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Sal1-4 希う

 景色が流れている。


 次々にと景色が移り変わる様は、水上を進む船と同じだった。


 でも、船よりも圧倒的に速くガリオンさんは進んでいた。


 それもそのはず。いま私たちがいるのは水上ではなく、空の上なのだから。


 視界は見渡す限りの雲だけ。遠くには山々や湖沼、村や街が見えていた。


 水上を進む船でも同じように見えるけれど、水上よりも視界ははるかに高い。


 水上では見上げることが多いのに、ガリオンさんの甲板からでは、基本的に風景を見下ろすことになる。


 水の上にいることが多かった私としては、いままでになかった新鮮な経験だった。


 そんな新鮮な経験を重ねながら、私は隣にいるライバル兼親友を見つめていた。


「──とりあえず、今後の指標については、そんなところだね」


 甲板に背中を預けながら、隣で議事録に目を通しているアンジュに話し掛ける。


 アンジュはアンジュで甲板に寄りかかる形で、議事録を黙読している。


 アンジュが書物を読むのは初めて見るけれど、その速度はなかなかに速い。


(……書物読む際に眼鏡掛けるんだなぁ)


 アンジュは議事録を読む際に、胸ポケットに入れていたのだろう眼鏡を取り出して掛けていた。


 その眼鏡はアンジュのお父上の形見で、コサージュ村にいた頃は、それなりの頻度で掛けていたそうだった。


 でも、旅に出るときに実家に置いてきたそうだった。


 その眼鏡をアンジュは掛けていた。


 眼鏡を掛けたアンジュは、普段以上に凜々しく見えた。


 見る人が見れば、同性でも恋に落ちそうなほど。

 ……そういうところは旦那様と同じなのかもしれない。


 似たもの夫婦と言えるのかもしれないけど、ちょっと悔しいと思うあたり、私もなかなかに厄介な性格をしているなと改めて自覚できた。


 そうして私の嫉妬を買っているアンジュはというと、私の感情に気づくことなく、紅い瞳を忙しなく動かして、議事録を捲っていた。


 当の議事録はそこまで多いものではなかったけれど、アンジュのペースであれば、数分もあれば目を通しきれそうだった。


 ……プロキオンちゃんだったら、ほんの数秒で目を通すのだろうけれど、プロキオンちゃんが異常なだけであり、アンジュの速度も本当なら異常な速度と言ってもいいくらい。


(そういうところも、親子なのかな)


 アンジュとプロキオンちゃんには血の繋がりはない。


 でも、「似たもの母娘だなぁ」と思うことはよくあった。


 たとえば、好きなものに対してはのめり込みすぎるところとか、変なところで抜けているところとか、そのまっすぐすぎるまなざしとか。


 いままでアンジュとプロキオンちゃんを重ねたことは何度となくあった。


 そのたびに、「母娘だなぁ」と思ってきた。


 その似た部分にいま新しい一面が追加された。


 とはいえ、似ているけれど、さすがに速度には差がありすぎるのだけど。


 それでもふたりとも速読家であることには間違いない。


 私は逆にゆっくりと読んで、自分の知見と重ね合わせるタイプなので、ふたりのような速読はできない。


 できたとしても、ふたりの半分以下の速度くらい。


 ただ、そうして読んだとしても、ただ読んだだけで終わるので、意味はまったくない。


 やはり書物というものは、その内容をきちんと理解し、把握していないと意味はない。


 その点、圧倒的な速度で読み進めながら、その内容を理解し、把握しているふたりは素直にすごいと思う。


 それこそ嫉妬さえ沸き起こらないほどに。


「……なるほど。基本はプロキオンの動きを注視しつつ、「ルシフェニア」に対応するんだ」


「まぁ、そうするしかないよね」


「たしかにね」


 議事録を読み終えたアンジュが、私に議事録を差し出してきた。


 差し出された議事録を受け取ると、アンジュは掛けていた眼鏡を外した。


「ねぇ、アンジュ?」


「うん?」


「旦那様って眼鏡掛けた女性は好きだと思う?」


「……なんでいきなり色ボケ発言しているの?」


「色ボケってひどくないかな?」


「自業自得だよ、ルクレ」


 ふぅとため息を吐きつつ、外した眼鏡を丁寧に畳んで胸ポケットに収めるアンジュ。


 収めた方は雑としか言いようがないのに、取り扱いはとても丁寧だった。


「……胸ポケットに収納するっていう雑さと、取り扱いの丁寧さがどうにも重ならないなぁ」


「収納も雑にはしていないよ?」


「でも、胸ポケットにそのまま」


「何重にも結界を張って収めているから、ハンマーを叩きつけられたとしても、びくともしないから大丈夫」


「……その力の無駄遣いはなんなの?」


「だって、父さんの形見だもの。大切にするに決まっているでしょう?」


「……そう言われるとなにも言い返せなくなるなぁ」


 甲板により背を預けながら、私は空を見上げた。


 水上の船に乗船しているときも、時折空を見上げることはあった。


 水上から見上げた空はとても遠くにあって、手を伸ばしても届くことはなかった。


 それはガリオンさんの甲板からでも変わらない。どれほどまっすぐに手を伸ばしても、空を掴むことはできない。


「ん~」


「……なにをしているの、ルクレ?」


「空を掴めるかな、って」


「定義によるんじゃないかな?」


「定義?」


「たとえば、空っていうのがどこから始まるものなのかってことだよ」


「空のはじまり?」


 考えたこともないことを言われてしまった。


 でも、言われてみれば、空ってどこから言うものなんだろうか?


 いや、空ってものはどこから言えるものなんだろうか?


「アンジュはどう思うの?」


「地面から離れたら空だと思っているよ」


「地面から離れたら?」


 まさかの返事だったけれど、言われてみればそうかもしれないと思った。


 地面から離れれば、地上という言い方をするけれど、字面だけを見れば、地面の上ということ。地面の上にあるものには空も含まれる。


 つまり、地面から離れれば空になるというのもわからなくはないことだった。


「地面から離れれば、事実上は空とも言えるでしょう? そういう意味であれば、ルクレはもう空を掴めていると言えると思うよ」


 アンジュの言葉に私はなるほどと頷いた。頷きはしたが、なんだか言葉遊びのような気もした。


「なんだか言葉遊びみたい」


「そうだよ? というか、なんで空を掴もうとしているのかがわからないんだけど?」


「なんとなく、かな?」


「なんとなく、ねぇ」


 アンジュがじっと私を見つめているけれど、なんて言えばいいのかわからなくなった。


 姿勢を正して、アンジュ同様に甲板に寄りかかりながら、もうだいぶ小さくなった御山を見やる。


「……アンジュ。もっといてもよかったんじゃない?」


「……あれくらいでいいよ」


「だけど、故郷じゃない」


「うん。故郷だね。故郷だけど、それは前の私にとっての故郷だから。いまの私にとっても故郷ではあるのだけど、少し遠いからね」


「少し、か。だいぶの間違いじゃない?」


「ルクレはきついことを言うなぁ。……事実だけどさ」


 困ったようにアンジュは笑っていた。


 無理もないことだった。


 アンジュは香恋さんと一緒に抜けだした後、するべきことをした後、氷王様と一緒にコサージュ村に降りたそうだ。


 そうして村に降りてすぐ、アンジュは氷王様のお力で辺境の村々を救い出した。


 コサージュ村は全員が無事だったけれど、他の村は全滅しているところもあったそうで、その後始末もアンジュは氷王様やコサージュ村の人々と行っていたそう。


 その際、香恋さんも手伝っていたそうだった。ただし、「レン・アルカトラ」と名乗ってだけど。


 香恋さんは旦那様のように振る舞いながら、アンジュとともに辺境の村々を救い出した。


 そこに氷王様もおられたことで、ふたりは辺境の村々における救世主として扱われることになった。


 特にコサージュ村の面々の反応は凄まじく、救世主となったことへの宴を開こうとしていたそうだったのだけど、ふたりとも固辞したらしい。


 曰く、これから旅立たなければならないし、先を急ぐ旅になるからと言って氷王様と一緒に山頂へと戻ってきたそうだ。


 ただ、三人だけで戻ってきたわけではなく、ゲイルさん夫妻という、アンジュにしてみれば昔からお世話になったご夫婦が山頂まで一緒に来られていたけれど。


 アンジュたちを待っていた私たちは、ガリオンさんから下船して、ゲイルさん夫妻と挨拶を交わした。


 その際、ゲイルさん夫妻はガリオンさんという空飛ぶ幽霊船の存在に度肝を抜かれていたけれど、「さすがはレンさんだなぁ」と笑われていた。


 香恋さんは「そうですか?」と旦那様のふりをされながら答えていた。


 ゲイルさん夫妻とは、ベティちゃんたちも挨拶をしていた。


 ベティちゃんたちも久しぶりの再会に喜んでいた。


 その後、一通りの挨拶を交わしてから、私たちはガリオンさんに乗り込んでゲイルさん夫妻と別れた。


 そのときに、アンジュはゲイルさんから眼鏡を渡されていた。


 曰く「お父様の形見を忘れておいででしたので」って。


 それまでのゲイルさんたちは、砕けた口調だったのだけど、そのときはまるで使用人のような口調へと変わっていた。


 アンジュは「え?」と驚いた顔をしていた。


 そんなアンジュにゲイルさんたちは、元々自分たちが「アルスベリア」の家の使用人であることを伝えられた。


 アンジュとご両親とともにコサージュ村へと移住したのだと。


 そしてご両親の代わりに、アンジュを支えていたことを伝えられた。


 アンジュは目を丸くして驚いていたが、ゲイルさんたちは「いままで黙っていて申し訳ありませんでした」と謝られた。


 アンジュはどう返事をすればいいのかわからず、困惑としていたけれど、ゲイルさんたちは香恋さんに「こんなお嬢様ですが、今後もお願いいたします」と頭を下げられていた。


 香恋さんは「……わかりました」とだけ答えていたけれど、旦那様だったらアンジュの肩を抱きながら答えられていたことは容易に想像できた。


 そうしてゲイルさん夫妻に見送られながら、私たちは辺境の村々から飛び立った。


 辺境の村々を擁する御山はとても小さくなっていた。


 飛び立ってからというもの、アンジュは甲板でひとり立っていた。


 なにを考えているのかはわからなかった。


 でも、とりあえずアンジュたちがいない間に終えた会議の議事録を見せることにした。


 その議事録も読み終えて、アンジュはまたなにを考えているのかもわからない顔で、遠い故郷を見つめている。


「……やっぱり、神様になると故郷って感覚は薄れてしまうものなの?」


「……そうかもしれないね。なんというか、故郷だって感覚はあるし、思い出もきちんと残っているし、村の皆のこともちゃんと憶えている。だけど、まるで薄く透明な膜のようなものを通して見ているように感じられるの。いままでは別のものという風に感じてしまうんだ」


 アンジュは笑った。


 とても悲しそうに。それこそいまにも泣き出してしまいそうなほどに弱々しい顔で笑っていた。


「どう言えばいいのかわからない」


「うん。私もなにを言って貰いたいのかもわからないから」


「そっか」


「うん」


 会話が終わった。


 引き延ばしたい内容だったから、もう少し続いて欲しかったのだけど、致し方がない。


「それで、どうだったの?」


「どう、って?」


「だから、抱かれたの?」


「あぁ、そういうこと」


 主語を、誰にということをあえて抜かして尋ねると、アンジュはまた笑った。


 やっぱり今回もいまにも泣き出しそうな弱々しい笑顔だった。


「……抱かれたよ」


「……そう」


「あの人と違って、あんまり上手じゃなかったなぁ」


「生々しいことを言うね」


「だって、事実だもの」


「香恋さんが落ち込むね、それ」


 アンジュが苦笑いする。私も笑ったつもりだったけれど、本当に笑っているのかはわからなかった。


「今後も抱かれるつもり。香恋さんが女性慣れするまでは、ね」


「……ねぇ、アンジュ」


「ルクレはいいよ」


「だけど、私も」


「ルクレはそのままでいてほしい。サラちゃんやティアリカちゃんにもいまのままでいてほしい」


「どうして、あなただけが」


「私が神様だからだよ? 脆弱だけど神様だからこそ、この身を尽くさないといけないからね」


 アンジュはまた笑った。


 その笑顔に私はなにを言えばいいのか、わからなくなって俯いた。


 その際、なにやら物音のようなものが聞こえたけれど、確認する余裕はなかった。


「……ごめんなさい」


「謝らないで。これは私が決めたことだもの」


 アンジュは優しげに笑った。


 いや、優しげというよりかは、儚げに笑っているという方が正しいのかもしれない。


 凜々しくあるのに、同時にとても弱々しい。


 その笑顔は儚いという言葉がこれ以上となく合ってしまっていて、私はなにも言うことができなかった。


「あの人が帰ってきたら、許してくれるかなかなぁってちょっと心配だけど」


「……許してくれるに決まっているでしょう?」


「そうかな?」


「そうだよ。だって、私たちの旦那様だもの」


「……そう、だね」


 アンジュはそう言って口を閉ざしてしまう。


 私は俯きながら、祈った。


 いまは眠っている旦那様にただ祈りを捧げた。

 

 どうかアンジュを許して欲しい、と。


 どうかアンジュを責めないであげてください、と。


 何度も何度も祈りを捧げた。


 私の親友をどうか許してください、と。いまはいない旦那様に何度も何度も祈っていく。


 空っぽな手を組みながら、親友であるアンジュの献身が報われることへの祈りを募っていった。

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