Sai1-22 願い事
ミニマムデフォルメな白シャチのるーちゃんが食堂の空中をぷかぷかと浮かんでいた。
少し前まではそれなりの速さで泳いでいたのだけど、いまは浮かんでいるだけで動こうとはしていない。
動こうとはしていないけれど、まるで周囲を睥睨するように、るーちゃんは吊り上がった目で安全確保をしてくれている。
その理由はるーちゃんの背中にいるふたりにある。
るーちゃんの背中にはベティとフブキちゃんがふたりして乗っていた。
ベティはるーちゃんの背びれを掴みながら、るーちゃんの背中に跨がり、フブキちゃんはベティを後ろから包み込むようにして、やはりるーちゃんの背中を跨いでいた。
フブキちゃんとしては跨ぐではなく、横座りをしたいところなのでしょうけど、ベティが落ちないようにするためには、どうしても跨ぐしかなかったみたい。
るーちゃんに跨いだ際、フブキちゃんはどこか恥ずかしそうにしていたのを見る限り、内心では跨ぎたくはなかったんでしょうね。
そんなフブキちゃんだけど、いまはベティともどもるーちゃんの背中の上で静かになっている。
ほんの少し前までは、ふたりではしゃいでいたのだけど、いまはすっかりと静かになってしまっているわ。
というか、ふたりして眠っているわね。
ガリオンさんとは異なる形で、浮遊するというのはフブキちゃんからしても初めてで、その初めての体験にフブキちゃんはテンションをあげすぎちゃったんでしょうね。
ベティはテンションをあげすぎると、ああしていつも寝落ちしてしまうから、いつも通りではあるけれど、フブキちゃんがああして寝落ちするのは珍しい。
特に、プロキオンが去ってからは、ああして無邪気な姿を見せてくれることはあまりなかったからね。
フブキちゃんが無邪気にはしゃぐ様を見て、タマモが微笑みながら見守っていたほどだったもの。
フブキちゃんを見守るタマモは、まるで歳の離れた姉か母親のようだったわ。
実際は、タマモよりもフブキちゃんの方が年上で、関係も姉妹や母娘ではなく、主従関係だ。
そう、主従関係なのだけど、タマモがフブキちゃんをどういう風に見ているのかは、フブキちゃんを見守る姿を見ていればわかるというものよ。
まぁ、私のご友人様は、あまり素直じゃないというか、フブキちゃんに対して後ろめたさがあるからなのか、なかなか素直に気持ちを伝えていないみたいだけどね。
……その後ろめたさだって、タマモが悪いわけじゃないというのにね。
タマモ自身、あれはタマモが悪かったわけではないことはわかっている。
それでも。
それでも、自分を責めずにはいられないんでしょうね。
いまの私やかつてのカレンが自分自身を責めているように、タマモもいまだにあのときのことを責め続けている。
守れなかったことを、いまだに責め続けているのよね。
そのことに関して、私からなにか言うことはない。
というか、なにを言えばいいのかもわからない。
タマモが笑顔の下で、どれだけ自分自身を責め続けているのか。私には想像しかできない。
それでも、いまのタマモが、はしゃぎ疲れて眠ってしまっているフブキちゃんを見守るタマモが、とても穏やかであることはわかっている。
なにせ、私も同じだし。
私の場合は、フブキちゃんというよりかは、ベティに対してなのだけどね。
今朝の会議で泣き出してしまってからというものの、いままでベティとは接することはなかったのだけど、あのはしゃぎっぷりを見る限りは、立ち直ってくれたみたい。
かわいい姪に無理をさせてしまったことに忸怩たる想いはある。
でも、ああして心の底から楽しそうにしてくれていたのは、伯母、いや、お姉様上としてはとても嬉しいことだわ。
「……香恋さ、そろそろ「お姉様上」という呼び名はやめない?」
不意に、タマモが呆れたような顔をしてくれた。いや、「ような」ではなく、完全に呆れているわね、このご友人様は。
だけど、その問い掛けに対して、私からの答えはひとつだけだよ!
「絶対にノー! よ!」
「……いや、いいじゃん。伯母上で」
「嫌よ! 今年でようやく十七歳よ、私は!? その十七歳で「伯母上」なんて嫌に決まっているでしょう!?」
「いや、「おばさん」じゃなく、「伯母上」なんだから、別にいいんじゃないかなぁ?」
「あんたには私の気持ちがわからないから、そんなことが言えんのよ!」
くわっと目を見開きながら叫ぶ私。そんな私にタマモは「面倒くせえ」と言わんばかりの、若干引いたような顔を浮かべるタマモ。
「……まぁ、香恋さんに賛同するわけじゃないけれど、私もシリウスちゃんやカティちゃん以外のお姉ちゃんの娘さんから、「おばさん」と呼ばれるのは「ちょっと」とは思うかな?」
引き気味のタマモにと、アンジュが私への助け船とも言える一言を告げてくれた。
あぁ、まさに女神ね、アンジュは。もしかしたら、うちの母さんたち以上に徳の高い女神様なのかもしれないわね、アンジュは。
「……香恋、お願いだから、スカイスト様たちへの挑発じみたことを考えるのはやめて? それをされると私に負担が掛かるんだよ。具体的には、いまもスカイスト様が「義理の娘に負けるわけにはいかないわ!」と無駄に張り切られているから、るーちゃんに続いて変なことをされかねないから、本当にやめてね?」
「……それも、そうね」
ついついとテンションが上がりすぎてしまったわ。
考えてみれば、タマモの言う通り、下手なことを考えるとうちの母さんたちが、どんな暴走を始めるのかわかったものじゃない。
るーちゃんだけでも、十分暴走しているっていうのに、これ以上はさすがにねぇ。
るーちゃんの件だって、一見ベティのためのように見えるけれど、実際はベティの、孫娘のかわいい姿を見たいがためだから、要は自分たちのためなのよね、あの人たちは。
まぁ、完全に自分たちの欲望だけじゃなく、ベティ自身も望んでいることだから、責めるに責められないのよねぇ。
そのことを本人たちもわかっているからこそ、かえって性質が悪いのよねぇ。
性質が悪いとはいえ、悪い人たちじゃないのもまた困ったものよ。本当に困ったお母様たちだこと。
「……ふむ。香恋の姉さんたちの母親ってのは、件の女神様のことだよな?」
はぁとため息を吐いていると、板長が顎の下を擦りながら、いまさらなことを聞いてきたの。
「ええ、その件の女神様です」
「残念なことながら」と続けたいところだったけれど、口にするとたぶん面倒なことになるわよねぇ。あ、いや、口にしなくても面倒なことになったみたい。
タマモが頭を痛そうに押さえているところを見る限り、タマモを通じて私への抗議をしようとしているみたい。
タマモが「……香恋ぇ」と恨めしそうに私を睨んでいるから、間違いなさそうね。なんだか悪いことをしてしまったわ。
「狐ちゃんは、件の女神様と繋がっているんだな」
「……ええ。困ったことにですけどね」
「ふぅん? 俺は一度っきりしか会ってねえから、表面上しか知らんが、俺が会ったときは、いままで会ったこともないくらいに清楚で、とびっきりすげえ美人だったなぁとしか思わなかったなぁ。あとはスタイルがすごかったなぁ。あれで経産婦なんざ信じられんよ」
板長は備え付けのお茶を啜りながら、母さんのことをベタ褒めしてくれている。
あ、板長がベタ褒めしてくれたからかしら? タマモの様子が変わったわね。変わったはいいけれど、どこか困惑しているような顔をしているわね。
「あー、板長? 件の女神様から言伝が」
「ん? なんだい?」
「お礼を申し上げます。今後もうちの娘と仲良くしてくださると、とてもありたがく思います、ということと、なにかお望みがあるのであれば、ひとつだけ叶えることもできますので、いつでもどうぞ、ということです」
母さんからのなんとも現金な言伝に、私は呆れたわ。ベタ褒めされたからって、そこまでするの、とね。
でも、実に母さんらしいのよねぇ。
そんな現金な母さんの言葉に、板長は苦笑いしていた。
「なんの、なんの。こっちこそだ。一度死んだ俺をわざわざ転生してくれたんだ。ありがたく思うのは俺の方よ。……まぁ、贅沢を言わせて貰えるのであれば、そうさなぁ。もう一度だけでいいから、会いたい人はいるがね」
それくらいかな、と板長は笑っていた。とても寂しそうに笑っていたの。




