表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1937/2051

Sal1-17 かつての姿と重ねて

 涼しい風が吹いていた。


 対岸、いや、そのさらに先にある山の方から吹きすさんだ風が、湖を通って私たちの元へと訪れている。


 訪れた風は、優しく私たちの肌を撫でていく。


 高く昇った日の光で、若干汗ばんでいた体にとっては、その風はちょうどいい具合の清涼感を私たちに与えてくれた。


「気持ちいいね、ベティ」


「ばぅ」


 涼風を浴びながら、私とベティは湖畔に腰を下ろしていた。


 さすがに地面に直接座っているわけではなく、ベティは私の膝の上にちょこんと腰掛けて、手足を投げ出している。


 ベティは時折、両脚を交互にパタパタと揺らしながら、ご機嫌そうにしている。……ただし、ある一点は見ないようにしながらだけども。

 

 ある一点を見ないようにしているのは、ベティだけではなく私も同じ。


 ただ、見ないようにはしているのだけど、どうしても聞き取れてしまうものがあるわけで、その聞き取れるものに私もベティも若干げんなりとしている。


「あ、まま、みて。おさかなさんなの」


「本当だね。でも、こうも何度も見ていると、たしかに、美味しそうに見えてくる、かな?」


 くすっと笑いながら冗談混じりに言うと、膝の上のベティが「むぅ、ままもなの~?」と頬をぷっくりと膨らましてしまう。


「ごめんごめん、冗談だよ。きれいなお魚さんだったからね。ついつい」


「ついじゃないの、もう」


 少しむくれるベティだけど、触り心地のいい髪を撫でつけあげると、とたんに機嫌を取りもどしてくれる。


「……なでなでしてくれたから、ゆるしてあげるの」


「そっか。でも、なでなでしたら許してくれるのなら、ベティをなでなでするのは、許してほしいときだけになっちゃうなぁ?」


「そ、それはダメなの」


「どうして?」


「どうしてもなの」


「そっか。じゃあ、今後もなでなでしてあげないとね?」


「くるしゅーないなの」


「ふふふ、はいはい、私たちの愛娘様」


 笑いながらよりベティの頭を撫でてあげると、ベティの尻尾が緩やかに振られていく。


 ちょうどいい天気だから、ブラッシングでもしてあげたいところだけど、生憎とベティ用のブラシを持ってきていないので、ブラッシングはしてあげられなかった。


 というか、今日ベティ用のブラシを持っているのは私じゃない。


 もっと言うと、本当はこうしてベティを膝の上に座らせるのも、私ではなく、ブラシを持っている人のはずだったのだけど、諸事情で私が代わりに膝の上に座らせているんだよね。


 ……おかげで、ブラシを持っている人からの視線がとても痛い。


 だけど、それもすべてはブラシを持っている人の自業自得なわけで、私が悪いわけじゃないんだけどね。


 そう、私は悪くない。悪くないんだけど、その人はもう聞く耳持たずになっているから、どうにもならないんだよねぇ。


「ぶつぶつ」


「……あ、まま、またおさかさんなの」


「……そう、だね」


 少し前とほぼ同じやり取りだったのだけど、ベティの声は若干怯えていた。私も若干怖い。


 そんな私たちを再び涼風が包み込んでくれる。


 だけど、先ほどまでの清涼感はなく、身震いするような寒さを感じてしまった。 


 そこに再び湖から魚が飛び出した。


 湖から飛び跳ねる小さな音は、すこし前までなら涼風とともに清涼感をかもちだしてくれていた。


 でも、いまはその小さな音が清涼感ではなく、寒気を生じさせてくれるように感じられる。


 受け取り方が真逆になった要因こそが、ベティ用のブラシを持っている人にあるのだけど、その人はいま──。


「しょうもない。おかーさんは、しょうもない……ぶつぶつぶつぶつ」


 ──ぶっちゃけ闇堕ちしかけている。


 そう、ベティ用のブラシを持っているのはほかならぬルクレだった。


 ルクレは私とベティの隣で、光をなくした瞳を浮かべて、ぶつぶつと呟いていた。


 その声はこれでもかと怨嗟が詰め込まれているようで、ちょっと怖い。


 そんなルクレを、メアさんとティアリちゃんは必死に慰めてくれている。


「あ、あの、ルクレティア陛下。お気をたしかに。決してベティがそのようなことを申されるわけがありません」


「そうですよ、陛下。妹君、いえ、ベティ様がそのようなことを仰るわけがないではありませんか。陛下が聞き間違えられただけです」


「……いいえ、いいえ! 私はたしかに聞いたのです! おかーさんは、しょうもないと! ベティちゃんにそう言われたのですぅぅぅ!」


「……で、ですから、それは聞き間違いでありまして」


「……そ、そうですよ。ベティ様がそのようなひどいことを仰るはずがありません」


「あなたたちに、ベティちゃんのなにがわかるって言うんですかぁぁぁぁ!?」


「「……モンペですか」」


「モンペって言わないでくださいぃぃぃぃ!」


 ……慰めてくれてはいるのだけど、どうにも前途多難かな?


 なにせ、ルクレの様子についにはメアさんとティアリちゃんが口を揃えて「モンペ」と言っているし。


 ちなみに、「モンペ」こと「モンスターペアレンツ」という言葉はこの世界にもある。


 いつから一般的になったのかはわからないけれど、気付いたときには「モンペ」は広がっていたんだよね。


 大方、「旅人」さんあたりが広めてしまったのだろうけれど、いまのルクレはまさに「モンペ」って言葉がよく似合うね。


 まぁ、実際の「モンペ」ほどひどくはないけれど、メアさんとティアリちゃんに慰められているのに怒り出すというところは、「モンペっぽいなぁ」と私自身思ってしまったことだ。


 とはいえ、ルクレがそうなってしまったのも、すべてはベティを溺愛するからこそ。溺愛するベティから「しょうもない」と言われてしまったのだと勘違いしているからこそ。


 実際は「しょうがない」と言っていただけだったのに、ルクレは一文字聞き間違えてしまった結果、いまみたく大ダメージを負ってしまったんだよね。


 なお、そうして大ダメージを負ってから、かれこれ数十分が経過しています。


 それでもなお、ルクレが回復してくれないどころか、怨嗟の声が徐々に大きくなっているように思える。


「リヴァイアサンちゃん、どうにかならない?」


 あまりにもあんまりなルクレから、一目散に離脱したリヴァイアサンちゃんこと、「水神杖リヴァイ」に声を掛けると、リヴァイアサンちゃんは杖を左右に揺らして、いかにも「困ったなぁ」と言わんばかりの態度を示してくれた。


『えー、どうにかしてあげたいところなんですがね、ああなった主をどうにかするのはなかなか難しく大変でして』


「それをどうにかするのがあなたの役目じゃないの?」


『いや、それはさすがにご無体すぎますよ、アンジュ様』


「ご無体でもいいから、どうにかならない?」


『……参りましたねぇ』


 ちょっと無茶振りになってしまったのか、リヴァイアサンちゃんは杖であるのに、ため息を吐いてくれた。


 ……杖ってどうやってため息を吐くのかなと思うけれど、実際にため息を吐いたことはたしかなので、これ以上は気にしないでおこうかな?


「まま、どうするの?」


 膝の上に座っていたベティが、体を反らすようにして見上げながら、これからどうするのかと尋ねてくる。


 正直なことを言うと、私が一番それを言いたいところなんだけどね。


 ルクレの暴走をどう鎮めればいいのやら。


 思いつくことはなにもないけれど、放っておくのは、それはそれで寝覚めが悪すぎる。


「とりあえず、声を掛けようか、ベティ?」


「……ばぅ」


「そんな嫌そうにしないの」


「いやじゃないの。ただ」


「ただ?」


「……ちょっぴりめんどーくさいきがするの」


「……あぁ」


 ベティの言葉につい納得してしまった。でも、反射的に頷いてしまったことで、ルクレがより「面倒、くさい?」ととても傷付いた顔をしてしまった。


 ……これはやっちゃったなぁ。


 そう思ったときには、時すでに遅し。ルクレは泣き出してしまった。


「……やっぱり、めんどーくさいことになったの」


「そういうことを言っちゃダメだよ?」


「はーい、なの」


 ベティはため息交じりに頷いてくれた。


 その後、私たちはどうにかルクレを宥めることができた。できたのだけど──。


「あぁ、あぁ、あぁぁぁぁぁ! ベティちゃんが、ベティちゃんが戻ってきてくれましたぁぁぁぁぁぁ!」


「……」


 ──ベティを抱っこして感無量となったルクレが、テンションを上げすぎてしまっていた。そんなルクレにベティはまるでお人形のように表情をなくして抱っこされている。


 ……どうしてだろうね?


 いまのルクレと以前の私がやけに重なって見えてしまうのは?


「ねえ、リヴァイアサンちゃん」


『なんです?』


「前の私ってあんな感じだったよね?」


『……ノーコメントでお願いします』


「あ、うん。それだけで言いたいことがわかったよ」


 リヴァイアサンちゃんはノーコメントと言ってくれた。


 それだけで彼女が言いたいことはよぉくわかった。


「……前の私って、ああだったんだなぁ」


 知りたくなかったなぁと目を細めながら、私はベティを抱っこして感無量の涙を流すルクレと表情をなくしてされるがままになっているベティをなんとも言えない想いになりながら、しばらくの間見つめることになったんだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ