Sal1-15 かつてのフレンド
お腹が鳴りそうなほどのいい匂いだった。
すでに昼食を食べ終えたというのに、その臭いでお腹が盛大に鳴りそうになる。
それくらいのいい匂いで、充満していた。
そこはとても大きな食堂だった。ホテルのロビーよりも面積の大きな食堂だった。
食堂の名前は大食堂。
捻りは一切ない名前だけど、その名の通り土轟王様の軍勢の構成員たちが一堂に会しても収容しきれるほどの巨大さを誇る、まさに大食堂の名に相応しい規模を誇っているの。
その大食堂から芳しい香りが漂ってくる。その匂いに引かれるようにして、土轟王様の軍勢を構成する魔物たちは、次から次へと押し寄せていた。
そうして魔物たちが押し寄せるたびに、大食堂は、大食堂の厨房は戦争のようになっていた。
「ビーフシチュー、上がりました!」
「こっちも、サイキョウ焼、終わりです!」
「レイクオルカとレイクシャークの刺身盛りあわせ、お待ちです!」
様々な種族の魔物たちが割烹着を身につけて、調理を行っていて、少なくても煮込み、焼き物、お造りを出しているみたい。
もっとも、調理しているのは三人だけではなく、少なくとも数十人単位はいるわね。
その数十人がそれぞれの調理ごとに分かれていた。
大食堂と呼ばれるのも納得できるほどに、厨房もまた大規模なの。
その厨房からは次々に料理を仕上げた声が飛び交っていく。その度に中央に座している割烹着姿のデュラハンがチェックと指示をしていた。
「よし、問題ないな。チェックが終わったものから順番に出せ! 番号間違えはするなよ!」
「ういっす! お願いします」
「お呼び出しのご連絡です。番号札115番さんと116番さん、あと117番さん、お待たせしました。カウンターまでどうぞ~」
割烹着姿のデュラハンの指示を受けて、料理のチェックと呼び出しがくり返し行われていく。
呼び出しを受けるのは番号札を握った魔物たち。その顔は種族によっては差はあるけれど、誰もが自分の番を待ちわびていたようだった。
その証拠にデュラハン以外の種族たちは、みな一様に目を輝かせているもの。
相当にお腹が空いているのか、もしくは、ここの食堂が相当に美味しいのか。おそらくはその両方ってことなんでしょうね。
番号札を片手に握りしめて、カウンターへと赴く魔物たち。その魔物たちに仕上げた料理と握られた番号札が交換されていく。
番号札と料理を交換し終えると、魔物たちはみんなそれぞれが予め確保していた席へと戻り、思い思いの食事を楽しんでいく。
なんというか、いまの光景だけを見ると大食堂というよりも、大きな学食のように見えてしまうのよね。
まぁ、学食と言っても差し支えはないほどに、どの魔物たちも舌鼓を打ちながらそれぞれの食事を平らげていく様は、食欲旺盛な学生のそれと重なって見えてしまう。
「……学食みたいね、ここ」
「あはは、私も最初見たときは同じ事を思ったよ」
私の感想を聞いて、タマモは笑いながら頷いていた。
カレンが通っていた女子校の学食くらいしか知らないけれど、ごった返すような盛況ぶりはよく似ていた。
タマモも彼女が通っていた母校を思い出しているのか、懐かしそうにカウンターへと押し寄せる魔物たちを見つめている。
そんな学食を思わせる大食堂の厨房の中に私たちはいる。
この大食堂の主である「板長」を先導役にして、厨房の奥にあるスペースへと向かっていたの。
「お疲れ様です、板長!」
すると、指示を出していたデュラハンが、背筋を伸ばして一礼をしたのよね。
一礼をしたのはデュラハンだけではなく、手が空いている料理人たちもだった。
手が空いていない料理人たちは、元気よく「お疲れ様です!」と挨拶をしていた。
一礼をするかしないかはそれぞれの状況次第ではあったけれど、挨拶そのものはまるで打ち合わせをしていたのかと思うほどに、息の合ったものだったわ。
「おう、ご苦労さん。このままやってくんな」
「承知しました。おまえら、気合い入れていけ!」
「「「ういっす!」」」
デュラハンへと板長が声を掛けると、デュラハンは若干興奮したような声色になって、他の料理人に檄を飛ばした。その檄に料理人たちはより一層真剣な評定を浮かべて調理に集中していったの。
「……体育会系のノリよね」
「まぁ、板長らしいよ」
板長と料理人たちのやり取りは、まさに体育会系のノリで、私は若干引き気味になり、タマモは苦笑いしながら、「板長らしい」と言っていた。
その一言に件のデュラハンがタマモを見やると、再び一礼をしたのよ。
「お疲れ様です、姉弟子! 本日はよくぞおいでくださいました」
「「「お疲れ様です!」」」
板長のときよりも若干気合いの入った声で、デュラハンと料理人たちが一斉に挨拶をしてくる。その様子にタマモは苦笑いを深めるも、当の板長が若干不機嫌そうにデュラハンたちを見やり──。
「てめぇら! 狐ちゃんに挨拶をするのはいいが、調理の手を止めていいと誰が言った!? そこ、青椒肉絲が焦げかけてんぞ! 失敗作を客に出すつもりか!?」
「あ、す、すいませんでした!」
「わかったら、さっさと作り直せ!」
「は、はい、ただちに!」
板長が怒号を上げながら、ひとりの料理人に渇を入れ、その料理人は一から調理をし直していく。
ちなみに、一から調理のし直しはその人だけではなく、他にも何人かおり、その度に板長の渇が飛んでいく。
「おい、ハーン! おまえが狐ちゃんに挨拶をしてから、状況が悪化したぞ! なに考えてんだ!」
「す、すみません、板長。姉弟子に我らの努力を見ていただけると思ったら、つい」
「ついじゃねえわ! おまえらの努力なんざな、狐ちゃんなら一目でわかるわ! この子を舐めてんじゃねえぞ!?」
「す、すみません!」
板長はデュラハンことハーンさんを叱りとばす。上背だけを見れば、板長よりもハーンさんの方があるのだけど、いまは板長の方がハーンさんよりも大きく見えるほどに、ハーンさんは萎縮していた。
「まぁまぁ、板長。私のことは気にしないでください」
「だがな」
「それにハーンくんたちの努力はよくわかりましたよ。それぞれへと声を掛け、足りない部分はフォローし合う。うん、まさにチームとしての力量は以前よりも向上していますね」
「ありがとうございます!」
「ただし、味の方はこれから確認させてもらいますけどね? 板長、後ほど私からリクエストしてもいいですか?」
「おうよ。存分にリクエストしてくんな。俺が許可する」
「ありがとうございます。では、昼時が終わったら、まかないのお題を出しますので、皆さん、頑張ってくださいね?」
にっこりと笑うタマモ。その笑顔にハーンさん以外の料理人さんたちの顔が青く染まる。ハーンさんは頭がないからわからないけれど、その体が小刻みに震えているあたり、相当に緊張しているようだわ。
「……なんだかんだで、タマモもスパルタよね」
「……はい」
「無茶振りをしてあげますね」といわんばかりのタマモの笑顔を見て、私とフブキちゃんはこそこそと話をしていたのだけど、タマモと板長は揃って振り返ると、「それじゃ奥に行こう」と言って、厨房を通り過ぎていき、その後を私たちは続いた。
ほどなくして厨房の奥に繋がるドアを潜ると、そこは板長用の部屋らしく、四畳半くらいの小さな部屋だった。
その部屋の床に「よっこらしょ」と板長は座ると、私たちには座布団らしきものを差し出して、「さぁさぁ、座ってくんな」と勧めてくれたの。
そのお言葉に甘えて座布団にそれぞれ座ると同時に厨房からハーンさんの怒号が響き渡った。
「お、おまえら! 今日はまさに死地である! 気合いを入れろぉぉぉぉぉ!」
「「「う、ういっすぅぅぅ!」」」
ハーンさんの怒号に負けないくらいの声量で料理人さんたちも叫んでいた。
まかない作りが死地って、いったいどんな目に遭わせるつもりなのかしらね、タマモは。
そしてそんな目に遭わせることをあっさりと了承する板長に私は戦慄したわ。
転生して、見た目が変わっても中身は変わらないことをここまではっきりと突き付けられることもないわよね。
「……本当にあの頃と変わらないですね、おやっさんは」
「そういうレンの兄貴はすっかり変わっちまったけどな?」
板長ことかつての「通りすがりの流れ板」であったおやっさんに笑いかけると、おやっさんも笑いながら痛いところを突いてくれたわ。まぁ、悪気はないというか、事実だから否定なんてできるわけもないのだけどね。
「……というか、これが私の実際の姿ですから。まぁ、その、当時とは中身というか、人格というか」
「あぁ、知っている。あんたはレンの兄貴の姉貴だってことはな。そして、当のレンの兄貴はいつ醒めるとも知らない眠りに就いたってことも、な」
おやっさんは顔を顰めながら、声のトーンを下げた。その様子からしてカレンとちゃんと話をしたかったというのがなんなくだけどわかった。
おやっさんとしては、私よりも「レン」であったカレンと話をしたかったことでしょうし、無理もないのだろうけれど。
「……まぁ、あのレンの兄貴のことだ。そのうち、ひょっこりと目を醒ますだろうよ。というか、そうじゃねえとレンの兄貴らしくねえじゃねえか」
かかかと膝を叩いておやっさんは笑っていた。その言葉に私は少しだけ胸の内が軽くなっていくのを感じたの。
「……ありがとうございます」
「いいってことよ。しかし、俺が異世界転生するなんてなぁ。人生ってのはわかんねえもんだよなぁ。死んじまったときはここまでかと思ったけどなぁ」
かかかとおやっさんが高笑いする。その高笑いに私もタマモも、そしてフブキちゃんもなにを言えばいいかわからなくなってしまう。
そんな私たちの反応に「あー、笑い話にならねえか」と困ったように頭の後ろをおやっさんは搔いていく。
「……だが、まぁ、実際転生できるなんざ考えてもいなかったからなぁ。しかも、その世界で狐ちゃんたちと再会できた。俺としては言うことはねえんだ」
おやっさんは懐から煙管を取りだし、指を鳴らして火を灯すと、そのまま煙管に火を点けた。
おやっさんの口から紫煙が上がる。紫煙を揺らしながら、おやっさんは目を細めると一言言ったの。
「……あぁ、本当に言うことねえよなぁ」
おやっさんは満足そうに、穏やかな笑みを浮かべてくれたの。
その笑顔に私たちも繕ったものではなく、本心からの笑みを浮かべて、改めて挨拶をしたわ。
「おやっさん、お久しぶりです」
「……あぁ、本当に久しぶりだな」
そうして、私たちはかつていなくなってしまったフレンドであるおやっさんとの思いがけない再会を果たしたの。




