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rev5-Ex-6 終わる愛

 赤かった。


 草木も、花々も、地面も、そして空さえも赤く見えていた。


 すべてが赤く染まっていた。いや、すべてを赤く染めながら、私はひとりそこにいた。


「『これで全部、かな?』」


 血が滴る右手を振り払うと、まだ無事だった花々も血に染まった。


 花々を血に染めながら、私は血だまりの中でひとり立っていた。


 私の周囲には無数の死骸があった。


 夥しいほどの骸とその体から流れる血が私の足元で血だまりとなっている。


 まるで大地そのものが血を流しているように。いや、この場合は大地が血を噴き出しているという方が正しいのかもしれない。


「『……さて、それじゃいただこうかな』」


 無数に転がっている骸は、私のご飯だ。時間帯で言えば、ディナーになるのかな。


 昨日の夜のディナーとはまるで違っていた。


 昨日の夜は、空気溜まりでみんなでディナーを食べた。


 みんな楽しそうだった。


 楽しそうに焚き火を囲んで、ガリオンおじいちゃんが用意してくれたコース料理に舌鼓を打っていた。


 昨日のディナーは、とても美味しかった。


 みんなで食べていたからなんだろうね。


 みんなで笑いながら楽しんでいたからこそ、とても美味しく感じられていたんだろうね。


 だからなんだろう。


「『……美味しくない』」


 いま食べているご飯は、ちっとも美味しくなかった。


 食べている内容は、広い目で見れば似通っている。


 食事はつまるところ、なにかしらの死骸からできている。


 たとえば、お肉であれば、動物の体から切り落としたものだし、野菜は畑に植えられていたものを採取したもの。


 採取と言うと聞こえはいいけれど、採取した野菜はそれ以上成長することはない。つまり、その野菜を殺したということになる。


 そういう意味合いであれば、採取した野菜は野菜にとっての死骸ということになる。


 他の材料だって、調理場に来た時点ですでに死んでいる。つまりは死骸だった。


 調理というのは、要は素材となったものたちの死骸を加工するということだ。


 だから、広い目で見れば、私がいま食べているものと昨日のご飯は似通っていると言っていいのかもしれない。


 違いがあるとすれば──。


「『……死んじゃうと、目ってこんな感じになるんだ』」


 ──死骸の視線が気になるってことくらいか。……もうすでに死んでいるから視線なんてあるわけがない。


 けれど、私の周りにある死骸はみんな私を見つめている。


 光のなくなった目で私をじっと見つめていた。


 私の周囲にある死骸は、どれもこれも大きなイノシシだった。


 それもただのイノシシではなく、魔物のイノシシだった。


 特徴的な大きな鼻を、まるでハンマーのような平べったい大きな鼻を持つイノシシ。名前はたしかハンマーボアだったかな?


 私が襲ったのは、そこそこ大きな群れで、数十頭はいる。その数十頭の中には子供のハンマーボアもいたけれど、例外なく皆殺しにしている。


 群れのボスやその側近だけでも十分だったけれど、主戦力がいなくなった群れのなれの果てなんて決まっているから、纏めて殺した。


 そのときに流れた血で私のいる場所は、この群れの居住地は赤く染まった。


 それなりに大きな泉の畔を根城にしていたんだろうけれど、その泉もハンマーボアの血で赤く染まっていた。 


 それでも最後まで、最後まで残っていた最も幼い子供のハンマーボアを手に掛けるまで、水面に繁殖していた花々は赤く染まることはなかった。


 元々は真っ白な花だったのに、いまは血で真っ赤に染まっていた。


「『……なんて名前の花だったっけ?』」


 水面に浮かぶ白い花。


 教えて貰ったはずなのに、どうしても思い出せない。


「『そもそも、誰に教えて貰ったんだっけ?』」


 この花のことを教えてくれたのは、はたして誰だったろうか?


 それさえも、思い出せない。


 ただ、思い出そうとすると頭が痛くなるし、胸の奥が締め付けられるように痛くなった。


「『……あぁ、そっか。パパとママに教わったんだ』」


 少し前の大切な思い出が蘇る。まだ「ベヒリア」にいた頃に、パパとママとベティと一緒に「巨獣殿」の中庭を散策したときのこと。


 当時、ルクレさんはお城でおばあちゃん陛下と一緒に書類仕事に忙殺されていた。


 ルクレさんには申し訳なかったけれど、ルクレさんがいなくて寂しがっていたベティのために、四人でピクニックをした。


 そのときに、中庭の湖の一角に白い花が水面に浮かんでいたのを見つけたんだ。


 正確には最初に見つけたのは、ベティだった。

 

「おねーちゃん。あのおはな、なぁに?」


 ベティは水面に浮かぶ花を指差して、私に尋ねてきたんだ。地下書庫で蔵書を読みあさっていた私であれば、きっと知っているだろうと思って。


 でも、私はあの花のことを知らなかった。


 ベティに尋ねられて、答えてあげたかったけれど、知らないものを教えられるわけもなく、「めん、わからない」と素直に謝ったんだ。


 ベティは「そうなの?」と驚いたように、大きな目を何度も瞬きをしていた。


 ベティにとって、私は物知りな姉だったんだろう。それこそ、質問すればなんでも教えてくれる。そういう存在だったんだと思う。


 だからこそ、わからないと言われて、ベティは驚いていた。


 申し訳なさを感じつつも、あとで地下書庫で調べようと思っていた。そんなときだった。


「あれは睡蓮って花だよ、ベティ」


 パパがあの白い花の名前を教えてくれたんだ。


「スイレン?」


「そう。スイレンって花だよ。水の上で咲く花なんだよ」


「おみずのうえで、おはなってさくの?」


「うん。普通の花は地面に咲くけれど、睡蓮は水の上で咲くものなんだよ。あと蓮の花もかな」


「ハス?」


「ん~。睡蓮の仲間みたいな花かな? 睡蓮と同じで水の上で咲く花のことだよ。睡蓮とは色が違うけれど」


「そーなの?」


「うん。どっちもああして水の上できれいに咲くんだよ。この世界でもあるとは思わなかったな」


 パパはそう言って遠くを眺めるようにしてスイレンを眺めていた。


「……あなたの世界にもあったんだね?」


「あぁ。こっちの世界で言うと、教会かな? その庭にああして咲いていたよ」


「そっか。きれいだった?」


「……うん。こっちの世界でも変わらないくらいにきれいだったよ」


 ママはパパの手をそっと握りながら尋ねていた。


 パパはママに手を握られて、柔らかく笑っていた。笑っていたけれど、どこか寂しそうにしていた。


「そういえば、あなたの世界での花言葉ってどういうものだったの?」


「……睡蓮の花言葉、か。たしか、清浄、信仰、信頼、だったかな? あとは」


「優しさ、甘美とか?」


「……もしかして、こっちの世界でも同じなのかな?」


「みたいだね。あと──」


 パパが思い出すようにしてスイレンの花言葉を並べていくと、ママが途中から代わりに答えていく。


 そして次に口にしたふたつの言葉は、それまでとは真逆の言葉だった。


「『終わった愛と滅亡、か』」


 ママが口にしたふたつの花言葉は、それまでのきれいなものからは真逆のものだった。


 そのふたつの花言葉は、いままさに私とこの群れを現すには相応しいものだった。


「『……いまの私を愛してくれる人はもういないもんね』」


 群れを完全に滅ぼした私は、どうやっても肯定はできない。


 狩りというものは必要最低限で行うことであり、ひとつの群れを壊滅させることじゃない。


 なのに、私は群れを壊滅させた。そうしないといけなかったからということもあるけれど、それ以上に幸せそうに群れの光景に苛立ったから。


 苛立ちに任せて行動した結果、私はひとつの群れを滅ぼした。


 決して許されることじゃない。


 パパがこの場にいたら、きっと私を叱っていたと思う。


「『……あぁ、そういえば、シリウスも昔叱られたんだっけ?』」


 私の中にあるシリウスの記憶の中に、シリウスが私と同じようにひとつの群れを壊滅させて、パパに怒られていたことがあった。


 そのときのシリウスはまだグレーウルフになったばかりで、正真正銘の子供だった頃。


 子供だったからこそ、遊び感覚で群れを滅ぼしてしまった。命の重さを知らなかったからこそ行ってしまった。


 そのことをパパに怒られ、シリウスは反省していた。


 でも、いまの私は当時のシリウスとは違う。


 私は命の重さを知っている。その尊さも知っている。


 それでもあえて滅ぼした。


 パパはきっとそんな私を許してくれることはない。


 こんな私を愛してくれることはない。


 パパだけじゃない。


 ママだって同じ。


 私を愛してくれる人はもういない。


 でも、それでいい。


 愛して貰いたいなんて私はもう思っていない。


 私は私が愛するものを護りたい。でも、その愛するものたちから愛されたいとは思わないし、思えるわけがない。


 だって、私はもう化け物だから。


 だから、愛して貰えるわけがない。


 愛して貰えなくても、愛することはできる。……決して報われない愛だけど、いまの私にはそれでも上等すぎる。


「『……食べよう』」


 止めていた食事を再開する。


 ぐじゅぐじゅと口の中で血が広がっていく。


 肉を囓り、骨を砕き、腑を啜る。


 それらを延々とくり返していく。


 すべては強くなるため。


 パパの仇を取るために、私は強くならなきゃいけない。


 いまよりもずっと、ずっと強くならなきゃいけないんだ。


 そうしないと、あの女には勝てない。


 パパの仇を取ることはできない。


 パパの仇を取る。


 それだけがいまの私の目的だった。


 だから。


 だから──。


「『私の糧になって。ごめんね』」


 ──私が力を得るための礎になれ。


 ベティとそう変わらないくらいの子供のハンマーボアの死骸に齧り付いていく。


 目の前が赤く染まる。


 でも、赤は透明ななにかで薄れていく。


 そのなにかがなんであるのかはわからない。


 わからないまま、私は私が殺した糧たちを少しずつ少しずつ平らげていく。


 すべてはパパの仇を取るため。


 そのための強さを得るために、私は化け物へと身を落としていった。

次回より新章です

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