彼女の元気な声は聞こえてきたけれど。
その声を聞いて、やっぱり空から落ちてきたのは、いや、転移してきたのはマドレーヌちゃんだったことを確信したわ。
「なんだか、元気な子みたいだね?」
聞こえてきた声に、アンジュが笑っていた。
ルクレティアはルクレティアで、「ん~。なにやらライバルが増えたような気がしますね」とやけに眉間に皺を寄せていた。
「ねぇねぇ、おねえさまうえ。あのひとはどんなひとなの?」
ゆっくりと降りてくる三人を眺めていると、いつのまにか私の隣にいたベティがくいくいと袖を引っ張っていた。
当然、るーちゃんに乗ったままでね。
そのるーちゃんも、ベティの話を聞くようにと言わんばかりに、頭でつんつんと私の腕を突っついてくるし。
そこまでしなくてもちゃんと話は聞くからとるーちゃんを宥めつつ、ベティの質問に答えてあげた。
「そうね。とてもいい子で、そしてとても強い子
で、タマモの妹分にあたる子なの」
「そーなの?」
「そうよ。きっとベティにもよくしてくれると思うわ」
「そーなんだぁ」
ベティは目をきらきらと輝かせていた。
尻尾もふりふりと左右に振られていて、マドレーヌちゃんと会うことを楽しみにしているみたい。
そうしてベティがマドレーヌちゃんとの出会いを心待ちにしていると、件の三人はほどなくして着地した。
「よっと。お待たせ」
軽やかに着地をしたタマモは腕の中にいたふたりをそれぞれに下ろしていく。
「ありがとうございます、姉様」
「当然なことをしたまでだから」
「はい、そうですね」
くすくすと笑いながら、タマモの隣に立つマドレーヌちゃん。
フブキちゃんはタマモの腕の中にいながら、マドレーヌちゃんをじっと見つめながら、嬉しそうに笑っている。
「なぁに? フブキちゃん」
「見てるだけどす」
「そっか。うん、存分に円香姉さんを見ていなさい」
「はい」
マドレーヌちゃんとフブキちゃんは、なんとも穏やかなやり取りを交わしていた。
ベティと接するときは、お姉さんらしく振る舞っていたフブキちゃんだけど、マドレーヌちゃんの前では妹としての顔を覗かせてくれている。
そんなフブキちゃんを相手に、マドレーヌちゃんは自身の胸を叩きながら自信満々に宣言する。
タマモは「調子に乗りすぎだよ、円香」と呆れていたけれど、フブキちゃんは「マドカ様らしいどす」と笑っていた。
ふたりに挟まれてマドレーヌちゃんは楽しそうに笑っていた。
私が知っている頃よりもマドレーヌちゃんは成長していた。
見目は十四、五歳くらいで、タマモほどではないけれど、身長は高く、アンジュくらいはあるわね。
年齢を考えると発育がいいみたいだわ。実に羨ましいものね。
そして発育の代表格的なものも、うん。この場ではタマモに続けるくらいはあるわね。着物の上衣をこれでもかと押し上げているもの。
アンジュはこれと言って気にしている様子はないけれど、ルクレティアは自身のそれに触れては、マドレーヌちゃんのそれと見比べてジェラシーを燃やしている。……若干怖いデス。
「ばぅ、おねえさまうえ、おねえさまうえ!」
ベティが再び袖をくいくいと引っ張ってくれる。るーちゃんもまた若干強めに頭で突っついてくれた。
ベティはともかく、るーちゃんのは痛かったが、どうにか笑顔を作りながら、こほんと私は咳払いをした。
その咳払いでマドレーヌちゃんは私を見やると、佇まいを直したの。
「……お久しぶり、と言うべきでしょうか? それとも初めましての方が正しいでしょうか?」
「そうね。私としては久しぶりだけど、あなたにとっては初めましてね。この世界にようこそ、マドレーヌちゃん」
「はい、レン様のお姉様。マドレーヌ改め、伊藤円香と申します」
「そう、円香ちゃんね。よろしくお願いするわ」
「はい。今後ともよろしくお願い致します」
そう言ってマドレーヌちゃん、こと円香ちゃんはきれいなお辞儀をしてくれた。
その際、なんとも言えない顔を、いまにも泣きそうな顔をしていた。
その表情の意味を考えながら、私と円香ちゃんは握手を交わしたの。




