Sal1-9 聖風王の罪
「──あれは、いま思い出しても、とても美しい女子であった」
聖風王様が淡々と当時を語っていく。
今回、会議室を使うことになった理由であり、聖風王様が想定外の場所で眠っていた理由。
それは、エンヴィーと名乗るひとりの美女に起因する。
その容姿は聖風王様曰く、「海を想わせるような美しい女性」ということだった。
その言葉を聞いて、私たちが真っ先に思いついた女性は、当代の蛇王であるレヴィアだった。
彼女もまた聖風王様が言う「海を想わせるような美しい女性」に該当していた。
もっとも、「海を想わせる」ってどういうことよとも思わなくもないのだけどね。
海と一言に言っても人によっては、そのイメージは多種多様。
たとえば、凪いだ海のように静かということも考えられるし、時化の海のように激しいということも考えられる。
でも、「美しい女性」と続くとなると、イメージは凪いだ海となるのかしらね。
凪いだ海のように静かでかつ、底が見えないほどに包容力のある女性というところかしらね?
その印象はすべてレヴィアにも該当する。……まぁ、彼女の場合は大時化の海のようなときもあるにはあるから、総合的に見ても海を体現したような女性であることは間違いないかもしれない。
「髪や瞳はまるで紺碧の水面のようであったし、服から露わになった肌はまるで白波のよう、そしてその精神性はまるで底の見えない大海のようであった。……うむ、やはり海を想わせるという言葉がよく似合っておったわい」
聖風王様は顎髭を撫でられながら、しみじみと呟かれた。その目は細められていて、遠くを眺めているかのよう。
「……海を想わせる、ですか」
タマモが聖風王様の言葉を反芻していた。この場でタマモの反応の理由をわかっていないのは、この世界出身者くらい。
聖風王様たちはもちろん、フブキちゃん、そして私も彼女が反芻した理由はわかっていた。
わかっていたからこそ、あえて触れることはしなかった。
タマモの傷を抉るだけだってことはわかっていたからね。そしてその傷は聖風王様も同じだった。
「……すまぬな、婿殿。辛いことを思いださせてしまった」
「……いえ、お気になさらずに。もう受け止めたことですから」
「……そうか」
「……お話の続きを」
「うむ。……さて、どこまで話したか。あぁ、そうか、彼女の特徴までじゃったな。歳を取るとどうにも忘れっぽくなるのぅ」
「……下手に言い繕うこともなかろうよ。辛いのであれば辛いと言えばいい。別に貴様を指差して笑おうなんて思っている者は誰もおらんのじゃからな」
はんと吐き捨てるように、氷結王様は聖風王様に言われた。聖風王様は驚いた顔をされていたけれど、すぐに破顔していつものように笑われた。
「かかかかか、貴様からそのような殊勝な言葉が出てくるとは思わなんだ。……だが、いまはそんなことを言える場合ではないわい」
「……そう、だな。すまぬな」
「なぁに、気にすることはない。が、そうさな。気遣い、痛み入るとだけ言わせて貰おうか」
「そうか」
「うむ」
聖風王様も氷結王様も揃って頷かれた。
普段はトムジェリっているおふたりだけど、「なんだかんだでご友人であられるんだなぁ」というのがそのやりとりでよくわかったわ。
「さて、では続きじゃ。彼女との出会いは、ちょうど我が輩が我が君に指定された場所へ、いまでいう「狼の王国」に辿り着いたときのことじゃな」
「「狼の王国」ですか?」
聖風王様が口にされた場所は、想定していなかった場所だった。
魔大陸の七国のひとつであり、七国随一の資金力を誇るのが「狼の王国」だった。
でも、私が、というか、魔大陸に住む者であれば誰も知っていることだけど、「狼の王国」は金持ち国家であると同時に、国土のほぼすべてが砂漠に覆われている国でもある。
その「狼の王国」がかつては草原地帯だったなんて信じられないわね。
そしてその草原地帯を砂漠にした原因が、件のエンヴィーなる女性だったと。
「……あの国が草原地帯、ですか」
「ティアリカさん、知っていましたか?」
「いいえ。手前が知っている限りは、あの国が緑溢れた土地だったことはないはずです」
「ティアリカさんでもですか~。本当に大昔のことなんですねぇ~」
「……サラさん、若干棘が、棘がありますよ?」
「あ、ごめんなさい~」
「いえ、まぁ、事実ですから、ね」
ははは、と力なく笑うティアリカと申し訳なさそうに謝罪するサラ。
ふたりの仲が良好なのはいいのだけど、問題なのは件のエンヴィーなる女性だった。
かつて草原地帯だったという「狼の王国」が、いまの砂漠地帯へとなった原因が、エンヴィーという女性が聖風王様に依頼をしたからというのはわかっている。
問題なのは、なぜ、エンヴィーは聖風王様にそんな依頼をしたのかということ。
聖風王様が依頼を受けた理由はなんとなくわかるけれど、件の女性が依頼をした理由がわからない。
広大な草原地帯をなぜ砂漠にするなんてことをしたのか。
なにかしらの理由はあるのだろうけれど、その理由は私には想像もできない。
可能性があるとすれば、それは──。
「──草原地帯を滅ぼしたいと思うほどの恨みがあった、というところかな」
「……土轟王様」
「草原地帯を不毛な大地へと変えた理由なんて、考えられるとすればそれくらいじゃないかな?」
「……です、よね」
──なにかしらの、それこそその土地への強い憎悪があったということ。
それ以外で草原地帯を滅ぼす理由なんて思いつかなかった。
仮にあるとすれば、護りたいなにかがあった、くらいかしらね。
たとえ、ひとつの地域を滅ぼし、その地域に住まう者たちから恨まれたとしても、護りたいものがあった。
でも、さすがにそこまで悲壮な覚悟を持ったという人はいないと思うから、あるとすればやはり憎悪が一番考えられることよね。
……個人的には悲壮な覚悟を持っていたという方が、エンヴィーの名を持った女性らしいことではあるのだけども。
でも、それはあくまでもレヴィアだからであり、件のエンヴィーも同じということはさすがにありえないでしょうね。
「いや、それは違うぞ、土轟王よ。彼女が我が輩に依頼したのは、すべては娘のためであった」
「娘、ですか?」
「うむ。産まれたばかりの娘のために、みずからが罪を背負うと言うてのぅ。……その姿があまりにも似過ぎていてなぁ。つい絆されてしまったのじゃよ」
聖風王様は困ったように笑っていた。
誰に似ているのかは、アンジュたちにはきっとわからないでしょう。
でも、私たちにはわかる。
私とカレンは会ったことはないから、聞いた話でしか知らない。
だけど、タマモは知っている。身を以て知っている。
「……エリセ」
ぽつりとタマモが呟いた。
その名を紡いだ表情は、ひどく傷つききったものだった。
「……タマモ様」
フブキちゃんはいまにも泣きそうな顔でタマモを見つめていた。
タマモはその視線に気付くと、どうにか笑顔を作ってフブキちゃんの頭を撫でた。「大丈夫だよ」と涙声になりながら。
「まぁ、その結果が「狼の王国」が不毛な大地となったのじゃよ。……そして、その当時に生き残った者たち、その一部に狼の一族がいた。その一族こそが、ベティ、そなたの一族だったのじゃ」
聖風王様はそう言ってベティを見やる。ベティは「ばぅ?」と首を傾げた。
「どういう理由があるにせよ、我が輩は多くの命を奪い取った。つまりは平和を奪い取ったのじゃ。であれば、生き残った者たちの明日を担う責務が生じた。他の魔物たちにはそれぞれ新しい土地で生きていけるように世話をしつつ、流れ歩いた。そして最後までそなたの一族は付き従ってくれたのじゃよ」
聖風王様はベティをじっと見つめながら、当時を語った。
ベティは聖風王様の言葉をじっと聞いていた。きっと言葉の意味をすべて理解しているわけではなかったでしょう。
それでも、ベティは小さく「ばぅ」と鳴きながら頷いたの。
そんなベティに聖風王様は穏やかに笑いかけられた。
自嘲するように、でも、救われたかのように。とても穏やかに聖風王様は笑われたのよ。




