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rev5-77 優しい匂い その1

 無理をしているというのは、明らかだった。


 コロコロと雪玉を転がす姿はいつもと同じで、無邪気そのもの。


 彼女も含めて三人で一緒に過ごしていた頃と同じように見える。


 だけど、実際は違う。悲しいほどに違っていた。


「ん~。もうちょっとなの」


 雪玉を小さな体で転がしていくベティちゃん。最初はベティちゃんの掌に収まっていたのに、いまやベティちゃんの体と同じくらいの大きさのものをコロコロと転がしていく。


 その様を隣で雪玉を転がしながら、うちは見守っていることしかできない。


「ベティちゃん、もうええんとちがう?」


「ん~。ダメなの。おとーさんとおなじくらいじゃないとダメなの」


 すでに雪玉はベティちゃんでも厳しい重さなはずなのだけど、ベティちゃんは頷いてくれない。


「レン様と同じって言われても」


「だって、おねえさまうえは、おとーさんのおねーちゃんなの。だから、おとーさんとおなじくらいじゃないとダメなんだもん」


 ベティちゃんは体ごとぶつかるようにして雪玉を転がしながら、なんとも言えないことを言ってくれている。


 うちらの少し先には、いくつかの雪だるまが鎮座していた。


 ちょうど中央にある雪だるまが、ベティちゃんのおとーさんことレン様を模したものということらしい。


 レン様の両隣にあるのがアンジュ様とルクレティア様らしい。


 お三方の雪だるまは同じくらいの大きさだけど、実際はお三方の中ではアンジュ様が一番長身だけど、あえて同じくらいの大きさにしているみたい。


 お三方の手前にはふたつの雪だるまがあり、それぞれアンジュ様とレン様の間、ルクレティア様とレン様の間に置かれている。


 ルクレティア様との間にあるのがベティちゃんで、アンジュ様との間にあるのがプロキオンちゃんらしい。


 らしいというのは、大きさくらいしか違いがないから。


 さすがに雪像のように各々のお顔を現してはいない。


 だというのに、うちは「あぁ、似ている」って思ってしまっていた。


 特に、プロキオンちゃんの雪だるまはプロキオンちゃんそっくりに見える。


 大きな雪玉を上下に重ねただけだっていうのに、そっくりに見えてしまう。


 ……あぁ、あかん。あかんわ。


 考えへんようにしとったのに、また考えてまう。

 大好きなあの子を、プロキオンちゃんのことを考えてまう。


 プロキオンちゃんのことを考えるだけで、うちの胸はいつからか高鳴るようになった。


 それがどういうものなのかは、すぐにわかった。


 だって、プロキオンちゃんのことを考えているときのうちの顔は、かつて奥様たちが、アンリ様やエリセ様が浮かべられていたお顔と同じだったから。


 そう、タマモ様のおそばにおられたときの、おふたりと同じ顔をうちはいつからか浮かべていた。


 その表情の意味がわからないわけがなかった。


 気付いた日から、無意識でプロキオンちゃんを視線で追っていた。


 あの美しすぎる子を視界に収めないことはなかった。


 本当ならいまだって、プロキオンちゃんを見つめていたはずだった。


 そう、この瞬間だって、本当ならプロキオンちゃんを見つめていたはずだった。


 でも、いま、プロキオンちゃんはいない。

 

 ううん、プロキオンちゃんだけじゃない。レン様だっていない。


 ふたりの代わりにいるのは、あの人だ。レン様の中にいたもうひとりのレン様が、レン様の代わりにレン様のお体を使っている。


 プロキオンちゃんはそのことに絶望し、もうひとりのレン様に憎悪した結果、うちらの前から去ってしまった。


 もうひとりのレン様がレン様のお体を使われているから、数的な意味で言えば、ひとりが欠けただけ。


 でも、感覚的に言えばふたり欠けている。


 それもベティちゃんにとって、おとーさんとおねーちゃんが同時にいなくなってしまったという、なんとも悲劇的な形でだ。


 なのに、ベティちゃんはいつもと変わらない素振りを見せている。


 大好きなおとーさんとおねーちゃんがいなくなってしまったのに。いつもと変わらない笑顔を浮かべている。


 その姿はひどく滑稽だ。そしてとても哀れだった。


 ベティちゃんが悪いわけじゃない。


 ベティちゃんはなんも悪いことはしていない。


 悪いとすれば、それは──。


「ばぅ、もうちょっと、なの。もうちょっとで、みんなわらってくれるの」


 ばぅといつものように鳴きながら、ベティちゃんはよくわからないことを言っていた。


「みんなって?」


「ばぅ? みんなはみんななの」


 ベティちゃんは汗だらけの顔で笑っていた。


 でも、言いたい意味がうちにはよくわからない。

「なんで、そないなことを」


「だって、みんなげんきがないの。おとーさんとおねーちゃんがいないからなのは、ベティもわかっているの。だから、ベティはベティにできることをしようとおもったの」


 うんしょ、こらしょと頑張って雪玉を押すベティちゃん。


 言っていることはなんともベティちゃんらしいことだった。


 純粋なベティちゃんらしい言葉だ。


 でも、どうしてそこまで純粋になれるのかがわからない。


 だって、レン様やプロキオンちゃんがいなくなったのは──。


「あのね、フブキおねーちゃん」


「なに?」


「おねえさまうえをおこっちゃダメ」


「……え?」


 ──ベティちゃんは手を止めて、うちをじっと見つめていた。


 いきなりすぎて、どう反応していいのかがわからなかった。


「あのね、フブキおねーちゃんはあんまりしらないけど、おねえさまうえはとっても、とってもやさしいひとなんだよ」


「……優しい?」


「うん。ベティはしっているの。おねえさまうえはよくおとーさんとけんかをするの」


「……えっと?」


 優しい人の理由を話すはずなのに、なぜそこでレン様と喧嘩をよくするということになるのやら。どういうことと首を傾げていると、ベティちゃんは続けた。


「けんかをよくするけれど、いつもおとーさんとたのしそうにおはなししているの。そのときのおねえさまうえは、とてもやさしそうなこえなの」


「優しそうな声」


「うん。おとーさんもね。とてもやさしそうなこえをしているし、やさしいにおいがするの。だから、おねえさまうえもやさしいにおいがしているとおもうの」


「優しい、匂い?」


「うん」


 元気いっぱいにベティちゃんは頷いていた。


 ただ、その意味はいまいちわからない。


 優しそうな声はまだわかるけれど、優しい匂いってどんな匂いなんだろう?


 うちもそれなりに鼻は利くけど、匂いに関しては狼であるベティちゃんやプロキオンちゃんには敵わない。


 たぶん、ふたりなら「優しい匂い」とやらがどんなものであるのかがわかるのだろうけれど、うちにはさっぱりと理解できなかった。


「それってどんな匂い?」


「ばぅ? やさしいにおいは、やさしいにおいなの。ままやおかーさんもやさしいにおいがするの」


 えへへへと笑うベティちゃんだけど、やっぱり意味はわからない。


「ルリおねーちゃんとイリアおねーちゃん、トワせんせーやカナタせんせーからもするし、タマモおねーちゃんも、ガリオンおじいちゃんもみんなみんないっぱいやさしいにおいがするの!」


 むふぅと嬉しそうに笑うベティちゃん。ベティちゃんが口にしたのは、全員ベティちゃんが懐いている人ばかりだった。


 つまり「優しい匂い」とやらは、ベティちゃんが懐いている人からする共通した匂いということ。


 でも、相変わらずどんな匂いなのかはさっぱりわからない。


 まぁ、匂いというものがそもそも可視化できないものだから、わからないというのも無理はないわけなのだけど。


「あとね、すこしまえまでは、フブキおねーちゃんもやさしいにおいがしていたよ」


「うちも?」


「うん。……でも、いまはあんまりしないの。まえは、すごくやさしいにおいがしていたの。おねーちゃんといっしょにいたときは、すごくやさしいにおいがしていたよ」


「……そう、なんや」


「うん。でも、フブキおねーちゃんはやさしいってベティはしっているよ」


 えへへへと笑うベティちゃん。なんて返事をすればいいのかがわからなくなってしまった。


 あなたの言う「お姉様上」のせいで、と言うのは簡単だったし、ベティちゃんもきっとわかっている。


 でも、ベティちゃんは「お姉様上を怒らないで」と言う。うちから「優しい匂い」を奪ったのは「お姉様上」だというのに。


「ばぅ。あのね、フブキおねーちゃん。ベティはおもうの」


「なにを?」


「おねえさまうえは、きっとだれよりも、おねえさまうえにおこっているんだって」


「……え?」


「おとーさんがいるとき、おねえさまうえはおとーさんといつもけんかしていたの。でも、おとーさんはけんかしていても、やさしいにおいがしていたの。きっとおねえさまうえもやさしいにおいがしていたとおもうんだ」


「そんなんわからん」


「うん。そうだね。でも、ベティはね。おねえさまうえもやさしいにおいがしているとおもうの」


「なんで?」


「だって、おねえさまうえは、やさしいもん。やさしいおとーさんのおねーちゃんなんだから、やさしいにきまっているの」


「いや、それは」


 さすがに暴論すぎると思うけれど、ベティちゃんは「でもね」となにかを言おうとしている。うちの意見を言うのはいつでもできるけれど、いまはベティちゃんの話を聞くべきだろうと思った。


「いまのおねえさまうえは、かなしそうなにおいがするの」


「悲しそうな匂い?」


「うん。すこしまえのおかーさんからもしていたの。ままがままになるまえまで、おかーさんからしていたんだ。それとおんなじにおいが、おねえさまからもするの」


 ベティちゃんは辿々しい言い方で精一杯の説明をしてくれる。


 その説明にうちはただ耳を貸していった。

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