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Sai1-24 そのまなざしは

「ばぅばぅばぅばぅ~」


 ふりふりと灰色の尻尾が左右に揺れていた。


 毛並みのいい尻尾が、アンジュのお腹の辺りで緩やかに揺れていた。


 アンジュは穏やかに笑いつつ、尻尾の持ち主であるベティの頭を撫でていた。


 ベティは上機嫌になって、用意されたスイーツという名のご飯を食べている。


 今回のベティのご飯は、クリーム白玉あんみつ。


 色取り取りのフルーツとまん丸な白玉にきめ細やかなあんこと真っ白なアイスクリーム、そして香り高い黒蜜をかけられた一品。


 その一品を食べているのはベティだけではなく、ハーンさんたち調理班を除く全員が食べていた。


 ちなみに、あんみつを用意したのは、女将さんね。


 女将さんが現れたのも、ちょうどハーンさんたちがまかないを作り終えてからだったの。


 でも、そのまかないには、残念ながらベティが食べられるものがなかったのよね。


 もっとも、それだけであればよかったのよ。


 なにせ、そのときにはベティはすっかりとおねむだったわけだし。


 眠っている間に、遅めの昼食を食べたところで、ベティは気にしないし。


 でも、そのときには前提は覆ってしまっていたのよね。

 

 いつまでも続くかと思われていた祝福の拍手と歓声。


 板長と女将さんを中心にして行われていた祝福。


 その祝福はささやかとは言えなかった。


 となれば、当然おねむだったベティも起きてしまうわけで、起きてしまえば、ベティの分のご飯はないとなると、ベティがいじけてしまうわけよ。


 とはいえ、ハーンさんたちにしてみれば、タマモと板長からの無茶振りをどうにか応えることに精一杯だったわけで、そうなれば食後のスイーツなんて用意できるわけがない。


 が、ハーンさんたちの事情は、ベティにとっては関係はない。ベティにとっては、「ベティの分のご飯がない」という状況であることには変わらなかった。


 ある意味、ベティのわがままではあるのだけど、ベティの反応も当然と言えば当然ではあるのよね。


 そんなわけで、すっかりといじけてしまったベティは、アンジュに抱きついて、「むぅ~」と唸っていたのよね。


 加えて、スイーツに使える食材がほとんどなくて、せいぜいがフルーツとアイスクリームの素材くらい。


 そのアイスにしてもすぐに作れるものじゃない。せいぜい夕飯までにはどうにかってところかしら。


 ハーンさんたちは、どうしたものかと困っていたし、どうにかベティに機嫌を直してもらおうとしていたのだけれど、ベティは涙目になって、「ふんだ」と顔を背けてしまって、取り付く島もなかったのよね。


 アンジュもルクレティアもベティに言い聞かせていたのだけど、「ベティのごはんがないもん」と言って、さしものふたりでもダメだったのよね。


 全員がどうしたものかと困っていたときに、女将さんが「じゃあ、私がひとつ頑張りますかね」とたすき掛けをされたのよ。


 それからほんの十分ほどで、女将さんはクリーム白玉あんみつを作り上げられたのよ。


 白玉はまだしも、素材しかなかったはずのアイスクリームをどうやって用意したのか。


 誰もが愕然とする中、女将さんはすっかりとへそを曲げてしまったベティへとあんみつを出してくれたのよね。


「さぁ、おあがりなさい」


 むくれたベティの頭を撫でながら、優しく微笑えむ女将さん。その笑みを見つめながら、ベティは女将さんが手渡してくれたスプーンを取ると、初めて見たであろうクリームあんみつを食べたの。


「ばぅ!」


 あんみつを口にすると、ベティの目は一気に輝いたの。


 それからはあっという間にベティはスプーンを運んであんみつを完食したの。完食したものの、その顔は物足りないとはっきりと書かれていて、女将さんは食欲旺盛なベティを見て、口元に手を当てて笑うと──。


「──もう一杯いかがかしら?」


「ばぅ! おかわりなの」


「はいはい。ちょっと待っていてね」


 女将さんは再び厨房へと向かったの。やはり十分ほどでして、女将さんは数杯のあんみつをトレイに乗せて戻ってこられたのよね。


「まだまだあるから、たくさん食べてちょうだい」


「はーいなの!」


 ベティの前にあんみつを置かれる女将さんと、女将さんお手製のあんみつを前に目を輝かせるベティ。


 そんなふたりのやり取りを見ていたハーンさんたちが、恐る恐ると女将さんに「ど、どうやって用意されたので?」と尋ねたのよね。


 そしてそれがハーンさんたちの地獄が再び始まる切っ掛けだったのよね。


「知りたいのであれば、着いてきなさい。ただし、覚悟がある子だけ、ね?」


 ベティへと向ける笑顔とは別種の笑顔を浮かべながら、はっきりと宣言された女将さん。


 その笑顔にハーンさんたちの悲鳴がこだましたのは言うまでもないわ。


 その後、ハーンさんたちを連れて厨房へと戻られた女将さんは、一通りの指導を終えて、トレーカートを押しながら戻ってこられたの。


 その間、厨房からは板長の怒号とは違う、静かだけど、鋭い叱責の声がやむことはなかったけれど。


 その声にハーンさんたちの悲鳴がやむことはなかったわね。


 女将さんが押していたカートには全員分のクリームあんみつが乗っていたの。


「ベティちゃん以外は、ひとりひとつでお願いね」


 クリームあんみつを配膳する女将さんは、ベティ以外はひとりひとつと言っていたわ。


 その言葉の通り、ベティの分は複数杯用意されていたわね。それもいまは最後のひとつとなっているけどね。


 途中までは夢中で食べていたベティだったけれど、最後の一杯は味わうようにゆっくりと食べていた。


 ゆっくりと食べているからか、アイスクリームが溶け出しているのだけど、溶け出したアイスクリームがあんみつと絡めさせるのも、クリーム白玉あんみつのひとつの楽しみ方でもある。


 その楽しみをベティは見出していて、なおさらゆっくりと味わっているわね。


「ベティ、美味しい?」


 自身の膝の上にいるベティにアンジュが尋ねると、ベティは「ばぅん!」と元気よく頷いたわ。


 口元はいままで食べたあんみつの食べかすやらクリームの残りやらでべったりとなっているけれど、ベティはまるで気に留めていないわね。


 アンジュはおかしそうに笑いながら、ハンカチでベティの口元を優しく拭い、ベティはされるがままになっている。


 されるがままになっているけれど、その尻尾はそれまで以上に大きく振っているので、ベティもああしてアンジュにお世話されるのが嬉しいみたい。


「あらあら、親子みたいですね」


 仲睦まじいふたりを見て、女将さんが微笑ましそうに笑われた。


 ふたりの見目も相まってか、女将さんには本当にふたりが実の親子のように見えるのかもしれないわね。


 まぁ、血の繋がった実の親子ではないけれど、アンジュとベティが親子であることは事実で、「実は」と女将さんに説明しようとしたんだけど、それよりもアンジュが行動に出るのが速かった。


 アンジュは女将さんの言葉に「ええ」と頷くと──。


「自慢の、かわいい愛娘ですから」


 ──はっきりとベティを自慢の愛娘だと言い切ったのよね。


 女将さんはアンジュの一言に「あらあら」と頬杖を突くと──。


「大切になさってくださいね。子は宝物ですから。ね? あなた?」


 ──隣に鎮座する板長をちらりと見やったのよ。


 板長はいきなり話を振られて、少し慌てられたものの、「そうだな」と短く頷かれた。


「子宝と言うのも納得するほどに、子供ってのは大切な存在だよ。躾け以外では決して泣かせちゃいけないぜ?」


 板長はまるで慚愧するように俯いていたけれど、すぐに顔をあげて、まっすぐにアンジュを見つめていた。


 板長のまなざしと言葉に、アンジュは真剣な評定を浮かべると、「もちろんです」と力強く頷いたの。


「この子は私が全身全霊を以て──」


「アンジュ? 「ベティちゃんのまま」はたしかにアンジュですけど、「ベティちゃんのおかーさん」たる私がいることを忘れていませんか?」


「──忘れて、いないよ?」


「なら、なんで顔を逸らすんですか!? あなた、絶対私のことを忘れていたでしょう!?」


 板長と女将さんにとアンジュは宣誓するように宣言をしようとしていたのだけど、すかさずルクレティアがアンジュの肩をがしりと掴んだのよ。


 アンジュは「え?」と首を傾げたけれど、手の持ち主を見て、小さく「あ」と呟いたの。


 その手の持ち主はアンジュの隣で座っていたルクレティアだった。


 ルクレティアはにこにこと笑いながら、自身を指差したの。


 ルクレティアに言われて、アンジュはそっと顔を背けたのだけど、ルクレティアは逃がさないとばかりにアンジュの両肩を掴んで、アンジュの体をこれでもかと揺さぶっていたわね。


 アンジュは体を揺さぶられてもベティにまでは被害が及ばないようにしているのか、もしくはルクレティアがそういう風にアンジュを揺さぶっているのかは定かではないけれど、ベティは我関せずとばかりに最後の一杯であるあんみつを名残惜しそうに食べていた。


「賑やかなものですね、あなた」


「そうだな。とても温かい光景だ」


「ええ」


 しみじみと頷きながら、板長も女将さんもアンジュとルクレティアのやり取りと、美味しそうにあんみつを食べるベティを見守っていた。


 その様子はまるで遊びに来た孫たちを見守る祖父母のように、とても優しげで、そしてとても穏やかなものだったわ。

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