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Sai1-16 湖畔に響く声

 森の中を抜けると、美しい湖畔があった。


 ベティが「みずうみにいきたい」と言ったため、私とルクレはベティを連れて、湖へと来たんだけど──。


「見事な湖だねぇ」


「湖底まで見えそうなほどに透き通っていますね。ここまできれいな湖はそうそうあるものじゃないのに」


 ──私もルクレも湖の美しさに心を打たれてしまったんだ。


 当のベティは「やっぱりきれーなの」とご満悦だった。


 そうなるのもわかるほどに、私の前に広がる湖は美しく、そして広大だった。


 湖ひとつだけで、ここの軍の中央広場と同じくらいかな?


 そう、土轟王様の軍勢が、全軍収まったうえにまだ余裕がある、あの広大な広場と同じくらいに広大な湖だった。


 その湖を包むように広がる森もなかなかに広大だったし、森の中に棲息する動植物も多種多様だった。


 幸いなことに肉食系の動物がいなかったので、弱肉強食の光景を見ることはなかったし、襲われることもなく、私たちはのんびりと森林浴をして、この湖へと辿り着いたんだ。


 ちなみに、私たちだけでは心配だったのか、メアさんとティアリちゃんが護衛として密かに着いて来ているのだけど、ベティはともかくとしてルクレもまだふたりには気付いていないみたい。


 あ、いや、ベティは気付いているのかな? さっきからしきりに鼻をすんすんと鳴らしているし。


 対してルクレは諸事情でテンションが高くなってしまっている関係で、メアさんたちのことには気付いていないみたい。


 ……後で、リヴァイアサンちゃんに「もう少し手綱を握ってね?」と言っておこうか。たぶん、「いや、僕に言われても無理だから」と言われるだろうけれども。


 そんな困ったちゃんになっているルクレだけど、いまは私ともども湖畔の光景に感動している。


 ここまで通ってきた森も、なかなかにきれいだったのだけど、目の前に広がる湖はより美しかった。


 特に湖面には目を奪われてしまったよ。


 ルクレも言う通り、湖底まで覗けてしまうんじゃないかと思うほどに透き通った湖面であるのだけど、その湖面は高く昇った日の光を受けて、眩く輝いていたんだ。


 眩く輝く湖面はまるで鏡のようで、見事な青空を映し出していた。


 その輝く湖面からは時折魚が飛び跳ね、飛び跳ねる魚を見てベティが「ばぅ」と楽しげに声を上げてくれている。


 うん、とてもいい湖だね。こんなにも美しい湖ってほかにあるんだろうかと思っていると、ベティが飛び跳ねる魚を指差したんだ。


「おさかなさん、きれーなの」


 いつものように「ばぅ」と鳴きながら、緩やかに尻尾を振るベティ。


 少し前までは泣きじゃくっていたのに、すごい変貌ぶりだとは思う。


 泣きじゃくっていたのは、私のせいではあるんだけど、本来のベティになってくれたことは素直に嬉しく思う。


 実際、ベティを抱っこするルクレはご満悦の様子だった。


 そう、ルクレの諸事情というのは、ベティを抱っこしているから。


 この湖に来るまでは、散々「交代してぇ」と喚いていたんだ。


 そのときの姿と、いまの姿とではまるで別人のよう。


 だからこそというか、あまりにも喚くものだから、ベティが「まま、おかーさんとこーたいしてあげて」と言ったから、交代したんだ。


 ちなみに、そのときベティは虫の羽音くらいに小さな声で私に囁きかけてくれました。


 まぁ、ルクレが知ったらショックで寝込みそうなことだったから、仕方がないことではあるのだけど。


「そうですね。湖もきれいですが、あのお魚さんもきれいです。……味はどうなのかな。それなりに量もいれば、兵粮の代わりに使えなくも」


「……あじ?」


「え? あ、いえ、気にしないでいただけると、おかーさんは嬉しいですね、あははは」


 事実を知らないルクレさんは、ご満悦だったからかな? なんとも珍妙な返答をしてくれました。


 ……うん、言いたいことはわからなくもない。たしかにあの魚は結構美味しそうだったし、飛び跳ねているのは毎回別の個体だろうから、それなりに量もいるというのはわかる。。


 でもさ? ベティが目をきらきらと輝かせて「きれい」と言った魚を兵粮にするとか、それはどうなんだろうと思うんだよね。


 いまもほら、ベティがわりと引いた顔でルクレを見ているし。「マジか」とその顔にはありありと書かれているのがわかるよ。


 ルクレはベティの反応に、自身のやらかしに気付いたようで、慌てているけれど、時すでに遅しだった。


「……ばぅ!」


「あ、べ、ベティちゃぁぁん!?」


 ベティは意を決したように鳴くと、ルクレの腕の中から飛び降りて、そのままの勢いで私の体を駆け上って、私の腕の中に収まってしまった。


 せっかくベティが「交代してあげて」と言ってくれたというのに、ルクレはみずからの発言のおかげで久しぶりの抱っこを手放すことになってしまった。


「おかーさんにはがっかりなの! ふんだなの!」


「ち、違うんです。違うんですぅぅぅ、ベティちゃぁぁぁぁん!」


 ルクレはこの世の終わりとイワンばかりの表情で叫んでいるけれど、ベティは聞く耳持たずとばかりにぷいっと顔を背けてしまう。


 ベティの態度にルクレは「あぁぁぁぁぁ!」とその場に両手を着いて地面を何度も叩くルクレ。その様子は滑稽を通り越して、もはや哀れだった。


「……あー、その、ベティ?」


「どうしたの、まま?」


 ルクレからは顔を背けていたベティだけど、私が呼びかけると一転して、満面の笑顔を浮かべてくれる。


 その笑顔を見たルクレは、「アンジュぅぅぅ!」と怨嗟の声を上げてくれた。


「これは私のせいじゃなくないかな?」と思うのだけど、涙目になって私を睨み付けているルクレには、私の声はきっと届かないんだろうなぁ。


 でも、届かないのはあくまでもルクレであり、ベティではないんだよね。というわけで、ちょっとベティにはお願いをしようかな。


 いつまでも睨まれているのも、居心地が悪いし。


「あのね、おかーさんのところに戻ってあげてくれないかな? ほら、おかーさんも悪気はなかったんだし。ただ、その、なんというか、タイミングが悪かった。うん、そう、タイミングが恐ろしく悪すぎただけで、決してベティの見たお魚さんを食べたかったわけではないんだよ、きっと、うん」


 私はどうにかルクレをフォローしてあげた。すると、ルクレは「アンジュぅぅぅ!」と泣きながら嬉しそうに笑っていた。


 ……さっきと同じように名前を呼ばれただけななはずなのに、まるで意味合いが違っているというのはなんとも不思議なことだね。


 まぁ、それだけルクレの感情の揺れ幅がとんでもないということなのだけど。


「前の私」もあんな風に感情の揺れ幅が大きかったから、なんだかすごい既視感がある。


 でも、以前と違って、立場が真逆というか、ベティからの対応が逆転しちゃっているなぁと思う。


 当のベティはそんなつもりはないのだろうけれどね。


 でも、いまはそのことはいいかな?


 とりあえず、今大事なのは天の助けと言わんばかりに、いまにも私を拝み始めそうになっている暴走おかーさんの元へとベティに帰ってもらうことなのだけど──。


「や」


 ──ベティは笑顔から一転して、ぷいっと顔を背けてしまったんだ。


 ほんの一文字の言葉であるのに、ここまで意味を理解できることって早々ないよねぇと思うよ。


 ベティの返事を聞いて、ルクレの笑顔は当然のように固まりました。そして──。


「なんでぇぇぇぇぇ!?」


 ──ルクレの絶叫が湖畔に響き渡ったんだ。その絶叫に湖の周囲の森に棲息していた鳥や鳥型の魔物たちが一斉に空へと飛んでいった。


 お話でよく見る光景だけど、実際に見ることになるとは思っていなかったよ。


「おー、お話みたいだねぇ」


「おはなし?」


「そう、お話の中には、おかーさんみたいに大声で叫ぶと、鳥さんたちが一斉に飛び立つっていうことがあるんだけど、まさか実際に見ることになるとは、ままは思っていなかったよ」


「そうなの?」


「うん。そうだよ」


 ベティの頭を撫でつつ、思っていたことを伝えると、不意に脚をがしっと掴まれた。


 犯人が誰なのかは見るまでもないけれど、あえて視線を下げると、ルクレが涙目になって私を見上げていました。


 泣きじゃくるルクレは、とても必死な形相で私の脚を掴んでいた。


 ……ぶっちゃけ怖い。


「る、ルクレ?」


 声を裏返らせながら私はルクレを見やる。当のルクレは「アンジュぅぅぅ」と底冷えするような声で私を呼んでいた。


 その言葉の意味がわからないわけではないのだけど、正直逆効果じゃないかなぁと思う。


 実際、ベティも若干、いや、かなり引き気味な顔でルクレを見ていたし、かわいらしい尻尾がくるんと私の腕に巻き付けてもいた。


 どうやら、いまのルクレに怖がっているみたい。


 かわいがっている愛娘に、ここまで怖がられるおかーさんってどうよと思うのだけど、それを言うとルクレが立ち直れなくなりそうなので、あえてなにも言わないことにした。


「……あー、その、ベティ? ままのためにも、おかーさんのところに戻ってあげてほしい、かな?」


「……ばぅ、おかーさんはしょーがないの」


 やれやれとベティがため息を吐いた。納得してくれたみたいで、まま嬉しいと思っていると──。


「しょ、しょうもない? おかーさんはしょうもない!?」


 ──当のルクレおかーさんは、ちょっとだけ聞き間違えをしてしまい、大きなショックを受けたみたいです。


 うん、たしかに「しょうがない」と「しょうもない」は一文字違いなのに、意味はまるで違うものになってしまうから、無理もないとは思うのだけど、さすがにこの状況でベティが「しょうもない」とか言うわけないでしょうに。


「あ、あのね、ルクレ。いまベティが言ったのは「しょうがない」であって」


「いいえ、いいえ、いま「しょうもない」って、「しょうもない」って言われましたぁぁぁぁ!」


 ルクレはガチ泣きしながら、その場で蹲ってしまった。ちなみに私の脚を掴んだままで。


「……おかーさん、めんどーくさいの」


 ぽつりとベティが呟いた。


 いまのは聞かれたらまずいなぁと思ったのだけど、さすがにルクレには聞こえなかったみたい。泣きじゃくった状態では、ベティの声までは聞こえなかったようだった。


 だけど、「しょうもない」と聞き間違えたルクレは、大ダメージを負ってしまったみたいで、大声で泣き喚いていく。


 その声に隠れていたメアさんとティアリちゃんも、若干、いや、大いに呆れた顔をして姿を見せているし。


「あ、やっぱりおば上とティアリおねーちゃんなの」


 鼻をすんすんと鳴らしていたから、気付いていたというのはわかったし、おそらくふたりも気付かれているだろうというのはわかっていたんだろうね。ふたりは苦笑いしつつ、私たちの元へと向かってきた。


「奥方、どうされますか?」


「慰めることはできますけど」


 ふたりとも困ったように眉を顰めている。ふたりがなにに対して言っているのかは確認するまでもない。


「……どうしようかぁ」


 私はふたりの言葉にため息を吐きながら、足元で泣き崩れているルクレを見つめたんだ。

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